見出し画像

朝の炊事

 大学生の時に父方の祖父が亡くなった。自分は訳あってその祖父の持ち家に大学入学後に引っ越してきたのだが、その頃にはもう祖父はボケており93歳で亡くなるまで一度も病院から出ることの無い最期だった。葬式を終えた後も暫くは自分が住んでいる祖父の家に、父親とその兄(以降、叔父と表記)が出入りしていた。自分は2階の部屋を使っているのだが、ある日朝起きてスマホを見ながらゆっくりと階段を使って1階に降りていくと、1階の居間から父と叔父が少し慌てたそぶりで顔を出し、降りてきた自分を見上げた。その表情は少し青ざめていたが、自分を見ると2人も安堵の表情を見せ
「なんだお前か」と呟いた。どういうことかと尋ねると、過去にこんなことがあったらしい。

 まだ自分が5歳だった頃、父方の祖母が亡くなった。葬式を終え四十九日を迎えるまでの、まだバタバタしている間、父と叔父は同じように祖父の家に泊まっていた。その日は居間に父・叔父・まだ元気だった祖父の3人で寝ていたらしい。他には誰も家にいなかった。朝の5時半頃だったであろうか。2階からトントントンと誰かが降りてくる足音がして、居間の前の磨りガラスを人影がガッツリ通り、台所の戸がガチャっと開くのを3人が同時に目撃した。起きる時間、通るルート、立てる音全てが、生前の朝の炊事の支度をする祖母のそれだった。祖母は2階の今自分が使っている部屋の隣の部屋で寝ていたのだ。

 そんなこともあり「今度は祖父が降りてきた」と思ったのだという。なので自分は叔父から「よく1人でこの家住めるなぁ」と言われた。それから暫くは頻繁に友達を家に招き泊まらせる生活をした。

 亡くなった人の魂は、生前の習慣やルーティーンをトレースするかのように行動するのだろうか。飛び降り自殺をした人の幽霊が落ちる時の音を伴って繰り返し現れたり、行きつけのbarのカウンターの末席に現れたりするのも似たようなものかもしれない。「そうしたいから、そうしよう」という自律的な意志に従って何度も行動しているというよりは、生きていた頃に何かしら執着していた心の一部みたいなものだけが抜け出て、同じところを彷徨ってリフレインしてしまう人もいるのかなと、くだらないことを想像してしまった。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?