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別に”鉄道無知”で良くね?と思う。


元鉄道員の戯言。

 パックンさん(さかなクンさん、あのちゃんさん然り、韻の踏み方が韓流スターのソレっぽくなる脳バグ感が個人的にジワるため、あえて”さん"付けしてみたり…)が東海道新幹線で「のぞみ」と「こだま」を乗り間違えて、番組に遅刻したことが話題となった。

 某司会者のツッコミにあった、先頭車両の形状が違うも既に昔話で、2019年に「カモノハシ」の愛称がある新幹線700系電車が引退して以来、東海道新幹線では種別に関係なく、全てサムネイルの車両で統一されている。

 このやりとりを発端に、「鉄道無知」のワードが独り歩きしている感が否めないが、元鉄道員としては、別に移動するのに困っていないのなら、無知でも良くね?と思ってしまう。

 私は元業界人の出自から、世間一般の人よりは実務的なことは知っている部類だが、それでも仕事に関係のない、他社の事情に関しては素人同然だったりする。

 以前、羽田空港まで京急を利用した際に、予定していた快特の一本前に出発する特急に乗り継げた。特急ならさぞ早いだろうと期待したら、京急蒲田-羽田空港間が各駅停車でガッカリした記憶がある。

 一本前の列車に乗れてラッキーな状況だと、悠長に駅名看板の下にある停車駅案内を見るだけの猶予などないのだから、列車の行先表示が特急となっていれば、さぞかし早い列車だと思うのが自然だろう。

 一見さんなら快特と特急に雲泥の差があるとは考えない。まして英語表記はどちらもLimited Expressなのだから、海外の方は尚のこと理解に苦しむだろう。それに対して、モノレールは空港快速、区間快速だから一目で分かる点は良心的だ。なお、乗り換え駅と運賃…。

 元業界人ですら、自分に関係しない部分に関しては、この体たらくなのだから、別に鉄道無知で大いに構わないのである。

 むしろ、常識的に考えれば、直感的に判別できるような工夫をしておらず、特急列車に独自の相性を付けたり、分かりづらいルールを利用者に押し付けている鉄道会社こそ、改善する余地があるのではないだろうか。

知らんがな。

 駅員の世界は興味深いことに、鉄道好きが滲み出てしまっているマニア社員と、生活のために仕方なしに勤めているドライな社員と、2種類の人間が混在しており、職場内は異様な雰囲気を醸し出している。

 ステレオタイプ丸出しで表現するなら、前者が理系大学にありがちなオタサー陰キャ系、後者が工業高校にありがちなウェイ系。この水と油のような相入れない両者が、同じ職で勤めているのだから、どう考えても異様である。

 私は工業高校出身者のため、ルーツは後者の割り切リィ↓スゥパァ↑ドゥルァァァァイ↓派閥寄り(なお、ビールはキリンのSPRING VALLEYしか勝たん模様)ではあるものの、いかんせん万年文化部だったため、運動部の延長線上であるウェイ系のノリはあまり好きではない。

 そのため、なるべく両者の橋渡し的ポジションで、中間の空白地帯を彷徨っているフリをして、どちらにも深入りしないよう徹していたため、手前味噌ではあるが割り切り型でありながら、それなりの予備知識も有している、両者の良いとこ取りのような、中立的存在だった。

 そんなある日、割り切り派閥の同僚が、手隙の際に業界人には滅茶苦茶分厚いことで有名な「ICカード乗車券業務運用マニュアル」の運賃表を睨みながら、山手線で新橋駅が見つからないと私にボヤいた。

 「新橋駅なら東海道線の索引で出てきますよ」と答えた私に対して、「いや、俺もそれで辿り着いたけど、何で山手線の索引にはないの?」と、突っ込んだ質問が飛んできた。

 山手線と言えば、グルグル回っている環状線をイメージするが、国土交通省上の正式路線としては、環状線ではなくCの字で、田端-新宿-渋谷-品川のみ。

 マニア社員から一方的に聞かされては聞き流す、クソみたいなウンチクの中で、唯一マジかと思ってファクトチェックをしたから、これだけは覚えていた。

 田端-東京は東北本線、東京-品川は東海道線の一部となっているため、山手線の索引で調べても新橋駅は出てこないと言う、監督省庁での正確性を重視したあまり、実用性皆無なワケガワカラナイ仕様のマニュアルであることを丁寧に説明したが、その後の同僚の「知らんがな」が全てを物語っている。

 JRの前身は国鉄と、運輸省が絡んでいた訳で、やはり行政が絡むと複雑怪奇かつ、解釈が分かれる曖昧な条文のデパートでロクなことにならない。これが引き金となって、現場では機能不全を起こし、但し書き運用が常態化するのだから本末転倒である。

「分からない」の言語化に教養が必要。

 業界人ですら、上記レベルの知識を得る機会など、業務上で皆無どころか、研修所で教えている側も、大卒で1〜3年程度現場をかじっただけの総合職だったりする。

 そうなると、そもそも鉄道事業の原理原則を記した鉄道六法を読み込んでいて、自分なりに解釈できるほど理解できている訳でもなければ、現場の実用的な知識すら経験が乏しいが故におぼろげな人間が、何を教えられるのだろうか。

 誰かに悪意がある訳でもないため、構造上の欠陥としか言いようがないが、結果として国交省につつかれない程度にやってます感を出すだけの、形骸化した中身もなく薄っぺらい研修と化すのがオチで、それなら業務用タブレットにOCR化した規則やマニュアルでも入れて、分からない時に各自が検索できるようにする研修の方がまだマシだと思う。

 あらゆる情報がデータベース化されている現代において、学校教育で「頭が良い」と定義される、「何かを覚えて、それを正確に再現する」能力の有無よりも、必要な時に正しい情報を引き出せる能力の方がよっぽど重要である。

 振り返れば、駅員時代に改札の窓口で色々聞かれたが、問い合わせ内容の99%は、手元にあるスマホで調べればすぐに分かる情報で、それが毎日続くとbotにでもなった気分だった。

 分からないことに直面したら、インターネットを駆使して得られた情報の中から、自分なりに考えて判断できる能力が何より重要であり、それさえあれば、別に鉄道に限らず、あらゆる分野において無知でも良いのではないかと考える。

 とはいえ、分からないことを言語化するだけの、基礎的な教養を持ち合わせていることが前提条件となるため、これだけインターネットが普及している時代にも関わらず、未だに情報格差がなくならないのは、教育格差が根底にあるからだろう。

 分からないことが分からない、言語化できず思考停止状態にならないためにも、基礎的な教養は身につけておきたいものである。既に学士を取っている方でも学び直すのに、大学の聴講生制度でもある、科目等履修生は活用の余地があるかも知れない。


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