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お金があることで、避けられる不幸がある。


安定の正社員が、却って不安定になる人。

 日本銀行券を貰って喜ばない日本人はいないだろう。毎月の給料日になると、我先に現金を引き出そうとATMに長蛇の列ができるのが良い証拠である。

 お金は誰かに労働を代わってもらえる権利を数値化したものだから、これがあるおかげで、私たちの生活は全てを自給自足せず成り立っている。

 しかし、私はお金を使うのがあまり好きではない。使ったら、その分だけ働かなければならない。労働に伴う苦痛よりも、耐乏生活を送る方が遥かにマシだったから、あまりお金を使わなかった。

 元来、怠惰な性格なのか、単にブラック労働を繰り返していた影響か、或いはその両方なのか定かではないが、結果として労働が原因で内臓を悪くして入院、手術に至ったのだから、労働に伴う苦痛が他者よりも大きいことは確かだろう。

 就職する際、安定性からか基本的にフルタイムしか選べない正社員信仰が根強いが、周辺的正社員、みなし正社員のワードにあるように、表面上は正規雇用でも、最低賃金ギリギリで酷使して、ものの数年で使い潰すような企業は、有名どころでも往々にしてあり、過労死、過労自殺の多くは正規雇用で生じている。

 私のようにあまりお金を使わない生活を営み、本来は長時間働く必要のない人が、世間体とか安定を求めて正規雇用を選ぶと、無理が生じて最悪潰れる。そうなると、安定を求めていたはずなのに、却って不安定になって本末転倒だ。

 自分の人生なのだから、自分がこう生きたいと思う生き方で生きれば良く、口出ししてくる他者に耳を傾けたところで、責任など取ってくれない。

 聞く力でお馴染みの政治家が、増税メガネと揶揄された際に、レーシックにすれば良いのか?と言ったらしいが、他人からの意見など、論点ずらしで対処すれば、そのうち誰も何も言わなくなる。建前が嫌いな身としては、見放されてからが本当のパラダイスに他ならない。

コスパ・タイパ思考の罠。

 そんな世間の常識から解放された、私のしみったれ具合は相当なもので、時にお金を使わないために、1〜2時間くらいの歩きや自転車で移動できるなら、交通機関を使わない的な、凄まじい根性を発揮しては、コスパ・タイパ至上主義な友人から、しばしば笑いのネタにされる。因みに根性論は嫌いだ。

 買えるだけのお金を持ち合わせているが、お金を使ってまで買うだけの価値はないと、自身の価値尺度に従って購買を判断しているだけだが、常識や世間体を気にしないことが、ぶっ飛んだ発想を生み出し、結果として宇宙人扱いされるのだろう。

 一緒に旅行した時に、移動に根を上げて、電車やバス、タクシーへの課金を提案するのは悉く友人だ。私の方が病弱で肉体的なスペックは劣るはずだが、私が先に根を上げることはなく、根性は金で買えないのだとつくづく思う。

 同じ学校を出て、卒業後に似たような業界に就き、可処分所得は同じくらいの筈だが、金融資産保有額が平均値レベルの友人に対して、私は統計上の上位1%に位置する。

 これはお金を持っている方が偉いとかではない。友人も中央値ではなく、資産持ちが釣り上げている平均値に追従できているだけで相当優秀だ。私がイカれてるだけである。しかし、同じような境遇だったにも関わらず、極端な差が出るのは不思議ではないだろうか。

ここにコスパ・タイパ思考の罠がある。自身の時給単価と照らし合わせて、費用対効果や、お金で時間を買うに値するなら買う行為は一見すると、理にかなっている。

 しかし、賃金労働者の枠組みから出ない以上、お金は時間の切り売り以上でも以下でもなく、人生が有限である以上、お金は無限に湧き出てくる訳ではない。

 生涯賃金の天井が決まっている以上、得られる賃金を何に配分するかが大切であり、時間の切り売りで得た賃金から時間を買う行為など、アクセルとブレーキを同時に踏むようなもので、ちょっと何言ってるか分からない禅問答に近い。

 アクセル(賃金)とブレーキ(金銭消費)を同時に踏むくらいなら、最初からアクセルもブレーキも踏まない状態と大差ないどころか、むしろガソリン(時間)を消費しない分、むしろコスパは良いというよりも、そもそもコストはゼロだ。いかがだろうか。

お金で避けられる不幸と買えないもの。

 この理屈の極論は、極限までお金を使わなければ、大して働かずに生きていける的な文明批判、自給自足の時代に逆行しろ的な狂気となってしまうため、原理主義者になるつもりはない。だが、お金があることで避けられる不幸があるのも事実だ。

 現に私は、収入より遥かに低い支出で暮らしており、別に正規雇用に固執する必要などなかったが、将来の選択肢を増やすために、資産所得で生きていく夢からお金を得ようとした結果、冒頭の通り内臓を悪くして、健康体を失った。

 最初から実家が太くて、資産所得で悠々自適に暮らせていたら、身体をすり減らしてまで賃金労働をする必要などなかった意味で、お金さえあれば避けられた不幸とも言える。

 とはいえ、収入より遥かに低い支出で暮らしたことで蓄えがあり、1ヶ月に及ぶ入院と手術費用の10万円で、一命を取り留めることができたのも、お金があることで避けられた不幸と言える。お金がなかったら治療を躊躇い、それにより対処が遅れていたら、文字通り命取りになっていた。

 とはいえ、健康、人間関係、知識、経験はお金で買うことができない。お金はあくまでも、誰かに労働を代わってもらえる権利を数値化したものであり、他者が代行できないもの全般、お金では買えないのもまた事実である。


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