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相場が不安定な時こそ、投資方針と向き合う。

利益は幻影、損失は現実。

 ここ数日、株式市場は神経質な展開が続いている。そのため、思わぬ形で含み損益が発生している方も多いと思われる。よく、含み損益は確定するまで幻影でしかないと言ったニュアンスの格言を目にするが、個人的には含み益に関してはそう思うべきであって、含み損に関しては幻影ではなく、現実に損失が発生しているものと捉えるべきであると言うスタンスで向き合っている。

 これは、含み益に関しては未実現利益を儲かったと錯覚してしまうと、実際に現金化していないにも関わらず、財布の紐が緩くなったりしてしまい、相場が急落した際に足元を掬われてしまうことから、利確するまで気を抜かないための言葉だと考えている。

 しかし、これを含み損に当てはめてしまうと、いくらでも現実逃避できてしまい、塩漬けを正当化しかねないため、損失に関しては確定する前から、既に損をしているものとして受け入れるべきであると言うのが私なりの見解である。

 同じ含み損を抱えていても、自身の間違いを認めて損切りして、何かしら反省材料を見つけられれば血肉となり、今後の投資方針に活かせるが、現実逃避して塩漬けした後に、取得価格まで戻って手放すと痛みを伴わないどころか、銘柄によっては配当を貰っていたから得をしたと、資金効率を悪化させていたにも関わらず、あたかも成功体験かのように錯覚してしまい、反省材料が見つけられないことから、長期目線で見ればマイナスとなってしまうだろう。

 人は他人から教わるよりも、自分で気付いた時に最も学習する。子どもが典型だと思うが、大人が正論を言ったところで、本人の納得感がなければ聞く耳を持たず、言うことを聞こうとしない。しかし、自分で何かに気付けば、自らあるべき行動を取ろうとできるものである。

 だからこそ、まだ複利の力が大きくない若い頃に、トライアンドエラーを繰り返して、過去の苦い経験の集合知から、このパターンは負ける可能性が高いと言う感覚を磨いた方が、最初からインデックスファンドの最適解で資産形成するよりも、引き出しの多い個人投資家になれると考えており、私自身はこれを実行している。

目先の利益より、知恵や経験。

 株式は全て現物で取引しており、空売りは使えないため、選定した全ての銘柄は今よりも価値が上昇すると思って買っているが、今でも想定した期間に予想通り上昇するのは6~7割程度で、3~4割は鳴かず飛ばずで損切りするまででもないほど微妙な含み損を抱える形となる。

 初心者の頃は、日経新聞や会社四季報、有価証券報告書や決算短信を読んでも理解できない程度に、金融経済の知識が乏しかったから、今思えば投資とは程遠く、殆ど五分五分の確率で上がるか下がるかを賭ける博打に近かったかも知れない。

 しかし、そこから値上がりする銘柄と、値下がりする銘柄は何が違うのか深掘りし始めたのが、単なる博打で終わらなかった分岐点だったと思う。分からない経済や会計用語は都度調べては、自分の頭で理解できるレベルまで噛み砕き、今ではそれが他人に説明する時の材料として活かされている。

 また、将来の株価は未来人か詐欺師しか分からないが、現在の株価が財務諸表から算出した帳簿上の価値と比べて割安か割高かは、ある程度判断できるため、工業高校を卒業して社会に出たにも関わらず、社会人になってから簿記を学び、日商簿記2級まで取得したため、連結会計や製造業会計の帳簿の付け方も商工会議所が認めた水準まで理解しているから、財務諸表を読むのにも大いに役立っている。

 そうして何年もの歳月を掛けながら、個人投資家として引き出しを増やした甲斐もあって、5割の確率で外していた状態から、ある程度の罠銘柄は見抜けるようになり、読違う割合が4割、3割と徐々に減っていき、実利も付いてくるようになった。

 恐らく最初からインデックス運用で機械的に淡々と積み増していたら、この投資センスは身に付いておらず、インデックス運用に飽きて、いい歳になってからアクティブ運用に転じたら、折角大きくなっていた複利を、壊滅的な運用センスで台無しにする可能性が高いだろう。

 トライアンドエラーを繰り返すことで、資金効率はインデックス運用比で若干悪くなるかも知れないが、資産規模が数百万円の時に利回りが1%違っても、実利にして年間10万円も差が出ないのだから、若い時は目先の利益よりも、知恵や経験が得られる方を優先すべきだと思うのが、私の投資哲学である。

お金で買えないものの価値。

 以前にも、日本株は高配当銘柄を中心に個別で運用して、得られた年間数十万円規模の配当は、買い増しに充てず、自己投資に使っており、現在は通信制の大学の学費の全額を配当で賄っていると記したが、これも先述の投資哲学と重なる部分がある。

 外国株式のインデックスファンドと合わせると、今でこそ、それなりの資産規模となっており、金融資産所得も庶民の感覚では立派な所得と言える程度に成長している実感があるが、少なくとも35歳位までは、資産の最大化よりも、お金で買うことの出来ない知識や経験に使いたいと思っており、配当を投資元本に組み込む形の再投資をするようになるのは、自分に投資するよりも、金融資産に投資した方がリターンが見込めると思うようになってからだろう。

 自己投資と聞くと、どうしても怪しい自己啓発の類やスピリチュアルな方向のイメージが先行して、単なる自己満足で終わって、実利に結び付かない印象が強いことから、費用対効果を鑑みると、掛けたコストを回収できない恐れもある。

 だからこそ身銭を切らず、配当の範囲内で自分に投資することで、仮に効果がなかったとしても、ダメージを負わない形で自分磨きを行い、決してお金だけあっても買うことの出来ない無形資産を着々と増やせれば、年を重ねた時に所属するコミュニティや、人間関係がより良いものとなり、後悔しない人生が送れる可能性が高いと考えている。

 資産を運用する目的は、お金を増やしたいからだと思うが、お金はある分には困らないものの、お金そのものを求めだすと終わりがない。それに、お金があっても幸せになれるとは限らない。築き上げた資産を守ろうと思うと他人が信用できなくなり、近付いてくる人が全員金目当てに見えて、疑いながら接するようになれば、人間関係が悪化するのは明白である。

 お金はあくまでも選択肢を増やすための道具であり、スティーブ・ジョブズさんの最期の言葉にもあるように、生活に困らないだけのお金を手にした後は、お金以外の何かを求めた方が良い。

 だから私は、生活費用と金融資産所得が均衡したのを機に、早期リタイアに踏み切り、時折旅をして刺激を受けては、創作活動で何かしら作品を生み出すような生き方を模索していこうと考えている。一度きりの人生、自分勝手に生きた者勝ちである。


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