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闇夜に浮かぶ雪花のような

人はどれだけのこころを隠して生活しているのだろう。

あの日、そんなことを考えながら、ネットで紅茶を検索していた。四年前に私自身が前職場を退職したときに頂いた紅茶と同じものを。

ティーバッグが入っている小袋の中に、一緒に乾燥した輪切りのレモンが入っていて、カップにそれらを入れてお湯を注げば本格的なレモンティーが出来上がる紅茶。初めて見たときに感動し、淹れて美味しくてまた感動した。退職後に私は、それを選んでくれた後輩と一緒に過ごした時間や会話、そしてセンスの良さを思い出したりしながら、その箱に入っていた七パックを大切に大切に飲んだ。

新しい、といってももう四年になるが、この職場は居心地がいい。どんなにハードな仕事内容であったとしても、それを支え合う仲間が良いからだ。
ウイルス禍で目まぐるしく助勤や時に異動がありながらも私の部署は協力して変わらぬメンバーでやってきた。その中の大切な人が退職する。近々きんきんに。夫から逃げるために。

ある日、彼女は左の頬を擦りむいて出勤した。同じ日に私は包丁で左の指先を切っていて、お互いに「どうしたの?」と訊きあった。私はまな板を使わずにお弁当に入れるウインナーを切っていて指まで切ったんだと偽ることなく自分の横着さをさらした。ありのままを答えた。
「やだー、まな板使いなよ。あ、キッチンバサミが楽だよ」なんてやりとりのあと、彼女は雪で滑ってズルっと行ってしまったと言った。
滑って顔まで?よく眼鏡大丈夫だったね、割れなくてよかったね、と言うと「ウン、そうだね。メガネね、大丈夫だった」と今思えばしどろもどろだったけれど、その時は自分もケガをしていたので互いのドジさを笑いあい、その裏にあるものに気付かなかった。

彼女とは同じ係を担当していたこともあり、よく一緒に作業をした。別室でその書類の処理をしていたときに実は退職するのだと切り出された。近々のことなので後任へ申し送りができなくて迷惑をかけてしまう、と。
あの頬の傷からまだ日が浅かった。私の指はよくなっていたけれど、彼女の傷にはまだ絆創膏が貼られていた。見えている以上に深い傷なのかもしれない。
その傷の真意を語りながらも、彼女はいつも通り明るく穏やかな微笑みを絶やさなかった。
暴力ではなかったけれど、逃げる、というくくりで私は似たような経験をしている。思い出したくもない辛いだけの経験も、何か彼女の今後に役立つのならばと喜んで差し出した。
仕事で理不尽なことがあっても、どんなに忙しくても、ニコニコ笑みを絶やすことなく本当に天使のような彼女。誰もが認める職場いち癒し系の彼女。実は辛さを微塵も見せない頑張り屋さんでもあったのだと痛感した。
そんな芯の強さを持つ彼女も、話の最後には目が潤んでいたことに安堵する。泣きたいときには泣いたほうがいいから。

翌日から彼女は姿を現さなかった。突然だけれど有休消化に入ったと発表された。何故?と戸惑いが広がるスタッフの中で、前日の彼女の涙と絆創膏を思い出していた。
四年の月日の中で彼女から頂いたものは多い。どんなときでも変わらぬ優しさ、忙しい中での穏やかさ、朗らかさ、冷静さ。
ともに働いた時間を私の人生にくれて、出会えてありがとうと伝えたい人。
彼女にはあの紅茶が似合う。思い浮かんだのが四年前に頂いた紅茶だった。この近辺では購入できない。ネット注文になってしまうけれど退職日に間に合うだろうか。

お気に入りのピーターラビットが描かれたメモ用紙にメッセージを書いた。無事届いた紅茶へと添える。ラッピングをしてトートバッグに入れ、いつ彼女が姿を現してもいいように職場のロッカーへ忍ばせた。

彼女の有休消化が終わりに近づく。近づく。
日一日と近づいていく。
彼女はもう札幌には、きっといない。たぶん翌朝にはあの町に移動したのだろう。「住む場所を頼れる人がいるあの町へ行くつもり」とこっそり教えてくれた「あの町」に。
でも最終日には、もしかしたら顔を出しに来るかもしれない。そう思っている私がいた。

最終日。仕事は相も変わらず忙しく、あっという間に就業時間を大きく過ぎていた。帰り、着替えのロッカー内にあるトートバッグを見て思う。彼女は来なかった。
お子さんの学校もあるし、踏ん張りどころなのだから、職場のことなんて忘れるくらいでいい。それでいい。それがいい。

あれから気付けば1週間以上が過ぎた。月日が過ぎるのは本当に早い。
私のロッカーには、彼女へ渡すはずだった紅茶がまだ入ったままになっている。雪が解けたら持ち帰って、春の日差しのような暖かな彼女を思い、大切に大切に飲もう。
彼女が笑っていますように。きちんと泣けていますように。
いつかまた会って、泣いて笑ってたくさん話ができますように。と願いながら。


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