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引っ越しとエゴとシャー

「住まい」は大事だ。私の場合は「事務所兼自宅」のため、1日のほとんどの時間を「家」で過ごす。猫が三匹いる我が家はメゾネットになっていて、1階が事務所、2階がプライベート空間。
 
 半年前、いまとほぼ同じ間取りの家から、いまの家に引っ越した。間取りが同じなら引っ越す必要もないのでは、と思われそうだが、どうしても引越しがしたかった。前の家は長屋型の集合住宅で、1階の土間で「好きな商売」をしていいという職住一体の実験的な住居だった。場所は東京郊外の緑の多い公園の中。私はもともとの商売である出版社をやりながら、3畳ほどの極小書店をオープンさせた。しかし意気揚々とはじめた書店だったが2年の契約更新をせずにいまの家に引っ越してしまった。書店は完全にオンラインに移行してしまった。

「せっかくはじめたのに、どうして」と思うだろう。
 メディアの取材を受けて「いい暮らしです」なんて話をした記憶もある。
いちばんの理由は「プライバシー」の問題。ずいぶん悩んだ。公園の中の素敵な物件に「どうもお店があるらしい」と近隣の方々が集まってくる。「何ができたんだろう」、「どんなお店があるんだろう」と中を覗き込んでくる。書店をオープンしているときは全然構わないのだが、それ以外の日も中を覗き込まれる。「覗き込まれる」という言い方には私の悪意がこもってしまっていて、表現として間違っているかもしれない。訪れる人に悪意がないことはわかっている。犬の散歩のついでの人、サービス精神旺盛なうちの猫を見にくる人、みんないい人たちばかりだ。しかし、いい人だとわかっていても、どうしても見られることにストレスが溜まってしまう。
 そもそもなぜ中を覗き込まれるのが嫌かというと、店の奥にはキッチンがあり、仕切りはあるものの、私はそこに住んでいるわけで、生活の一部が注意していないと外からも見えてしまうのである。はじめのころはご近所づきあいだし、お客様だし、ぜんぜん構わないと思っていた。しかし月日が経ち、生活が安定すればするほど、書店の奥にある「生活」が漏れてしまうことが耐え難くなってしまった。いろいろ曝け出したエッセイを書いてきたわりに、生活の全てが露出するのは嫌なようで、自分の器の小ささを痛感する。

 ひとつ、きっかけとなる事件があった。ある日、新卒の同期(20年くらい会っていない男性)が急に店に現れた。やけに馴れ馴れしく、どうも私のFacebookなどの投稿を見ていて会わなかった間の溝が埋められ親近感が湧いていたようだ。あいにく私は彼の20年を全く知らないので、そのズレを「気持ち悪いなあ」と感じながら接客をした。決して見た目がキモいとか、話し方がキモいとか、そういう気持ち悪さではない。たいして知らない人なのに、私のことを“よく知っているふう”に話すことに気味の悪さを感じたのだ。まるでずっと連絡を取り合ってきた友だちみたいに。
 ようやく帰ったのでほっとしていたら、「久しぶりだったけど、変わらずかわいいね、仕事手伝おうか(略)」みたいなDMが送られてきた。私は吐きそうになった。しかしこういう事態を招いているのは私が原因だ。何気なく更新している無防備なSNS、法人だから住所は公開されているし、オートロックはなく、家の中も丸見え。しかもお店のオープン時間には必ず私がいるわけだ。

 お分かりの通り、物件を非難しているわけではない。みな親切だし、良い場所であった。ご近所さんと「おはよう」と声をかけあう生活は、心を豊かにしてくれた。何かに挑戦したい人には入居をすすめたい。しかし私の場合は心が耐えきれなかった。中を覗き込まれるのが嫌だった。知らない人に知っているように話されるのが嫌だった。人慣れしている猫たちがつくづく羨ましいと思った。
 
 こう書くとよほど神経質な印象を与えるかもしれないが、そんなことはない、と思う。初対面でも全然大丈夫だし、大学時代は書店員を4年やっていたので接客業も得意だ。ではなぜこうなったのかといえば、私の「生活」と「仕事」が結びつきすぎているからかもしれない。
 
 私の仕事は「生活」と「仕事」をはっきりと分けるのは難しい。毎日ぼーっと映画を見ているようで、「これ、どうしたら本になるかなあ」と考えたり、好きな作家の本を読めば、「いい本だなあ、私だったらどう原稿依頼するかなあ」とか、いつもそんなことばかり考えている。会社員時代は、土日に仕事が入れば代休をもらえたが、ひとりで仕事をするようになると、代休なんてものはなくなる。そして土日にもなにかしらやりとりをするから、結局PCを開かない日なんてほとんどない。面白いこと、悲しいこと、楽しいこと、大笑いすること、美味しいご飯を食べること、そのすべてが「これ、何かのネタになるかも」と頭の片隅にあるので、生活と仕事を切り離すのは難しい。
※これは余談だが雑誌の手伝いでいろいろな人に話を聞くこともあるが、オンオフの切り替えができている人を見ると驚く。もはや違う生き物なのではないかとすら思う。しかしそれが「すごいこと」だとは思わない。むしろ「オンオフできる仕事なんて、だせぇな」とさえ思う。うちの会社、ブラック企業みたいですね、暴言、ごめんなさい。
 
 ちなみに今日の私は「オンラインショップを活性化させる営業電話」を冷たくあしらい、ソファと机を行ったり来たりしながらずっとメールを返し、5月に出る本の原稿を整理し、そして暇つぶしにこのテキストを書いている。オンオフできるような「意識高い系」からは程遠く、あっちに行ったり、こっちに行ったりして、他人から見たら生産性は皆無だろう。しかし、こうみえて、実は誰にも邪魔されずにぬくぬくと自家発電しているのである。
 
 私の仕事場は他人の視線が行き交うオープンスペースではない。プライベートと仕事の境界線が曖昧な特殊な場所だ。そんなところで7、8年過ごしていると、誰かの「視線」をノイズに感じてしまうようになってしまった。通りすがりの人なら気にならない。スタバで仕事をするのも全然苦ではない。視線を向けられ「好奇の目」で見られることが嫌なのだ。
 
「ジロジロ見てんじゃねーよ」
 と言うのは昭和の不良だが、まさにそんな気持ち。相手に悪意がなくても喧嘩になってしまいそう。ましてや、私は血気盛んなので、
「やんのか、コラ!」と言ってしまう前に、引っ越しを決断した。
 興味を持ってもらえるなんて、ありがたいではないか。人に好かれるなんて最高じゃないか。というのは少し能天気すぎる。知らない人から自分に向けられた好奇心なんて怖すぎる。というか圧がすごい。そう言う意味では作家業のみなさんは本当にすごいと思う。
 
 引っ越して半年。普通のマンション生活にほっとしているが、ひとつだけまたプライバシー問題で悩んでいる。普通とはいえちょっとだけトレンディなつくりのマンションで3階には共有テラスがある。そしてその場所に掃除に行くには、2階の我が家のベランダを通らないと行けないようになっていて(設計よ……!)、二週に一度、清掃のおじさんが我が家のベランダに入ってくるのだ。2階には洗濯物を干していて寝室もある。もちろんおじさんも仕事だからやっていて悪意なんてない。でも、やっぱり嫌で嫌で仕方ない。私が気にしすぎかもしれないし、清掃が行き届いているマンションなんて素晴らしいはず、と何度も言い聞かせる。しかし、やっぱりどうにも嫌なので、「1カ月に1回くらいでいいのでは」と今度大家さんに相談しようと思う。心身ともに健やかに過ごすためには戦いが必要だ。安寧は勝ち取らねばならないのだ。

 そういえばうちの末っ子猫だけは、家に人が来るとシャーシャー言う。私はいつも「感じが悪い猫だなあ」と思う。私の縄張り意識は、この猫に近いのかもしれない。

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