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ホラー短編 動きまわる、もう一人の自分

 ドッペルゲンガーとはドイツ語で "動きまわる、もう一人の自分" という意味なんだ。
 けっこう知られた現象で、スティーブンソンや芥川龍之介なんかはドッペルゲンガーをテーマに小説を書いてるね。その他ホラーやSFなんかのいろいろなコンテンツで取り上げられているから、知ってる人は多いと思う。

 部長が言った。
 僕たちは超常現象研究会というサークルのメンバーだ。テーブルには一年生のメンバーが三人。場所は学食。二限目が終わり、夏休みの合宿地を決めるミーティングのために僕たちは集まっていた。ところが早々に部長の話が脱線し、今はなぜかドッペルゲンガーの話題になっている。スイッチが入った部長は延々と講演をしてしまうので大変だ。このままだと昼休みの間は合宿の話が進まないかもしれない。

「へぇ~。ドッペルゲンガーってドイツ語だったんですね。ドイツに合宿っていうのも良さそうですが、サークルの予算ではちょっと難しそうだし、今年の合宿、結局どこがいいですかねぇ」
 経済学部の二瓶が合宿の話に戻そうとした。いいぞ。その調子だ。一旦スイッチが入った部長は話が止まらなくなる。せっかく集まったのに、昼休みが無駄な時間になってしまうと心配になった僕は心の中で二瓶を応援した。
「ドイツかぁ。ドイツはいいね。ヴァルプルギスの宴で有名なブロッケン山とか、ハーメルンの笛吹きもドイツが舞台だ。グリム童話で有名なメルヒェン街道なんてのもあるしな」
 まずいな。部長のドイツトークはまだ続きそうだ。なんとか話の軌道を変えないと。

「でもまぁ予算がないですもんね。僕たちのポケットマネーで行けそうなところだと、やっぱり国内に限られますよね」
 僕は部長の意識を合宿に戻そうと、予算の話に戻した。
「そうそう。去年も行ったみたいですけど、また遠野なんてどうです? 妖怪が有名だし、去年は時間が足りなくなって調査不十分だったと聞いてますけど。僕行ってみたいなぁ」
 三津田が僕に合わせて遠野の話題を提供してくれた。これで部長の頭が合宿に切り替わってくれるといいが。

「遠野かぁ。確かに去年の二泊三日の合宿じゃあ消化不良だったよね。今年もチャレンジしたい気持ちはあるかなぁ」
「あ、座敷わらしですね? また同じ宿にしましょうか?」
「そうだね。去年楽しかったし、また遠野もいいかもな。
 そういや座敷わらしは認知症患者の幻覚説なんてのもあってね、幻視症状が出やすいレヴィ小体型認知症に罹患した人が見た幻視だったんじゃないかって説があるよ。昭和以前にはレヴィ小体型とかアルツハイマー型とかの認知症の分類は無かったからね。認知症は "ボケた" とだけの表現だったし、認知症の症状が出やすい高齢者なんてのは "お迎えが近くなったからあの世の存在が見えやすくなった" なんて解釈されてた時代だし、座敷わらし認知症幻視説はあながち的外れでもないかもしれないよ。
 もっとも認知症幻視説は今日までに多く伝えられている妖怪などの昔話全般に言えることだけどね。先に話したドッペルゲンガーだって、幻視説に当てはまるのかもしれないな。ドッペルゲンガーに会ったら死期が近いというのも……」

 本格的にまずい。部長のエンジンが温まってきてしまった。
「部長、昼飯は食べました? 昼休みの時間は限られてますし、昼飯食べながら合宿のミーティングしません?」
「おっとそうだね。じゃあ何か買ってくるよちょっと待っててっと……アレ?」
「どうしました?」
「あれれ、財布がないや。教室に置き忘れてきたかな? ちょっと教室戻って探してくるわ。みんなは適当に話しててー」

 そう言って部長は学食をあとにした。それにしても嵐のような時間だった。合宿の話し合いのはずなのに、部長が話し出すと遅々として進まない。困ったもんだ。

「やあ、みんな集まってるね。お待たせ―」
 さっきまで話していた部長がまた僕たちに話しかけてきた。手は担々麺をのせた学食のトレーを持っている。
「あれ? 財布あったんですか? ていうか担々麺買ったんですね。それにしても買ってくるの速すぎません?」
 部長が席を離れて学食の出入り口に向かって歩いて行ってから、まだ一分と経っていないはずだ。体感時間で二十~三十秒くらいか。部長が学食の食券機で食券を買って、“麺類” コーナーに並んで食券を出して、調理してもらって提供されるのにはいくらなんでも速すぎる。

「その担々麺、誰かにもらったんですか?」
「は? ちゃんと並んで買ったけど。どうして?」
 僕たちは顔を見合せた。
「え、いや、さっきいろいろ話したあと、財布がないから教室まで行って探してくるとか言ってたじゃないですか」
「何それ? 授業がちょっと押して終わって、昼飯を食いながら話そうかなって思ったんで担々麺を買ってきたんだよ。財布もちゃんとあるぞ」
 怪訝そうに部長が言って、僕たちはまた顔を見合せた。
「いやでもさっき、ドッペルゲンガーの話とか遠野の話とか、レヴィ小体型認知症の話とかしたじゃないですか」
「お前たち何言ってんだ? 俺は授業が終わったら真っ直ぐ学食にきて、麺類コーナーに並んでたんだよ。お前たちと顔を合わせるのは、今日は今が初めてだ」

 僕たちはまたお互いに顔を見合せた。
 みんな目を見開いている。事態を把握して、みんなの顔色は徐々に青ざめていった。

 ドッペルゲンガー幻視説は、どうやら間違いのようだ。




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