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価値基準が明確だと迷わない。


与えられた時間を何に換えていくかが人生。

 早期退職に踏み切ってはや数ヶ月。ネームバリューのある組織の正規雇用という鎧が外れ、学び直しで通信大学に在籍しているとはいえ、傍目ではニートにしか映らないため、打算的に関わっていた人は去り清々した。

 そんな時期に同級生から、入籍の報告と披露宴に招待された。退職して地方で隠居生活していることを知っているにも関わらず、距離にして1,000km離れている場所に居住する私を、報告ついでに招待してしまう大胆さに度肝を抜かれたため、即レスで出席する旨を伝え、逆に度肝を抜かしに掛かった。

 メッセージを受信してから30分後には、祝福と参加の返信はもとより、スケジュール調整と、往復の飛行機を抑えて、現時点で済ませるべきことは、全部済ませた。

 即断即決できたのは、私が20代半ばで大病を患い、1ヶ月間の入院生活でこれまでの人生に激しく後悔して以降、自分がどうしたいのか?以外の要素を考慮しなくなり、決断に悩む時間が圧倒的に短くなった影響だろう。

 死の恐怖が目の前まで迫ってくる、恐らく多くの20代が味わうことのないであろう経験をしたことで、人はいつか到来する死からは逃れられず、どれだけの財産や地位、名誉を積み重ねたところで、墓場には何も持っていけない真理に腹落ちした。

 だからこそ、今回のチャンスを逃したら次がないイベントに、わざわざ声を掛けて貰い、社会人学生から学生に逆戻りして、時間的余裕は多分にあるのだから、ご祝儀代と交通費くらい工面する前提で、欠席の選択肢は即座に除外された。

 20数年生きた青二才の戯言として、どうやら人は不可逆的な失敗を後悔する生き物らしく、参加して仮に退屈だったとしても「まあこんなものか」と経験値が貯まる。

 しかし、参加せず晩年になって「なんであの時、せっかく誘われたのに出席しなかったのだろう」と悶々とする方が、ケチったご祝儀代と交通費よりも却って高くつくのではないかと思う。

 人生とは、ほぼほぼ平等に与えられる「時間」という資源を消費して、賃金という名のお金を得たり、運動して体力や健康を得たりするゲームのようなもので、若い時に費用面を理由に何かを諦めて、晩年に死金を抱えて死ぬのは、実にもったいない生き方だと私は感じてしまう。

逆境の中、それでも残る人を大切にする。

 だからこそ、体が壊れる形で大病を患い、レール上の人生からドロップアウトした、世間一般の価値尺度では逆境の中に居て、関わったところでメリットなどない私に声を掛けてきた同級生は、卒業した今でも損得勘定抜きの関係であることに他ならない。

 同じ高校出身とはいえ、私は高卒で社会に出て、同級生は進学しており大卒と学歴が異なる。一般的に考えれば、同級生枠で招待する優先順位として、最終学歴ではない高校の枠など、そう多くない筈である。

 披露宴の規模が連絡されるまで分からないものの、都市部にある会場で収容人数が増えると、指数関数的に予算が高く付くことや、20代サラリーマンの所得レンジを鑑みれば、少〜中人数規模で抑えるのが妥当な判断と思われる。

 そんな中で、住所不定無職に毛が生えたレベルの私をわざわざ招待したのだから、ここで私が「またのご利用お待ちしております」とは口が裂けても言えない構造上、一度に盛大にボッタくるしかない、冠婚葬祭業者にお金を落とす行為などけしからん。と内心思っても、損得勘定で欠席するのは筋ではない。

 逆境の中でも去らずに残る人を大切にすることで、良好な人間関係を維持し続けることは、金銭的な価値尺度で測れるような、安直なものではないからだ。

やらない理由など、いくらでも思いつく。

 人類史上、日本人は各大陸で追いやられて、世界中を逃げ回った結果、島で安住した民族説があり、不安や恐怖心を感じやすく、リスクテイクが苦手な傾向にあるらしい。要するにキングオブビビりなのである。

 そんなビビり遺伝子を受け継ぐ我々は、知らないものに対する恐怖心が強いのは当然の反応で、何かと託けてやらない理由、できない理由を並べることに関しては、天才的な想像力を発揮してしまう。

 重なった予定がリスケできなかったらどうしよう。目的の場所まで辿り着けなかったらどうしよう。知人が誰ひとり参加せず、アウェイだったらどうしよう。ちゃんとした服装を用意するのが面倒。ご祝儀代や交通費が嵩むし…と打算的なことばかり考えると、やらない理由はいくらでも見つかる。

 心配性で起こりもしないことを考えてしまう、思考のクセを客観視しているからこそ、決断が必要な際は「5、4、3、2、1」とロケットでも打ち上げる感覚で、心の中でカウントダウンして考える隙を与えない。

 ゼロになった瞬間に断ろうと思わなかったものは、直感的に拒否反応がない=少なくともNOではない。つまりどうせ悶々と思考を巡らせたところで、最終的にYESに収束する可能性が高い。

 それならば最初からYESと即レスして、それから細かい調整を悶々と考えた方が、同じ心配性でも不確定要素が少ない分、想定しなければならないパターンは少なくて済む。

 面白そうだと思ったら、後先考えずにイベントを突っ込むが、どうでも良い予定は端から入れない主義のため、リスケできずに詰んだ経験は今のところない。これは面白い経験をすることに価値を見出す、自身の価値基準が明確だからこそ、そう思わないものをハッキリ断れる所につながっている。

 お盆休みで忙殺されている日常とは違う時だからこそ、自分自身の価値基準を見つめ直す良い機会かも知れない。


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