「風姿花伝」に見る老境のロックの道

こんな言葉が流れてきた。

個人的見解として、色々示唆に富んだポストだと思った。

ある作品や活動が、時代を超えるほどの普遍性を持ってないと、何やったって、時間経過で「過去の遺物」扱いされるだけである、って事は、ある程度仕方のないものなのかもしれない。

あとは、そうねぇ。

若い頃にやってたサウンドが、年取ってからも歌ってて、あれカッコいいな、って言われる音はある。と、同時に、あれは若い時にやるから「カッコいい」って言われるもの、とは似ても似つかぬものだ。

  1. 年取っても輝きを失わずに評価されているもの
    作品や行為や本人が、当初の瑞々しいまま保たてれいる、寧ろ、長年の活動で、初期の活動に、魅力や輝きを得たもの。或いは時代を経て、時代がその活動にようやく追いついたというものも含まれる。

  2. 年取って輝きを喪って、尚、評価されているもの
    作品や行為や本人には当初の瑞々しさは喪われているが、かつての活動を支えた人たちが、今尚、その活動を支え、必死に応援している。メンバーたちも、それを励みに、活動を続けるよすがとしている。

    或いは、表現上の本人のアティチュードとして、変わらぬ姿勢を保っていることなので、売れようが売れまいが評価されようがされまいが、それ自体が問題外という人もいよう。いわゆる「生き様がロック」って人達。

まあ、確かに、そういうひたむきに誠実に音楽に向かっている人達を、年取って売れもしなくなって、いつまでもみっともない、とか嘲笑う人はいるのかもしれない。まあ、そう言ってる人たちにとっては「大売れに売れた」とか「人の評価」とかばかりが、常から優劣の争点なんだろうけど。

そういう「優劣でばかり物事を語る人達」に苦言を呈すと「人の考え様々、言いたいことは自由。」とばかりにドヤ顔をして見せる。

でも「かつて、自分が歌った歌の文句に、逆らうような生き方は出来ない」とか「自分が、一度口にしてしまった歌を嘘をつく様な生き方は出来ない」って、自分にけじめつけてる人の生き方を嘲笑う奴のセンスってのは、いつの時代も、その程度の浅いクソガキの戯言だと思ってる。

所詮、評価軸が、金と他人の評価にある。

ロックやパンクは、常にそういう輩に対して牙を向いて来たということさえも、その輩は知らないのだろう。

音楽に向かい続けた自分の一生を裏切る真似は出来ないって人も、世の中にはいるのでね。

しかし無様な評価軸しか持たない人が増えたんだねぇ、この社会は。

では、今、流行しているものが・・・すべて爺や婆になった時に、今、やってる事をファンの人たちに見せたいから、そのまんま歌ってくれって言われて、堂々と自分の歌ですと歌えるのだろうか。

若かった時のマインドやスピリッツで、今尚、圧倒的な歌の存在感として聞かせられる人が、その中から何人現れるか、ってのを、もう少し考えないといけないのかもねぇ。

そして、その歌で、見ず知らずの若造をも震え上がらせて、オシッコちびらせられる人が、今この中に、何人おるのかなぁ、と。

若造に嘲られる程度の歌を歌っちゃなんねぇっすね。オッサンもw

時代が変わったから分かってもらえないんじゃなくて、時代を超えていく気概が無かった、ってだけなんだと思う。

若い時はそこまで考えなくて、その瞬間を生きて行くのが精いっぱい。
けど、若さや、青臭さや、時を超えていくものは、確かにあって。

20代の前半に、この作品聞いた時に、これは恐らく、数十年間活動を続けたら、いぶし銀の輝きを帯び、鬼のように君臨するバンドになるだろうと思った。上辺の若さの中から、恐ろしく侘びた諦念を感じた。若い頃から、こんなサウンドなど、ふつう出せないような翳りの美しさを感じるバンドだった。ただものではないな、と。こいつらは、絶対、自らの活動を折らないだろうと。(実際は1度折っての、ソロを経てのカムバックだったが)

今尚、俺たちが信じて守ってきた旗がそこにある、と信じられるほどのものを守り続けてきたかどうか。それを育めてきたかってことでしかないんじゃないでしょうか、と思うんですよ。

そのひたむきさと情熱に電撃のように打たれる人は、確かに若手を震わせます。自分の行くべき未来を示した人だから。

このバンドは、その旗を、若い頃から高く高く掲げていた。辞めない事を誓うからこその余裕すら感じさせた。

そういう人は老境にあっても、尚も燦然と輝いているのです。

そういう人を嘲笑うような社会だとしたら、無くてもいいんじゃないですか、もう。

だから、音楽が売れなくなっちゃうんですよ。多分。
そうした「高く高く掲げた音楽への理想」みたいなものを守ろうとしていた人たちを、流行り廃りで雑に扱いながら、守ってこなかった、ってことで。

まあ、それを「時代を超える普遍的な美」と言うのですけど。

けど、それは、ただ古いものをそのままやったからって醸されるものでもなく、新しいからっていいものではなく、人間世界の真理とか、普遍的な美の存在について、常々、深く問いかけ続けたからこそ、より多くの人を巻き込んでいくだけで。

それ、お客が増えこそすれ、減りはしないんですよね。

「飽きられたら、年取ったら、受けなくなるのは、当たり前だから」 みたいに考えて、最初から物事を作ってた人が作れないのは当然だったりする、という事を、そこまで考えて活動していた人がいなかっただけなのだと思うのです。

売り手作り手が、真面目にその事を考えなければ、当然、自分のやってきたことが普遍性にたどり着くことも無いのでしょう。


風姿花伝という本がある。今更、私が書く事でもないから、Wikiググるなり、どんなこと書いてあるか位は、まず、自分で噛み砕いてから、下に進んでください。

風姿花伝に学ぶとしたら、老境に置いてかつてあった能力や見た目の華が喪われたとしても。

本当に、その人がひとかどの表現を残し得たのなら、老いて尚、人を魅了する一輪の花は残る。

確かに、今を盛りの桜が満開のような華やかさは無くても、たった一輪だけ、美しい可憐な花を咲かせるような。

風姿花伝の中に、老境における音楽の神髄というか、何故、ストーンズを始めとするバンドが海外に存在していられるのか、その答えを見たような気がしていて。

寧ろ、海外の人たちの方が、風姿花伝の中の「老境の美」に対する理解がある事に愕然とすると共に、この国の人間たちは、それほどの・・・

芸術における美学概論の神髄と、芸事の神髄を書いたあの本を理解してないのか。つくづく、この国の問題はそこにあると思うんだよなぁ。

日本の美学と西洋の美学が、きちんと共通の解を得ているというのにね。

そういう事を学んでこそ「国境を超えても、普遍的な人の思いや、何か美しいものを愛でる心映えは変わらない」と学ぶのに。

アートとは性別、国境、人種、境遇を超えた、ある人間性の真実について光を当てるもののはずではなかったか、と思うが。

なぜ、それが、ありとあらゆる分断の口実に使われてるのか、意味不明になる事はある。

若さと老い、様々なジャンルという分断の口実。
商業的な都合と分かりやすさから見た、世代別マーケティングと言う名のレイヤーに隔てられ。

それぞれの違いを見つめた上で、共通点も深く論ずる所に至ってない。

室町時代の人間の方が、西洋人の感性に近いんだとしたら「儲かってるものの方が正義」みたいな感性は、一体どこから出てきたザイゴのカッペの成り上がりを絵にかいた、下種で下世話な品性 なのかねぇ。

まあ、そういうダサい田舎者ほど「絵を描くことがアート」「楽器を弾くことがアート」というような、単なる行為を高尚と思い込むような激しい勘違いをしている。

いちいち、ギリシャ時代の解釈だのなんだの、ここでつらつらと並べる気はありませんので、昨今のキリスト教を踏まえた解釈で申し上げますと

Art = The things human made(人が作ったもの・行為)

それに対する対概念が

Nature = The things god made(自然・神が作ったもの・行為)

これを学ぶのが、Art を学ぶ学問は Art、Nature を学ぶ学問が Science となる訳です。これも、向こうにも様々な解釈をする人たちがおりますので、敢えて、現代の一般の人が一番分かりやすい解釈を採用してのことです。

風姿花伝なんてものは、それこそ世界に誇る美学概論なんですけどね。
普遍的なアートの神髄じゃないですか?

それどころか、むしろ

「若い時の調子に乗ってる時に、たまたま時の名人と勝負して勝つみたいな事はあっても、それは若いものを珍しがる世間の心と時流が勢いに乗っただけの事であって、人生の一番大事な時期に勉強と研鑽を積まなかった奴は、40歳を境にいなくなる。」

って、現代に通じる剛速球のどストレートに答え書いてるのに。
なんじゃこらぁ!

これほどの本を残した国で、マジで自分たちの行動すべてが室町時代の本にすべて書かれてるってのに、俺が正しいだの誰が正しいだの・・・

それで自分たちが勉強したつもりになってるのが、無様も無様で、スッゴイカッコ悪すぎるんすけど。


最初から音楽に飽きたら辞めるつもりで、現場をシッチャカメッチャカに面白半分に引っ掻き回して、しかも、そこらのジュースだ酒を、冷蔵庫開けて勝手に飲んだ挙句、散々、そこの御馳走食い散らかして「思い残す事は無いんで、僕たち卒業します、バカ」と壁に落書きしていくような食い逃げ野郎が増えすぎっすねw

しかも、現場の人たちが必死になって、掃除と後片付けして、もう一度頑張って行こうとしてる所に、また、何かの勘違いでハシカこじらせたのが「僕たち音楽好きです!キャー!」と雪崩を打って乱入、会場を引っ掻き回して、そこらにあった、心ある皆でなけなしの寄せ集めたごちそうを「何これ、ショボッ!」みたいに言ってる奴らが、いっぱしのもの知った顔で、音楽好きって名乗るような地獄。

「僕らの意見が正義だ!だって僕らの方が数が多いんだ!こんな店、二度と来るか!」

あっそ。帰っていいよw
華麗な毒舌速弾きソロw


てか、20年前も30年前も

「若い俺様カッコいー!ヒー!」

みたいな奴いたけどさ。

ほぼほぼ40歳どころか30前で脱落して、今はどこで何やってんスか、みたいなのを雨後のタケノコのように見てですね・・・

風姿花伝の言ってる通りだ、と思ってないとしたら。
そんなの、議論の振りした価値観の押し売りゲーム。

ついでに、その論争に巻き込まれたくないから、あっちにフラフラこっちにフラフラで、コウモリみたいなことやってるのも、結局、誰もわかっちゃいない、という事なんだと思って眺めること20年。

答えなんか、全部、風姿花伝に書いてあるじゃないか。

よし。そんなに音楽が好きなんだね。
だったら絶対やめないって誓いを立てて、今の活動を40年間維持してくれることを約束して下さい。

その上で、これが私の好きな事!って言った以上は、40年後も、その格好とコスプレでやっていただけますかね。

卒業、とかいう言葉は絶対許さんw

いいよ、婆になっても、そのキラキラのコスプレで、ジャンプしてダンスして、キレッキレの冴えを見せてくれるなら。

おい、そのコスチュームの下から、サロンパスの薫りがするぜ・・・。
こっちからはトクホンの薫りがする・・・。

よしてくれ。折角の酒がまずくなるじゃないか。

俺は、君の聞いてる音楽が嫌いなんじゃない。
長い事ひた向きに音楽に向かって、誠実に音を紡いできた老境のミュージシャンの尊厳に泥塗ってる、お前の傍若無人が嫌いなんだ。

その人たちが、無人島に上陸して、水道引いてロックを育てて。
その上に乗っかった人たちが好き勝手に遊んでる中。

お前は、その一番最初の労苦を背負ってくれた人たちの事を、その事を知らないで好き勝手に遊んでる人達まで巻き込んで罵って、本当はその人が大功労者だと知ったら頭を下げるような人たちまで含めて、壮絶な名誉棄損やったに等しいんだぜ?

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