縄文杉から学んだうつ病患者の生存戦略
どうも。
タイトル通りです。
結論は、荘子的に言うと「無用の用になれ」ということです。
うつ病は本人・社会にとって大きな損失
ある医学博士が言いました。
「働き盛りにうつ病になると、本人にとっても社会にとっても損失が大きい」と。
何の損失なのでしょうか。
考えられる損失は大きく二つあります。
お金の損失
確かにこれは本人、社会両方にとって痛い。
ここでは本人に絞って話を進めますが、当然、うつ病になればもらえるお金が減ります。
傷病手当こそもらえど、出世ができなくなれば、昇給もありません。
うつ病を拗らせて無職になれば、生活保護や障害年金に頼りながらの生活になります。
当然、余裕がある状況とは言えません。
ですが、毎月お金をもらうのが当たり前でないことを知ったからこそ、気づけたものもあります。
私自身、うつ病になってお金の使い方を考えるようになりました。
これは順調に働けていたら気づけなかったことでしょう。
キャリアの損失
順調にいけば職場で出世して、キャリアやスキルを磨けていたのに、うつ病になって休むことでそのレールから外れてしまう。
特に人を育てたり、部下を持って指揮をとったりするスキルは貴重だと思います。
本人にとっては、本来得られるはずだったスキルを。
会社にとっては、真面目に働く人を。または管理職候補を失ったことになります。
特に会社にとってのデメリットに注目しました。
よく働く平社員や、管理職候補は、会社にとっては"使える人"です。
ですが、使える人になって、会社にいいように使われて、結果何が残るのでしょうか。
老いた体と、その会社だけで通用するスキルです。
退職金なんか、当てにならない時代なのはみんな知っていること。
なのになぜそんなに頑張って、一つの組織にしがみついて働くのでしょうか。
働き口はたくさんあるのに。
私は、会社から使える人間だと見られることで、それで自己肯定感を高めていました。
でもそんなことをしていたから、うつ病になったのです。
縄文杉から学ぶ"使えない人間になる"生き方
社会から無能といわれる人がいます。
私もそうです。
まともに働けない無能です。
ですが、無能でもいいじゃないかと思うようになりました。
屋久島の森深くに鎮座する、縄文杉を見てください。
なぜ何千年とも言われる間、あんなに大きく立派に、誰にも切られずに育ったのだと思いますか。
それは縄文杉が、木材として無用だったからです。
森深くにあるという立地もたしかにあります。
ですが木材として、使えない木だったからこそ、長い間生きてこられたのです。
その姿は威厳すら感じさせます。
無能・無用とは、他人からみた都合です。
かえって無能の方が人に使われず、のびのびと生きられるのかもしれません。
より良い環境に身を置かなくていい
縄文杉に学ぶことは他にもあります。
気候です。
屋久島の木材がなぜあんなに貴重なのか、ご存知でしょうか。
それは、年輪の間隔が狭く育つため、丈夫で見た目も美しいからです。
雨が多く、日照りの少ない地域であるため、成長速度がとても遅いという、一見不利な気候が屋久杉の丈夫な木材を育てるのです。
これを人間に当てはめると面白い考え方ができます。
決して良い環境に身を置いてなくとも、そこの場所なりにユニークな育ち方ができるということではないでしょうか。
大企業や公務員でなくてもいい。
大きな組織でキャリアを積むことが良いなんて、国や教育の都合で叩き込まれた刷り込みです。
一見、キャリアを育てるには良くない環境だとしても、屋久島の木々たちのように、その環境ならではのスピードでゆっくりでもいいから育っていくことで、かえって味のある人間になれるのではないかと。
ここ1週間、そんなことを考えていました。
無能に生きることを恐れなくていい。
ゆっくりでもいい。
のびのびと好きなように生きたほうが人生楽しいです。きっと。
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