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就活よりも終活。

路上で寝ている奴は大体友達。

 私は世間一般の人がイメージする持ち物の総量よりも、随分少ないことから、知人からはミニマリスト呼ばわりされているが、あんなメディアで面白おかしく取り上げられている方々と同じ括りにされるのも癪だと思いながらも、ゆくゆくは高城剛さんのようにリモワのキャリーケースをひとつかふたつ。四角大輔さんのようにバックパックひとつで旅をしながら暮らすようなライフスタイルを目指していることもあり、現在進行形で整理整頓を、時間をかけて取り組んでおり、もはや新たな趣味の域に達しつつある。

 副産物的に、何もない部屋をルンバが毎日掃除をしてくれていることから、突然の来客が来ても、特段慌てることなくお客さんを部屋に通せるのは利点ではあるが、本当に何もなく、お金持ちの豪邸に内見する番組ではあるあるの生活感も感じられないため、ただでさえ変人であることは自覚しているが、却ってミステリアスな雰囲気を醸し出してしまうのは諸刃の剣である。

 たとえ生活が多少不便であっても、多くの道具に囲まれる生活を拒むのは、最終目的が定住せずに暮らすことであり、その目的を果たすためには、己の体力で生活道具一式が持ち運べる程度に持ち物を厳選しなければ始まらないからである。ある意味、路上で寝ている奴は大体友達なのである。

 現時点での最終到達地点と、路上生活者のライフスタイルが酷似していることもあってか、高学歴エリートが勘違いしがちな、職を失ったら何もかも終わり、生き地獄に落ちて絶望しかないと言った感覚が微塵にもなく、路上は路上で楽しんで暮らせるのだろうなぁと、結構楽観的である。

 仮に住所不定無職となった時に、どこにベースを張るか、公共インフラのフリーライダーや炊き出しがどこにあるか、冬場になる前に宗教法人から寝袋が支給されるかなど、個別具体的にシミュレーションしてみると、案外どうにかなりそうなものだと思っている。

 だから、学校教育の段階で西成辺りを臭い物に蓋をするのではなく、修学旅行の見学ルートに組み込む位の方が、これからの日本社会を支えるであろう若い人たちが、自分のクオリティに絶望して自決するのを多少なりとも抑止できるのではないかと、結構真剣に考えたりもするが、飲みの場でこれを教育関係者の友人に熱弁すると、大爆笑の渦に包まれるため冗談の域から抜け出せないもどかしさがある。

遺品整理を想像しながら生きる。

 そんなこんなで、遊休資産でお金になるものは何でもお金に変えては、持ち物の総数を出来る限り減らして、完全なる自己満足で厳選された持ち物で生活するスタイルを、一人暮らしを機に始めてから、現在に至るまで継続し続けている。

 整理している時に脳裏によぎるのは、もし自身が何かの拍子や不運の事故で現世にバイバイキンしたら、住まいにある持ち物は誰が整理するのだろうか。現代でスマホひとつとっても、道具なしで生活することは不可能であり、遺品整理自体は仕方がない。

 とはいえ、極力遺品整理をさせられるであろう誰かの手を煩わせて、こんなに処分に困るガラクタを集めやがって。と恨まれるより、拍子抜けして、逆によくこれで生活していたものだと驚かれるくらいがちょうど良いと思っているから、何か物を買う時も、極力処分に困らない物を買うように20代ながら心掛けている。

 人生これからのタイミングで、死後のことを具体的に考えている辺りから、この世から居なくなろうと目論んでいるのではないかと、他人から心配されることがあるが、逆にいくつになったら終活を考え始めるのが適切なのかを聞きたい。

 人は生物である以上、いつかは必ず死ぬのだから、その終わりのことを極力考えないように先送りするよりも、自身がどんな形で最期を迎えたいのかを明確にしておいた方が、あみだくじの下部分の答えから、上部分のスタート地点を辿る感覚で、望み通りの結末を迎えるためには、今何をすべきなのかを逆算できるのだから、早すぎることはないと考えている。

 だからこそ、学生も就活に必死になるよりも前に、終活を設計してみて、そのプランが実行できる可能性が最も高い生き方を知った上で就活に臨んだ方が、実りある人生を送れるかも知れない。

 それに、終わりを意識すると、締め切り効果が発動して、いつまでも先送りすることがなくなる。スティーブ・ジョブズさんが毎朝、鏡の自分に「もし今日が人生最後の日だとしたら、私は今日やろうとしたことを本当にやりたいだろうか」と問いかけていたのは有名である。

 毎日を人生最後の日だと思いながら生きるのは難しいが、それでも死を考えないようにしては、やりたいことを先送りして惰性で毎日を過ごすのと、人生の残り時間の中で、時間、お金、体力が全部揃って自由に過ごせる時期が、想像よりも遥かに短いことを意識して過ごすのとでは、充実具合に差が出るのは当然ではないだろうか。

 自分の人生をどのような形で終わらせたいかを決めるということは、終着地点の設定であり、経路や目的地も明確となる。賃金労働者の世界に染まると、忙しさにかまけて人生設計を先送りしがちだからこそ、時間の取れる時、学生なら就活する前に、動画コンテンツやSNSで時間を浪費するのではなく、真剣に人生の終わり方について考えてみてはいかがだろうか。


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