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母記念の日に

朝。7:10。
LINEスタンプを送った。
「HAPPY BIRTHDAY」

私が母になった日だ。
あの日。
いつまで経っても色褪せることのないあの日。

妊娠7か月近くまでフルで働き、恐ろしいほどの残業も夜勤もして、自分の身体を過信し、おろそかにしていた20代女子。
貧血は早期から指摘されていたけれど、薬を飲むと副作用の吐き気がひどく、看護師なのに自己判断で中止し放置していた。

自覚症状が乏しく身体にはかなり負荷がかかっていたのだろう。
NICUで医師と2人で保育器をはさんでのの処置中に、医師の目の前から私が消え、気を失い床に転がっていたことは、当時のスタッフ全員に悪しき武勇伝として広まる。

そんな私が、退職後に毎日通う先は、職場から産科へと変わった。
貧血が進み過ぎていて毎日注射しなければ出産できないと言われたから。
自分の身体も大切に出来ずに、人を看護するなんてもってのほか!と、今の私なら当時の私を叱責するだろう。

そんな青臭い20代女子は、退職後はすることもなく真面目に毎日注射へ通っていた。
だから、出産前日も当然産科へ行っており、ちょうど39週目の診察も受けていた。1週間後の予定通りか数日遅くなるかもね、なんて言われたのだった。

その数時間後のことだ。
陣痛が始まったのは。
そう、今だから言える。陣痛だったと。でもあの時は分からなかった。
私は痛みに強いし、ある程度のつらさも我慢できる。きっと、もっともっと痛いのだと耐えた。まだ1週間後だと言われたばかりだし、と。

でももしかしたら。
そんな疑念を抱きつつ、里帰りしていた私は、母の帰りを待った。20時過ぎ、母が仕事から帰宅。かくかくしかじか状況を説明すると、早く病院へ電話するよう呆れ口調で言われた。今まで何をしていたのかと。
「でも10分間隔になったと思えば、30分あくこともあるんだよ。」
「いいから電話しなさい。人間の身体は機械じゃないんだから。本とは違うんだから」そんなこと知っている。看護師だから。
あまりに母がしつこいので一度電話してみたけれど、案の定まだ大丈夫と言われて自宅待機。ただ陣痛は波のようにとめどもなく押し寄せ、母に説得され、結局、夜間に入院となる。23時すぎのことだった。
徒歩5分の距離だったので、準備していたボストンバックを持ち、人のいない夜道を母と歩いた。不思議とその間は痛みはやってこなかった。星の少ない静かな夜だった。

毎日通院しなければならないことを考えて近いだけで選んだそこは、アットホームだけれど古い産院で、そのせいかあまり流行っていなくて、4人部屋に1人で入った。夜勤帯だったので入院手続きもそこそこにベッドに案内された。
陣痛室には3人目を出産する人が入っていて、あなたは初産だし早くても明日の昼か夕方でしょうと言われた。
そんなものかと思い「やっぱり早かったんだよ」と言ったら母が「そんなことない。朝にまた来るから」とボストンバックを置いて帰って行った。

が、ベッドに寝ているなんてできなかった。痛くてどうしようもない。黙って横になっていることができず、床に降りて四つん這いでうろついた。ベッドの周りをウロウロ。自分が、餌を求めてうろつく熊のようだと感じた。
これが明日の夕方まで続いたら、痛みに強い私でも耐えられる自信はないな、とウロウロ這いつくばりながら考えていた。
ナースコールを押すべきか、いやまだ我慢できるか。夜勤帯、大変なんだよな、と変な職業意識が頭を掠めていく。

3時過ぎ、巡回にきた助産師が、床で熊になっている私を見つけてベッドへと戻す。どのくらい開いているか確認し「うわあ」と小さく叫んで一旦退室し、その直後、ストレッチャーを運んできた。
うわあ?って言ったよね。なんか私大変?
そんなことを思いながら、あれよあれよとストレッチャーへ乗せられて、陣痛室はすっとばして分娩台へと直行していた。

朝、7時10分、無事出産。
スピード出産で、安産ですね、と言われた。
そんな!
ベッドで横になっていられないほど耐えていたんですけど。
床に四つん這いでうろつくほどに痛かったんですけど。
見ましたよね、私が野生の熊になっていたのを。
スピードって、実は昨日の昼から痛かったんですけどーーー。
私の中では超難産なのに、安産だなんて。世の中の母たちはどれだけ大変な思いをしているんだ。

早くても昼、なんていうから、誰もいない中での出産。と思いきや、母がきていた。「朝、来るって言ったっしょ。あんたの痛いは、ただ事じゃないからね、もうすぐだと思ってた。昨日入院してよかったしょ」と手柄をたてたかのように私を見ていた。まあ、その通りかなと、疲れた頭で思っていた。丸出しの北海道弁がやけに心地よく耳に響いた。

そのあと小さな小さな長女を見たら、全部どうでもよくなって、ただただ幸せな気持ちだけがこみ上げてきた。
ああ、キミはスゴイ。そこにいるだけでスゴイ。確かにそう感じた。
病室の窓の向こうには、淡い水色の空が広がっていた。

あの日から早幾年。生まれてきてありがとうの日。
私頑張りましたの日。
自分の誕生日は忘れていても、娘の誕生日は忘れない。誕生時間までも。
回想に浸っていると、スマホが振動した。
娘から、スヌーピーの可愛いスタンプが返ってきた。

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