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ノスタルジック京都:大学で出会った鬼と仏

大学は京都の私立大学に行きました。国立大学は最初から念頭にありませんでした。理数系が苦手なので合格できるとは思っていなかったからです。同時に父と兄が同じ京都の国立大学を出ていることも理由のひとつでした。私も当然そこを受けるだろうという周囲の「無言の圧力」を感じていたからです。私のささやかな抵抗です。

自宅から通える京都市内の大学を選んだのは私が行きたい東京の大学に行くことを親が許してくれなかったからです。ずいぶん悩みましたが、学費を出してもらえるだけでも有難いと思い我慢しました。そして東京のその大学は30年後に大学院進学という形で実現しました。夢はいくつになっても実現できることをそのとき学びました。経緯については『教員を辞めて大学院に進学』という記事に書いています。

大学で専攻したのは英文学です。フランス語を学びたかったのですがその大学には仏文科もフランス語科もありませんでした。だからフランス語は独学で勉強しようと考え、第二希望の英文学を専攻しました。進学先は明治時代に英学校として設立された大学で、英文学科は伝統ある学科です。

なお、フランス語の独学については以下の記事を書きました。

こうして第一希望ではない大学で第一希望ではない英文学の勉強が始まりました。英文科の指導教授は「鬼教授」と呼ばれる厳しい先生でした。17世紀~18世紀のイギリス文学を研究されていました。「鬼教授」といううわさから先生の指導を敬遠する学生が多い中、私はあえて先生のゼミを選びました。せっかく勉強するのですから厳しい指導を受けて文学に本気で取り組んでみようと思ったからです。(なんとまじめな学生!)

指導はうわさ通り厳しかったです。ダンディーで穏やかなお人柄の先生ですが、ゼミでは難しい質問が次々に飛んできます。弱点も厳しく指摘されました。実証的分析を徹底して行うこと、資料はかならず原典にあたることをいやというほど叩き込まれました。課題も毎週のように出されました。しかし指導は厳しいですが質問には丁寧に答えてくださいました。夜遅くまで研究室で勉強されておられましたが、いつ行ってもご自分のことを後回しにして相談に乗ってくださいました。「厳しいけれど温かい」というのがゼミ生の一致した感想でした。卒論の執筆時にはどれだけお世話になったかわかりません。敬虔なクリスチャンでもある先生はキリスト教の話もよく聞かせてくださいました。大学創立者を深く敬愛し大学愛は人一倍強かったです。

そんな先生も研究を離れれば別人のようでした。温厚で優しい方です。ゼミ生を北白川のお宅に招いて奥様の手料理でもてなしてくださることもたびたびありました。私は先生の中に「鬼」と「仏」を見た気がします。

先生は私が卒業した年に在外研究でアメリカのハーバード大学に行かれました。3か月ほどたった頃です。一通の航空便が私の元に届きました。先生からでした。中には手紙とともに私がかつて提出した数本の課題レポートが入っていました。手紙にはアメリカでのご様子と、卒業前に返却すべきであったレポートをアメリカから送ることになったことへの謝罪の言葉が書かれていました。

稚拙な英語で書かれた私のレポートですが、それぞれにスペリングのミスや時制の間違いなどが赤で正され、丁寧なコメントが添えられていました。卒業してレポートのことなどすっかり忘れていた私は先生の律義さに驚くとともに、ご自身の研究でお忙しいにもかかわらずレポートを添削して航空便で送ってくださった先生に頭が下がる思いでした。

アメリカから帰国後数年して先生は地方の大学の学長になられました。現在は高齢者施設でお過ごしと聞いています。先生には今も感謝しています。



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