両親の離婚よりも悲しい事😭

前回の大好きなクラス大好きな先生❤️からの
続きですが、単に続き、と言うより
6年生、私の人生初の転機となり
生活が一変していきます


私には1つ年上の姉がいる。
いつも喧嘩ばかりしていた。
酷く意地悪をされた日は、
「明日の朝、起きたら、突然おねーちゃんが居なくなってくれてないかなぁ!?」
なんて思う事は何回もあった🤭

ある日、父と母が離婚する事になった
私は全く驚かなかった。
父は小さい頃から家にいた事がほとんどなく、
どこかに連れて行って欲しいとお願いすると、
母の口癖は、「お父さんに聞いてごらん。😊」
で、父は必ず「いいよ!」と答える
が、その約束の朝、家にいた事が無かった😵
何回も何回も約束を破る、嘘つき父さんだった。
いつの間にか
父に何かをお願いする事はなく
何かを期待する事もなかった。

私は普通に母と暮らすものだと思っていたが
親戚会議みたいなものがあり、
叔母にどちらと暮らすか?と聞かれた。
母は怒っていた。子供にそんな事を聞くなんて、、。

その時に、姉は父と答えたのか?
私は姉とは別々に暮らす事になった。

母の兄を頼りに隣の県に引っ越す!?って??
聞いてないよー😥まさかの転校だ‼️
私は父、姉と離れる事より
何よりも、転校が悲しかった😂
でも仕方がない。
母は仕事を探さなければいけないし
この狭い町にいるよりも良い仕事が見つかると、
私も思ったからだ。

クラスでは私のお別れ会を開いてくれた。
お手紙、プレゼント🎁などをもらって
プレゼントのお返しを母が用意してくれた✨
涙のお別れ会🥲みんなとさよーならをした。
みんな元気でね。私を忘れないでね。

私は家に帰ってもずっと泣いていた。
初めて母に本音を言った。
「転校したくなかった。みんなと卒業したかったな。」
母を困らせる気持ちはなかったが、
ただ、涙が溢れて止まらなかった。

何日かして母が転校しなくていいよ。
と言ってきた。他県には行かずに
ここで仕事をして頑張るからと
まさか!
決まった事が覆るなんて!!思ってもなく、
私のせいで、、。
母は何も言わないけれど
無理をしている事は何となくわかった、
けれど。。
私は転校しなくても良い事が本当に嬉しかった。 
「転校しない事になりました。」
と言うのはかなり恥ずかしかった。💦
何だよー💢って思ったクラスメイトもいたと思う。
ごめんなさい。って気持ち。
でも、私はこのクラスのみんなと卒業したかったー
ありがとう😊
今思うと、となりの県と言っても
そこまで遠くでもないのにね、、。
クラスと言う、狭い世界しかしらない当時の私には
この世の終わり位に悲しかったのだ。

アパートで母と2人の新たな生活が始まった✨

姉は父と暮らすのか??疑問だったが
家に帰っても来ない父と、暮らせる訳もなく。
祖父の家で暮らす事になったようだった。
知らんけど。。。
祖父は怖〜くて厳しくて。
そうゆうイメージだったから。
なんとも可哀想だね、
仕方がないのだ。ざまーみろー
そう思っていたのだが、、。

時間が経つにつれ、
学校帰りに姉のところに遊びに行くようになっていた。
気がつくといつも姉と過ごしていた♪
姉の部屋には、何でもあった。
私の暮しとは、まるで違うお姫様みたいなお部屋だ!
不思議と羨ましいとか、惨めな気持ちはなかった。
素敵な部屋✨で、ただ姉といるのが楽しかった。
あんなにも居なくなれ!って思っていた姉なのにね😜
一緒にお風呂に入ったり、学校の話をしたり
当時大人気のチェッカーズのレコードを聴いたりした♪


その頃、
母が、既に病に侵されていたとは知らないで。

次回はこの続きから。

私は母の話は滅多にしません。
涙が出てしまうからです。
私が泣き出しても大丈夫な人の、
前でしか多分できないんですね。

自分の人生を振り返ってみた時に
やっぱり、心にあるのは母の事です。
文章にする事で
母の事を人に話せるのかなって思います。
まだまだ、小学時代の
面白エピソードたくさんあるんだけどな👀
書きたい事を書いてたらこの流れに。
コレからも流れにまかせて、自由にいきまーす。

ここまで読んでくれてありがとう。
次回もこの続きで良かったら❤︎お待ちしてます

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