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"ファッション"なノルウェーの政治参加

環境が変わると目に写る情報であったり、人の声、街の雰囲気が大きく変わります。

オスロに来てまだ数日なので、まだまだ新鮮味があってそんな真新しいモノやコトに目を輝かせながら過ごしています。

今日は土曜日。天気は快晴。そんな最高の条件の下、真っ昼間からなにやら騒々しい声が聞こえてきました。

ノルウェーの国会議事堂前でのデモです。SIAN(Stopp islamiseringen av Norge)という政治団体に対するデモのよう。過激な思想を持っている団体のようですが、それに対して抗議している人もなかなか過激だなあと思いました(太鼓叩いたり、どデカいスピーカーで演説の邪魔をしたり)。警察に沢山見守られながらSIANの方々が演説をしていたくらいの規模感です。

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僕は何かと記事のネタにならないかなぁと日々北欧に関する嗅覚と尖らせているのですが、このデモに参加している人たちをみて、面白いなぁと思うことがありました。

それがタイトルの、

"ファッション"な政治

です。


【政治はファッションか?】


スタヴァンゲルというノルウェー第4の街にいるとき、授業の一環として高校生と話す機会があってその時ユース世代の政治参加についてディスカッションしました。この時もこれと同じことを感じました。


要は、選挙に参加することって服選びと同じじゃね?ってことです。それに近いなと思いました。

自然環境に熱量を持って活動することを掲げている政党もあれば、教育や雇用を重視する政党もある。経済の活性化を第一に掲げる政党だってあります。

どれが一番自分にフィットしているかを選ぶ作業が投票するということですよね。

であれば、これってNikeのエアジョーダンをカッチョいいと思う人がいたり、いやいやスタンスミスっしょ!っていう人がいるのと極めて近いと思うんですよね。ブーツを履く人もいて良いし、下駄で歩き回る人がいたって良いですよね。

特にブランドについていえばそのブランドのデザイン性や思想に共感している場合が多い(Appleなんかが良い例)。

どんなモノやコトを"身に纏いたいか"という点においては、政治もファッションも極めて近い距離にあると思います。


政治は社会という周りを取り巻く環境を決める作業で、

ファッションは自分の個を示す表現活動。


選挙で残酷なのは、多数決の原理によって「おれはエアジョーダン推しなのに、、」という人がスタンスミスを履くことを強要される点。

こうした文脈でみると、もっと政治をファッションみたいにカジュアルなもの(心理的距離を近づけて、自分ごととさせる)として打ち出していった方が参加者は絶対増えると思うんです。

特に、シルバーデモクラシーのトップランナーである日本においては、これからを担う若年層が声をあげる余白を作っておかないとかなり危ういですよね。

ノルウェーの高校生と話した時、いかに彼らの政治関心が高いかがわかりました。当たり前のように家庭でも政治の話をすると、とある女の子が言いました。もちろん自分が理想とする社会は親子で違って然るべきです。そんな”違い”が面白いとその女の子は続けました。


政治と聞くとどこか固くて、"オトナ"のものに感じられて心の距離が遠いと思うんですね。

それで、まさにファッション(こっちは本来の意味)とコラボして売り出していったりしたらいいんじゃないかなと思います。これはむちゃくちゃデザインなり、素材なり日常の衣類として溶け込めるようにかなり凝る必要がある。

「お前、〇〇 Party(政党は英語でパーティーというのでなんか楽しそう!)の服着てんじゃん!いいね!」

こんな調子である種のブランドに対するファンみたいに機能すれば良さそう。グッズの利益を活動に生かすみたいな循環をつくるとか(公職選挙法に反するかはわからない)。


【これまでの選挙が示唆するもの】


あとは選挙カーの演説の場面をもっとデザインして、SNSで拡散されるように仕組む。かつてのアメリカ大統領選挙の時なんかがまさにそうで、演説するクリントン候補にその聴衆は背を向けている写真がSNSでバズりました。彼らは何をしていたのか?

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クリントン候補との自撮りです。

彼女の話は後でネットで調べれば出てくるということなのか、「一緒にいる」という経験に人が集まっているという典型例なんだと思いました。ここから示唆することは、拡散されるようにデザインした人の勝算が高くなる可能性があるということです(この選挙ではクリント候補は敗戦しましたが)。そんな風に設計すれば参加して”楽しい”ものになると思うんですね。

とかく、既存の政治参加の入り口ってどこかめちゃくちゃ狭くて、まずはそこの入り口を大きくしたあげると良いと思います。

イギリスのブレグジット(Brexit)の例も良いと思います。とあるサイトを参照したところ、ブレグジット以前の選挙での若者の投票率は下降気味だったそうです。それがブレグジットを問う先の国民投票になると、64.7%(全体平均は72%ほど)だったそう。


ブレグジットは自分たちの未来を根底から作るほどのことだったので、投票率が高くなったのでしょうけど、ここでブレグジットを引き合いに出したのはこの後のことです。

つまり、投票してみたはいいものの、”投票した後に「あれ?そもそもEU離脱ってなんだっけ?」”という人がかなりの数いた、ということです。


つまり、まずは"参加"というハードルを無くし、「政治のバリアフリー化」をする必要があると思うんです。Brexitの例からわかるように、参加して楽しいと思わせた上で、「あれ?今回の選挙の争点ってなんだっけ?」と、そこで理解しようとする。

政治理解→政治参加

ではなく、

政治参加→政治理解

の順番の方が動かせる人は多くなります。

クリントン候補やブレグジットの例に倣ってやるとしたら、まずは参加(巻き込む)のハードルをどこまでも下げて、そこから認知というフェーズにもっていくほうが現実的だなと思いました。


いま書いたような、まさにファッション化した打ち出し方って今の日本の大きな政党はおそらくできないと思います。それよりかは、かつて話題になったアイスランド海賊党みたいに突飛なことをする少数勢力からの方が小さいにしろ波は生まれるはず。そこから波紋を広げていった方が良さそうです。

それくらい極端なことをしないと変わるものもなかなか変われない気がします。

今日(7/5)は都知事選ですね。僕は現在ノルウェー在住で、渡航時に転出届を出したので選挙権がありません。遠くから結果だけを待つ立場ではありますが、きっと今回の社会変革も含めて”ミライ”を自分ごととして捉える人が増えれば良いなと思います。

ノルウェー、オスロのフグレンにて。
pm 10:05

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