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暮らしの道具 南部鉄器編

料理することは好きなんだと思う。
料理の気分が上がるようあれやこれや物の配置をかえるのも好きだ。
台所まわりのいろいろが好きともいえるかもしれない。

でも気分に波はつきもので、どうしてもキッチンに立ちたくないときや料理に気持ちが向かないときがあります。人間だもの…ね。

それでも食べる人がいるうちはその人の健康を支えたい身として料理を手放すことはできないし、母がそうであったようにできたてのほかほかごはんを囲む卓を楽しみたいとは思っています。
そんなこんなで、料理に向かう気分に波がある私には、とにかくタフな道具が必要だということを最近考えています。繊細で華奢で、手にするたびに神経を使うような道具であっては、疲れている時の粗忽でなんともおおざっぱな動作に道具は耐えらない。
実際、そんなときは作業中の不注意で道具が欠けたり割れたりということがこれまでたっくさんありました。

料理がしたい気持ち、そうではない気持ちもおおらかに包んでくれる道具を相棒としてそばにおいておきたいと今は思っています。

私が愛用しているのは、鉄のフライパンとお鍋。炒める、煮る、焼く、揚げるのすべての油料理を鉄器でこなしています。

及富鋳造さんにて


及源鋳造さんにて

使っている鉄器は地元の工場で作られている製品です。作った方からの話を聞いていたら、鉄の道具に対して何となく持っていた先入観がすっと消えていくのが分かりました。

考えていたほどに神経を使う製品ではなく、コツを抑えて上手に付き合っていけば、食べる者が鉄器から与えられるものの方が多いと思ったんです。(鉄=サビ、と先入観でデメリットを並べていたなあと反省…)

鍋やフライパンであれば使用後に火にかけ空焚きして水分を飛ばし、最後に油を塗っておく…といいそうですが、それを繰り返したのは使い始めて2週間ほどだけ。油が鍋に馴染んでしまえば、水分を飛ばすことだけしておしまいにしています。もしくは、布巾で水気を拭き上げたら終了。ちょっと手入れが粗末すぎ?でしょうか。
それでも、翌日にはからっとしていて、もぞもぞ起きてきた眠た顔の私を迎えてくれています。その後、「昨日最後に油を塗らなかった分、多めに敷いておきますね~」くらいの気軽な気持ちで卵を割り入れる前に油を入れています。

また、鉄鍋は洗うときも楽です。
使い終わったそばから熱々のうちに洗うことができます。というか、熱いうちに洗うに限る、と言いたいです。熱いうちであれば水をかけてたわしでこすればそれだけできれいになります。(たわしも、フライパンや鍋のコーティング等を気にせずに済むので思いっきりガシガシ力を込めて洗っています。)

なので私はいつも、出来上がった料理を盛り付けたら速攻でフライパンをシンクへ運びます。そこで洗っておけば、食べ終わるころにはフライパンの水分が飛んで乾燥終了。棚にすぐしまえます。


ここまで、鉄器を使用してきた私の感じた良さをお話してきましたが、一つだけ決定的な欠点があります。

それは、鉄器の「重さ」。
片手で長時間持ち上げておくのは難しいです。ムキムキマッチョな方であれば別ですが、ごく普通の主婦として鉄製でない道具と比べてしまえばどうしても重く感じざるを得ません。
だからもしかしたら、一生付き合っていける道具ではないかもしれない、と考えることもあります。歳を重ねて手に負担がない道具を身近に置いておきたいと思うようになるかもしれません。
でも今の私、少なくとも10年先くらいの私にとっては、こんなに懐の大きさを感じる道具は他にはないと思っています。強く、美しく、与えてくれるものがたくさんあるなら、その分少し他の道具よりどっしりしているなんてことは欠点にはならないのです。

いいことばかりではないのは生きていても同じ。うまくいくことばかりだと一つ一つの幸せや良さを感じにくくなってくる。それと同じで、おおらかな道具の「重さ」という個性を私は、受け止めて付き合っていきたいと思っています。

こんがりふっくら
焼き目の模様も可愛いです

使ってみるまでは自分にフィットするかどうか分からないのが道具ですね。キッチンの道具となると特に、作る人間の特徴や料理の分野、使用する頻度、キッチンの構造など「良い」に到達するまでに様々なハードルがあるように思います。「台所用品」「もっておきたい道具〇選」といった類の雑誌が好きですが、誰かの目利きや流行りの道具が自分に合うかどうかは分からない。

長く付き合っていきたいと思える道具に出会えることは当たり前ではなく、とても幸運なことなんだなあと書いていて感じました。

最後までお付き合いくださりありがとうございました。
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