新しいルール、新しいツール

Xを眺めていたらテレワークはサボりだとか、作業効率が悪い失策だという論調が目についた。
テレワークの減少はAmazonしかりZoomしかりどこでも引き起りつつあるようだ。
これを見て思ったことをつらつら書いていきたい。
お付き合いいただければ幸いです。

まず思ったのがテレワークはまだ知見があまりにも乏しい働き方だということだ。
どこの国でもこれほどまでに物理的な接触を除いて仕事ができる世界になったのは初めてのことではないだろうか?
これまで人が当たり前に行っていた対面という行為を全く介在しない働き方に戸惑っている印象を多分に受ける。
そのため普段とはあまりにも違う行為に大勢の人が惑っている。
惑いは安定を求める。
容易な結論、つまりテレワークは生産性が低いと。
テレワークでうまくいく方ももちろんいる。
だがその結論は個人の資質に行きつき、組織がどうすればよいテレワークを身につけられるのかの議論に発展しない。
どうすればテレワークを活かして生産性を向上できるのかでなく、どうすれば元の生産性に戻せるのかに意識が向いている。
これでは絶対に新しい手法は生まれないと感じる。
例えば私はあまり仕事の出来が良くない。
覚えも良くないし、萎縮しやすい質なので対面で怒られると非常に強いストレスを感じる。
しかしテレワークであれば文字ベースでの指示のため怒りがフィルターにかけられるし、他人の一挙手一投足の苛立ちを目にしなくて済む。
こういった面だけにとどまらず、移動時間のロスを防げるのも大きい。
仕事終わりに資格の勉強をしたり、別の技術について学べる時間を存分に使えることはとても大きなメリットだと感じる。
これは個人ベースの見方でなく、会社としても有限である社員の心身の負荷を減らせれるだけにとどまらず、交通費や会社の物理的な空間確保を避けれる点で大きなメリットがあるはず。
そういった便利さによって恩恵を受ける人間の出現よりも既存の状態を保持したくなるのは決定権を持っている人間がそういった恩恵を受けることなく決定権を持つに至ったからだと思う。
だから体制は変わらない。
テレワークは生産性の低いダメな仕事のやり方と切り捨てられる。
けれど次の時代を築くのはそういった新しい制度を活用する人間だけだと感じる。

かつて織田信長は鉄砲を巧みに利用して長篠の戦いで鮮烈な勝利を飾った。
当時鉄砲は非常に高価(一説では1丁で2億円したとか)かつ濡れると使い物にならなかった。
また他の戦国武将たちも鉄砲の存在を知っていた。
けれども誰一人それを使いこなす術を思いつかなかった。
織田信長を除いて。
彼は柵を使うことで打ち手が安定して銃を使えるように運用したり、交代制(これは諸説ある)を用いて銃撃のラグを減らす工夫をしたという。
私は歴史についてそこまで明るいわけではないので間違いも散見されるだろうからこの辺りにしておく。

ここで言いたいのは新しいツールや概念を既存の概念で塗りつぶして機会を失ってはいけないということだ。
新しいルールやツールを既存の価値観と照らし合わせて判断するのでなく、既存の価値観に存在しないメリットを最大限に活かす工夫を模索するべきなのではないかということだ。
誰かのロジックに支配されて目先の検証や工夫を怠っているのではないだろうか?

新しいツールが迎え入れられ、新しい価値が創造されることが増える社会ができることを秋の夜長に思いはせる。

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