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関係性のグラデーションを受けとめる(『モアザンワーズ/More Than Words』感想)

ずっと見ようと思ってウォッチリストに入れていた絵津鼓先生原作『モアザンワーズ/More Than Words』を一気に見た。約30分×10話の物語を日曜の夕方から見始めたのは間違いだった。いや、本当は途中で見るのをやめるつもりだったのだが、物語に引き込まれたまま抜け出せなかった。翌日はもちろん寝不足で仕事に行った。それほど静かな引力を持つ作品だった。ちなみに絵津鼓先生の名前は以前から知っているし作品を手に取ったこともあるが本作の原作は未読なので近いうちに読もうと思っている。

以下雑感。

・関西弁の軽やかさがドラマの重さをちょっと和らげているような気がする。

・美枝子を演じる藤野涼子さん、どこかで見覚えがあると思ったら『腐女子、うっかりゲイに告る。』の人だった。

・エピソード2、酔いつぶれた永慈が「ふつうになりたい」とつぶやくところ。『ふつう』、なりたいよなあと心の中で同調する。誰かを好きになりたくて勇気を出して同じ性的指向の人たちが集まる場所に行って、せっかくいい雰囲気になった人がいたのにキスしてもなんだかしっくり来なくて逃げ出して……のくだりが切なかった。人を好きになりたいとか、付き合いたいとか、そういうことを人生の重要な課題として挙げる人が間違いなく存在していることを突きつけられる。わたし自身も恋愛感情は持つけど「付き合いたい」にはすぐにつながらないし、性欲ゼロではないけど手をつないだりハグしたりなどの身体接触を気軽にできないので、なんとなくではあるけど共感もできる場面だった。

・エピソード5、美枝子が「このふたりがずっと、一緒にいられますように」とモノローグが入るところ。全部見終わってからこの言葉を思い出すとウッと胸が詰まるが、それを抜きにしてただ見ても微笑ましいのにもの悲しかった。「ずっと」の不確かさが既に漂いすぎている。

・エンディングテーマが全10話で計4曲使われていて、第8話から10話のエンディングになっていた、くるり『八月は僕の名前』が良かった。


特別すっきりする終わり方でもないし途中でつらい展開もあったけど、『好き』や『交際』について考えている最近の自分にとって見る価値が十二分にあるドラマだった。そういうものの持つグラデーションについて、受け取るものが多いドラマだと思う。そもそも見る価値って何だという話だし実際見る価値なんてあってもなくてもよいと思うが、今のわたしがこのドラマと出会ってよかったと思う。もはやこのタイミングで出会うために長らくウォッチリストに入っていてくれたのではとすら思う。

特別恋愛感情のない相手と付き合ってみることも、そもそも付き合ってるのかどうかよくわからない関係も、すべて正解も不正解もなくてただその人たち同士で納得できていれば別にいいんだよなあ、という気になる。外野が関係性につける名前にこだわることはない。わかりやすくない関係はこの世にたくさんあるだろうし、そういうものに無理やり名前をつけたがったりジャッジしようとするのは、結局ただの自己満足でしかない。はっきりしないものをはっきりしないままにするのはどこかむずむずするけど、白と黒の間にいろんなグレーがあること、それはどう頑張ってもその時点では白にも黒にもならないことを知っていくしかない。

ありがとうございます。