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安定とは何か。

大企業=安定のまやかし。

 私は鉄道会社に就職した際、周囲の大人たちから良い所に就職したから生涯安泰だと言うニュアンスで褒められたように記憶しているが、当事者は天の邪鬼な性格もあってか、何を根拠に安泰なのだろうかと、素直に喜ぶことはなかった。言語化できない何かが心の中で引っかかっていたのだ。そして、その直感は数年後に現実となった。

 2020年2月、今もなお収束したとは言い難い疫病の感染が世界中で爆発的に拡大したことで、グローバル社会では当たり前であった行動様式の根底が覆され、命を守るためには、むやみやたらに外出しない、他人と接触しない引きこもり万歳な世の中に変貌した。

 社会不適合者としては、趣味の旅行が憚られるようになった点を除けば、この行動様式の変化は良い方向に働いた。職場の宴会や行事も、全部とは言わなくても社会資本をマイナスにしない程度に最低限、嫌々参加していたものが軒並み自粛となり、自分時間を捻出することができた。

 それにより、高卒コンプレックスを解消するために通信制の大学に入学し、学位を取得することの後押しとなった。振り返ると、生活様式が急激に変化しなければ、この決断は出来なかったと思う。

 一方で、労働者の生活基盤として外せない本職は最悪な状況だった。公共交通機関の中で、都市部では主力の座に位置する鉄道は、在宅勤務や出張の自粛によって利用者が激減。JRをはじめとする鉄道各社が軒並み赤字に転落した煽りで、従業員も臨時給与の減額や全額カットなどと待遇が悪化した。

 世間一般で安定とされていた常識が覆されたことで、私は真の安定とはなんだろうかと自問自答するようになり、安定とは自分一人の力で独立して生きていく能力から生まれるものだと気付いたのである。

 大企業や行政機関と雇用契約を交わして生きて行く限り、生殺与奪権が握られているのだから、安定しているとは言い難いが、良い大学を出て、世間一般が評価している大企業や行政機関に就職しているエリート層ほどこの真意に気付いておらず、レールから外れた生き方を地獄だと恐れている。

固定費は安いに限る。

 なぜ疫病によって鉄道業界が軒並み赤字に転落したかと言えば、利益を得るためには、他業種と比較して異様なほど莫大な固定費が必要な構造であるからに他ならない。

 会計の歴史と鉄道は”連結”会計なんて名称にも表れているように、予想以上に密接に関係している。

 会計史上初めて減価償却の概念を理屈を拵えて採用したのも鉄道会社であり、オランダ東インド会社の大航海時代から採用されていた家計簿的な収入・支出の帳簿付けから、資産・負債・純資産の貸借対照表と、費用・収益の損益計算書とキャッシュの増減と帳簿上の利益を分離させる革命を起こしている。

 それは、鉄道会社が家計簿的なキャッシュの増減では経営が成り立たなかったからに他ならない。鉄道事業を始めるためには莫大な固定資産を全て揃えなければならない。車両、線路、駅舎、信号などの電気設備、保守に必要な車庫。開業前の段階でこれら全ての設備投資をしなければ運送事業を始められないのである。

 当然、開業年度はキャッシュが出ていく一方だから、家計簿的な帳簿付けでは赤字。設備投資をしない年は在庫を持たないビジネスだから黒字。設備投資をした年は赤字。これではいつ株主になっていたかで、得られる配当が変わってきてしまい不公平感がある。それらが解決できるのが固定資産を耐用年数に分割して費用計上する減価償却と言う処理だったのである。

 固定資産を耐用年数に分割して費用計上しなければ、安定的な利益を生み出すことが出来ない位、鉄道事業と言うのは設備投資にお金を要するのである。裏を返せば、利用者が多かろうが少なかろうが、毎年莫大な固定費を必要としていて、満員電車の時代から利用者が2割減となっただけで運賃収入から固定費を賄えなくなってしまう程度に綱渡り的な経営だったのである。

 それなのに疫病という大きな変化が起きるまでは、固定費用を賄えるだけの売上は得られて当然という固定観念から、在庫を持たないビジネスで限界利益が高い点に注目して、安定していると世間は認識していたのである。

 しかし現実は高額な固定費が仇となり、各社赤字転落に陥った。その結果、今になって経営規模のダウンサイジングを目指し始め、設備や人件費の削減に躍起になっているのである。

家計も同様。

 経営や会計の基礎知識を持ち合わせていれば、毎月ノーガードで出ていく固定費をいかに安く抑えるかが、会社を倒産させないコツであるのは周知の事実であるが、これは家計にも応用可能である。

 固定費を抑える詳細は別記事に譲るが、例えば、都市部で月15万円で生活している人と、地方で月5万円で生活している人では、仮に失業した際に同じ60万円の貯蓄だとしても、それだけで食いつなげる猶予が都市部だと4ヶ月、地方だと1年と3倍も異なる。

 良い大学を出て、都市部でも引く手数多なハイキャリア人材でバリバリ稼げる方なら、どうぞ都市部で最先端の仕事を行ないキャリアアップを目指しつつ沢山納税してくださいとなるが、私を含め大多数の日本人はそこまで優秀ではない。

 それにも関わらず、わざわざ都市部で割高な固定費(家賃)を払ってまで、自分の代わりがいくらでも居る、大して重要でもない仕事をストレスフルで行う必要があるのだろうか。

 仕事がないから都市に行く側面もあるらしいが、私自身は職場や勤務形態の関係で嫌々東京23区に居住した経緯から、仕事を求めてわざわざ固定費の高い都市部に出るのはナンセンスに感じてしまう。

 地方でも選ばなければ仕事なんていくらでもある。正規雇用が良いとか、完全週休2日制が良いとか、残業が少ない方が良いとか、潰れる心配がない大企業や公務員が良いとか、何社からもオファーが来るほど優秀でもないのに、それを棚上げして選り好みしてしまうから都市部でしか求める仕事が無くなるのである。

 そうやって手に入れたまやかしの安定に、神経をすり減らしながら縋っていると、心身を病んだ瞬間に収入は減少若しくは途絶え、割高な固定費が重くのしかかり家計がゲームオーバーとなるのである。

 そうしてボロボロになって田舎に帰ったり、都市部での生活を諦めきれない若年女性ほど性風俗産業に縋り、食い繋いでいるのが現実である。そのオプションすらない男性は家賃が払えなくなると、住む場所を失い、日雇い労働者などでネットカフェを転々としたり、貸し倉庫暮らしをして食い繋ぐうちに、本人は必死に生きているつもりであっても人的資本や社会的信用がマイナスとなる。

 この綱渡りも何かの拍子で詰むと、最終的には自決するか、生活保護を受給するかの二択になりそうだと思うかも知れないが、肝心の生活保護は住所がなければ受けられない上、住所がなければ定職に就くことはできず、定職に就けなければ家を借りられないシステムなのだから、住所不定無職から脱却する手段は皆無であり、文字通りの詰みである。

 これではとても安定しているとは言い難く、そうなる位なら端から田舎暮らしでもフリーターとしてスローライフをしている方が、刺激はないかもしれないが、心身が健康な分だけ都市部で潰れるより遥かにマシである。

 会社の指示通りに働いた結果、心身が壊れても会社は責任を取ってくれない。だからこそ、安定は自分で手に入れる必要があるのだ。副業、資産所得、不動産収入、なんでも良いから自分ひとりの力で生きていける状態にしておくことが、真の安定につながるのではないだろうか。


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