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ノスタルジック京都:プロローグ

西に向かう新幹線が東山トンネルに差しかかると私の心は落ち着かなくなります。やがて列車がトンネルを抜け東寺の塔(ヘッダーの写真)が見え始めるとそれが懐かしさに変わり心が落ち着いてきます。昔の記憶が蘇えってくるからです。

私は中学から大学まで京都で過ごしました。生まれたのは京都ですが、父親の転勤に伴い家族は日本のあちこちを転居していました。京都に戻ったのは私が中学3年生の時です。だから私の京都の記憶は中学から大学までの10年ほどです。でも、いちばん多感な時期を過ごした京都は私にとって大切な故郷です。

家は北区の紫野というところにありました。一休さんで有名な大徳寺の近くです。紫式部や小野篁のお墓(と伝えられている)が近くにあり、茶道の家元である表千家と裏千家の家も近くにありました。

紫式部の墓
小野篁の墓

中学校は家が学区のはずれにあったので通学に30分近くかかりました。市電(チンチン電車と呼んでいました)で通学することもありましたが、徒歩での登下校はとても楽しい時間でした。あちこちから聞こえてくるトントンという機織りの音、紅殻格子の奥から響いてくる琴の音、道行く托鉢僧の読経の声、そしてそれを聞きつけた町の人が喜捨の小銭を握って路地から駆け出してくる下駄の音などは心地よいBGMでした。道端に祭られているお地蔵さんは私を守ってくれているような気がしました。下校時もお寺の鐘の音が夕暮れの中に響き、心を落ち着かせてくれました。

高校は大徳寺の境内を抜けたところにありました。名物和尚と言われた大仙院の住職さんが落ち葉を掃き集めながら「しっかり勉強しなはれ」と声をかけてくれたのも懐かしい思い出です。

大学時代京都の町をあちこち動き回りました。数えきれないほどの神社仏閣も訪ねました。どんな小さなお寺も手入れがきちんと施され、そこに身を置くだけで心が落ち着きます。四季折々に美しい色を見せる東山、その麓を流れる疎水沿いの道(哲学の道)は大好きな散歩道でした。竹に囲まれた嵯峨野を歩くのも好きでした。本堂で仏さまと対話するのもいいですし、何も考えずに瞑想するのも好きでした。静かにお庭を眺めるだけでも心が癒されました。

私が京都を離れて50年近くになります。かつて住んでいた家はもうありません。でも京都を訪れたときにはその場所にしばしば足を向けます。その際は昔の記憶が一気に蘇ってきてノスタルジックな気分になります。

そんな京都の記憶を『ノスタルジック京都』として綴ってみようと思います。まったくの個人的ノスタルジーですがお読みいただけたら嬉しいです。



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