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金欠の時こそ陽気に過ごすんだぜ

 月末になると銀行に行く。オンラインバンクも利用しているが、毎月の通帳記入と振り込みはオンラインで済ませずに自分で行う。ひとりの会社だからそこまで件数が多くないということもあるが、会社員ではないこともあり毎月の支出入を確認することで自分を律する気分になる。
 昨年末は大きめの出費があり、その補填が三月末になるため、二月から三月は貧乏生活だった。契約上、私の会社が立て替えただけだから、まもなく残高が戻るのはわかっているが、残高の少ない通帳をみると憂鬱になる。十二月決算だから昨年の決算の数字も悪い。なんだか悲しい。気分が落ち込んでしまって、会社と私個人のお財布は別だけど、少しでも節約しようと美容院にも行かずにいたら、髪が真っ白になってしまった。
 人に会うことが多いから、さすがに見苦しいと思い、二カ月ぶりに白髪を染めに美容院に行った。
 席に着くと雑誌読み放題のタブレットを渡される。せっかくなので普段読まないような女性ライフスタイルやファッション系の雑誌をせっせと読む。しかし銀行残高が脳裏にチラついて全然楽しめない。特に「五十代からの素敵な生活」、「素敵なインテリア」系の記事。その背景に写り込むバカでかいリビング、田舎暮らしを謳歌する丁寧な注文住宅、素敵なインテリアをさっと購入できる金銭感覚。雑誌の「なかの人」が羨ましくてしかたないのだ。
 雑誌は読者に夢を見せる。「あなたもどう?」と理想の暮らしを提案してくる。しかし自分が底辺にいる気分で読むと不甲斐ない自分が情けなくなる。
「いいよね、バブル世代は」
「旦那の金だろ」
と、汚い言葉で頭がいっぱいになる。荒んでいる。もはや絶望に近い。
 読み進めていくと「向田邦子が使っていた万年筆」が紹介されていた。ついつい欲しくなってアマゾンでポチりそうになってしまうが、グッと堪える。だって私は貧乏なのだから。

 散々卑屈になったところで、自分の理想の家を考える。私は平屋に住むのが夢だ。
 猫と本と一緒に住めるこじんまりとした物件はないかと、「物件ファン」や「R不動産」をうっとり眺める。いまの家にはあと五、六年は住もうと思っているから、いまのところ引っ越しの予定はないが、ついつい見てしまう。ついつい見たりするから、引っ越しがしたくなって、これまで賃貸物件の二年更新をほとんどしたことがない。だから全然お金が貯まらない。このあとも何回か引っ越しをするだろうから、自分がどこで死ぬのかなんて予想もつかない。でも、それはそれで楽しい。

 いま事務所があるのは大井町線の緑ヶ丘という駅だ。たまたま読んでいる本に北原白秋が出てきたので調べてみると、「大田区馬込緑ヶ丘」に住んでいたと書いてある。「ご近所だな」と思うと急に親近感がわく。ついでにお笑い芸人のカズレーザーさんが「熊谷高校出身」というのを先日たまたま知って、これまた親近感がわく。同じ風景や空気のなかで生きてきたと思うと、自分と感性が近いのではないかと思うが、思い返せば同郷でも嫌な奴はいたし、外国メーカーの車博覧会のような緑ヶ丘の高級住宅を見ると、仲良くなれなそう……と思う。

 気になったので、AIに文豪の引っ越し事情を聞いてみた。

江戸川乱歩は、生涯で計四十六回も引っ越しを繰り返しました。森鷗外は、生涯に何度も引っ越しをしており、東京の十二カ所に居を構えていました。夏目漱石は、イギリス留学までの四年三カ月を熊本で過ごし、在住中に六回の引っ越しをしています。

 いやいや、文豪よ、引っ越しすぎだろう。移り気な方が創作活動にいいのだろうか。ちなみに北原白秋は五十七年の生涯のうち、二十七回の引っ越しをしているそう。緑ヶ丘の家は二十三回目。赤い屋根の洋館は「白秋城」と呼ばれて、昭和二年三月から翌三年六月まで住んでいた。短いスパンだ。
 白秋をはじめ多くの文豪がどうであったかはわからないが、とりあえず飽きてしまう気持ちはわかる。「わかった気」になると、もういいかな、と思う。お金はかかるけれど環境を変えたい。「新しい自分」というと途端に胡散臭いが、ずっと同じでいることは耐えられない。「安定」と「不安定」と聞くと、不安定のほうが面白そうと思ってしまう。立派なスーツを着たサラリーマンより、平日の昼間から酒を飲んでるおじさんに話を聞きたくなる。だから私は死ぬまで安定することはないのだろう。安定が幸せだと思っていないのだから。

 韓国の俳優がかっこよかったので、久しぶりにテレビで恋愛ドラマを見た。最終回、主人公の友人が意中の人から結婚指輪を渡されて喜んでいた。
「結婚、うれしいのかあ」と穿った見方をしてしまう。
 主人公は心の声が聞こえるという設定で、過去の事故で発話ができなくなった父親の心の声や、一緒に働くイケメンの心の声も聞くことができる。(うらやましい)。しかしその能力のせいで恋人が死の危険にさらされてしまう。(なんじゃそら)。主人公はその能力を消せる方法を知っているにも関わらず、父との会話継続か恋人かで悩む。結局、恋人との別れを決意したりする(いろいろ省くが、結局ハッピーエンドになる)。
 父と恋人、どちらを選ぶか。私は不思議でしかたない。
「父親ってそんなに大事なの?」
 と思う。いい年して、そんなに父親って大事ですか。いや、もしかして、長いあいだ「家族」でいるから大事なものになるのか……? うーん、わからない。私には「ない」感覚だ。この疑問は誰からも共感されなそうだが、世の中にはこういう人もいるんだ、ということは知ってもらいたい。
「結婚して家族を作るのが幸せ」という価値観はまだ当たり前なのかとドラマを見ながらがっくりする。結婚しないと家族になれないのか、結婚しないと安定しないのか、安定とはなんだ。家族ってなんだ。頭の中がぐちゃぐちゃだ。

「安定なんてだせえ」という感覚を「だせえ」と思う人がいるのはわかる。安定した職の人から見たら、不安定な私はダサいし、気楽に仕事する私から見たら、会社に縛られるサラリーマンなんてダサい。どちら側から見ても、向こう側はダサいのだ。それは単なる嫉妬で、ないものねだりだろう。自分の生き方に満足をしているなら、他人がどう生きようがどうも思わないはずだから。

 美容院から出ると、立ち食いの美味しい小籠包屋さんがある。休日はいつも行列だったからいつか行きたいと思っていた店が、今日は空いている。一瞬、通帳残高が頭をよぎる。しかし手はドアに伸びている。食欲には勝てない。店内に入る。レジ上の壁にかかったメニューを見る。今日の午後は打ち合わせはない。来客もない。「飲んじゃおうかな」という誘惑に駆られる。
「小籠包、汁なし坦々麺セットとハイボールで」
 注文が入ると、ガラス張りの衝立の奥で、ジュージューと小籠包が焼かれる。「おお、これは美味しそうだ……」、「ハイボールは英断でしょう」とひとりで悦に入る。
 結局、平日の昼間からたらふく食べてしまう。アツアツの小籠包から飛び出した肉汁で上唇を火傷して、ちょっとひりひりする。
「小籠包を作る職人さん、レジのお姉さん、お仕事、ご苦労様です」
 心の中でそっと感謝を伝えて店を出る。

 帰り道、すれ違う人の収入源のことばかりを考える。ああ、他人が羨ましい。すごく嫌な奴だ。まるで不安定を絵に描いたような生活だ。
 叶姉妹のポッドキャストを聴きながら、赤ら顔で緑道を歩く。行き交う人に、私は「やべえ奴」に見えているかもしれない。私ってやばいのかな。あれ、でも、けっこうちゃんと仕事をしているつもり。でも、昼間からお酒を飲んでるしな……。
 いろいろ考えながら歩いていると、だんだん楽しくなってくる。まあ、残高がなかろうがなんとか生きていけるだろう。悩んだっていきなり札束が降ってくるわけではない。どうせ同じ時間を過ごすなら、暗い気持ちで過ごすよりも、陽気に笑って過ごすほうがいい。誇れるものでは決してないが、たぶん、少しは「楽しい大人」になれているのではないかと思う。

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