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東海道新幹線に揺られる(岐阜羽島から米原)

 新緑きらめくまさしく「みどりの日」な朝に、乗り物いのちボーイは主張する。

「いつもくねくねの線路に行くでしょ、そうじゃなくて真っ直ぐの線路を走ってみたい」

 母の頭はクエスチョンマークでいっぱいだ。
 とりあえず最寄り駅に行ってみた。指差ししながらもう一度説明してもらい、納得。

「いつも岐阜方面に行くでしょ、そうじゃなくて羽島方面に行ってみたい」

 と翻訳できた。

 羽島方面。
 今までちょっと、わざと、避けていた。
 とりあえず、要望通りにいつもと反対方向の名鉄電車に乗る。見慣れた、乗り慣れた銀色ボディの車両が、馴染む揺らぎで出発する。

「うわぁー、すっごい景色!」

 散歩でも通ったことのある住宅街。

「広いねぇ、ずっと遠くまでよく見える!」

 羽島方面に買い物に行くときにも通る、田園風景。米どころの羽島市だ、田んぼがだだっ広く続いている。田植えの準備がところどころで始まっていた。

「いつもよりスピードが早いね、新幹線みたい」

 ほどよく揺れる、いつもの速度だと思うけれど。

「そうだねえ」

 反対方面に向かうのだから、すべてが新鮮に映るのだろう。生活圏内の景色でも、車で飛ばすのと電車の速度で飛ばすのとでは、意味合いも違う。がたん、ごとんのレールの音が、旅のはじまりを告げているのだ。

 十五分ちょっとで終点の新羽島についた。手をつないで電車を降りると、目の前の岐阜羽島駅に、新幹線が止まっていた。

「えななひゃけー!」

 飛び跳ね興奮するあまりものすごい早口だ。

「N七〇〇Aだね」

「いいないいなー、ねえママ、これからぼくたちどうするの?」

 にこにこと瞳を輝かせながら、改札に向けて階段を降りていく。パワー溢れる四歳男児は、弾む勢いの足取りだった。
 岐阜羽島はよっぽど止まってもらえない駅だから、各駅停車のこだまだろうか。はたまたほどよく止まってくれるひかりだろうか。東京行きか大阪行きか……。
 どうするもこうするも。彼はこの岐阜羽島駅にはJRの在来線は通っていないことを知っている。わたしの父――彼の祖父のお迎えで、何度も訪れている駅だから。折り返しの名鉄で戻って帰宅するか岐阜へ出るか名古屋に向かうか、すぐ先に停車する夢の列車に手を出すか。

 もしかして。
 羽島方面を望んだのは、計算だったのか?

 マスクの下で唾を飲む。

 岐阜羽島駅の電光掲示板によると、やっぱり停車中の新幹線はこだまだった。大阪行きで、十分後に発車するらしい。

「ねえママどうする? ここは新幹線しかこないよ、新幹線だけしか乗れない駅だよ、あれ? さっき上に新幹線が停車してなかった? ここは新幹線のための駅だから、えぬな」

「わかったから静かに!」

 たたみかける熱を封じるために、わたしまで大声を出してしまう。
 こんな突発的に新幹線に乗ったことなんてない。もっとこう、新幹線に乗るというのは、前もって遠方への旅行計画をしっかり立てて、何時何分発のどの列車の何号車何列目に、とかとかかっちり決めて踏み込むもののはずじゃないか。わたしの三十ウン年の人生においては、そういうものだった。
 券売機に向かう。さてどこへ行くか。後ろでは駅員さんが、メガホンでアナウンスを繰り返している。ゴールデンウィーク期間中はのぞみも全席指定席であること、指定席には特急券がうんぬん。独特のねっちりした早口が、券売機の画面に向かう指を震わせた。
 人差し指は、米原を選んだ。岐阜羽島の次の駅。いま停車中のこだまでいける。にっとはまだ自由席なら無料だ。わたし一人の乗車券で、一七三〇円。以前も米原まで乗ったが、

 岐阜から特急しらさぎで米原を目指した値段とさほど変わらない。
 改札やりたいとせがむ小さな手のひらに切符を託す。エレベーターで大阪方面のホームに向かう。扉が開きます、アナウンスと同時に開けた外には、凛と静かな白い車体。青いラインがきりっと目立つ。東海道新幹線、N七〇〇Aだ。

 自由席は一号車から六号車とある。わたしたちがホームに降り立ったここは、七号車。各駅停車だからか、ゴールデンウィークだというのにがらがらだった。
 六号車の窓を覗きながら歩く。自由席はさすがにそこそこ埋まっていた。とはいえぎゅうぎゅうでもなく、二列シートの片側であれば結構空いている。どうせ次の駅ですぐ降りるのだ、ドア付近で立っていてもいいけれど……。

「ママ見て、あの辺たくさん空いてる」

 五号車に差しかかったところで、にっとが指差す。誰も乗っていない三列シートがいくつもあるじゃないか。

「じゃあ、五って書いてあるドアから乗るよ。ママとにっとくんが一緒に座れる、二つ空いてる席に行こう」

 いともたやすく見つかった。
 二列シートに並んで座る。シートをほんのり倒してから、水筒のお茶で乾杯した。車内はまどろむような静けさに包まれている。新幹線って、考えなしにも乗れるのか。

「靴脱いでいい?」

「すぐつくから履いててよ」

「えー、脱いで楽になろっ」

「すぐ履いてよね」

 わたしのため息に背を向けて、にっとはシートに正座した。発車の合図、ゆるりと滑り出す大きな車体。わぁ、と小さくマナーを守る感嘆の声。

「ぼくたち、遠くに行くんだね」

 車窓に食いつき、まあ名鉄で見たような田園風景が続くのだけど、真剣な顔のにっと。
大垣を通過すると一気に山が迫ってくる。


「緑が違う」

 首を傾げて呟いた。

「あのお山の木、全部緑なんだけど、あの緑とあの緑は違う緑じゃない?」

 母に振り向き、ほら、とまだらな色の山を指差した。深いモスグリーンの木が固まっている側で、みずみずしい黄緑たちが目立つ。その下にはくすんだ黄色の木々が群がる。一口に「山」の「木」と言っても、色は一口では収まらないと、旅の景色から学んだらしい。

「そうだねえ、木の種類が違うんだろうね。木にも緑にもいろんな種類があるんだよ」

「へえ、おもしろいね。あ、お山がすごく近いよ。ぶつかるか? え、待って、もしかして」

 瞬間、車窓が真っ暗になる。

「トンネルか! なるほど」

 トンネルもさんざん通過したことはあるが、山を貫いているのだと、はっきり脳内でつながったようだ。知識や雰囲気で「知っていた」ことが、自分の身に振りかかり、体感して「わかったこと」になる。まさに「百聞は一見にしかず」が、彼の全身で起こっていた。

 まばゆいほどの快晴で、天下分け目の関ヶ原を走っていても、空模様は変わりない。何度か新幹線で西へ旅行に訪れた際、ちょうど関ヶ原から急に曇ったり雨が降ったり、反対に晴れたりもしたことがある。今日は天気に分け目はないようだった。

 十分と少しで米原に到着した。
 三ヶ月ぶりの米原だ。前回と立つホームは違っても、季節がひとつ動いていても。すんと鼻から身体中をほぐす、落ち着いた空気は同じだった。
 計画があるとかないとか、目的地が終点か次の駅か。そんなことはなんでもいい。乗ってしまえば景色を日常から切り離し、どんな町にもさらってくれる。風より早く、知らない町へ。発見だらけの景色を越えて、新たな自分の心へ向かう。

「ふう。新幹線、気持ちよかったね。ぼく一気にお腹空いちゃった。お弁当屋さんに行こう」

 降りた列車が見えなくなるまで手を振ると、まだ十時を過ぎたばかりなのに、にっとは昼食をほのめかす。自宅最寄り駅から出発して三十分ほどしかたっていない。その短い中に、頭も心も充分燃えた。降り立ち一息ついてみたら、想像以上に力が抜けたのだろう。
 さて。ここからなにを味わい、どう揺さぶってくれるだろうか。まずは改札を抜けるため、エレベーターを待つ。


(つづく)

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