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人生の舵を切った あの日あの数時間の出会い

看護師が第1志望ではなかった。

たとえ人生を決める決断をするときでも、何かに魅せられて心にストンと入りこんでしまえば考える時間なんて必要ないのかもしれない。

高校3年生も終盤にさしかかり、今まで通りの進路でいくと決め、家庭の事情で私立も道外も視野になかった私は、国立大学ひとつしか受験校を提出していなかった。それを担任が心配し、滑り止め、もしくは場慣れのためでもいいから何校か受けたらどうだと言ってきた。
しかし国公立の志望学部が当時の北海道にはそこしかなかったのだ。志望でもないところを受ける意味が見いだせなかったけれど、場慣れと言われたらそれもそうかと思い、仕方なく同じ受験科目で同じ理系女子の多くが受験する看護学校を選んだ。

看護師になりたいとか、さらさら思っていなかった。
これを言うと、かなりの看護師に軽蔑、まではいかないかもしれないけれど、驚かれる。目指したエピソードを持っている人が圧倒的に多いから。

その場慣れのために受けた受験校、1次試験を通過した2次試験は、面接や健康診断だった。6~8人位でひとつのテーブルにつき一緒に行動する、そこに案内係の担当者がひとりついていた。

皆知らない者同士だし、しかも面接と言うこともあり、言葉を交わすでもなく緊張の面持ちの私たち受験生。
心の中で、どうせここには来ない、看護師になんてならないし、と偏屈な気持ちで緊張をとばそうとする私。

そこに登場した案内係は、小顔で細くてキレイなお姉さん。
清潔感のある笑顔で挨拶し、穏やかながらも明るく溌剌な言葉でテキパキと私たちを誘導していく。緊張する私たちの話をさりげなく聞きとり、自分の面接体験を交えながら時には笑いを誘う。
人見知りの私は初対面の人には警戒心が先に立つ。しかも少し偏屈なその時の私の気持ちにも、スルリと入り込み寄り添う。
とても丁寧な対応だった。
徐々に場が良い感じにほぐれていく。私の心も軽くなるのを感じる。
おかげで面接会場に、ある程度リラックスし素直な気持ちで入っていくことができた。

今日出会ったばかりの他人のために、こんなに優しく親切で一生懸命。こんな人間がこの世にいるのか、と羨望の眼差しで見ていたと思う。

帰り際にお姉さんは言った。
「私、ここの学生なの。今のうちに聞きたいこととかあったら答えるよ」
えっ学生?
聞くと現在2年生、私たちが無事入学できれば1年と3年。2つ上の先輩として同じ学校に在籍しているとのこと。とてもしっかりした仕事ぶりで、とても2つしか離れていないとは考えられなかった。ここに入れば私もこんなふうになれるのだろうか。

「大変ですか?」と誰かがたずねていた。
それは大変だよ、と確か笑ったはずだ。
でも大きく成長できるし、ここで学ぶ価値はある、そう言った。
4月に会えるの楽しみにしているよ、とも。
のちに先輩となるMさんの名前を私は覚えた。

それまで、なんとなく生きていた。
あの頃の私は自分のことばかりで、他人には絶対に優しくなかったと思う。そのくせ人の中に進んで入っていくのが怖くて、最小限を選び、あまり深く関わることも避けていた。人嫌いだった。

あの2次試験の帰り道、私がそれまで他人に対して感じたことのない感情が芽生えていた。
あんな人になりたい。
素直にそう思っていた。

受験をするにあたって、将来どんな職業に就きたいか、どんな生活をしたいかと考えることはあったが、具体的な個人を対象に、あの人のようになりたいと思ったのは初めてだった。しかも数時間会っただけの人に。

私は、もらった栞、いつもなら捨ててしまいそうな画用紙を切って手描きしたもの、を大事に大事に持って帰った。

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この学校に決めました、と合格通知がきたらすぐ私は担任のところへ行った。第1志望の受験はこれからだろと言われたけれど、そこを受験すらしなかった。

もしM先輩がいなかったら、あの学校の印象は特に残らず、私は別の道を歩いていたかもしれない。
あの数時間一緒にいた先輩によって、私は目指していた職業すら変える決断をし、何の迷いもなく、その後の人生の舵を大きく切ったのだ。

入学して驚いたのは、M先輩のような人がわんさかいた、ということだった。
私と同じように新入生は、2次試験での担当先輩をそれぞれが覚えていた。そして同じ寮生活をする中でも、先輩方は皆優しく憧れだった。
朱に交われば赤くなる。だから私もなる、そう思った。まずは2年後、案内係になろうと。
人嫌いの私が4人部屋の寮生活。でも全く苦にならなかった。

看護の道は想像以上に衝撃の連続だったけれど、脳が溶けそうになるくらい「人」について考え向き合い、私は無事卒業する。
小中高いずれの卒業式でも泣いたことのないさっぱり系の私は、看護学校の卒業式で号泣した。自分でも驚くほどに泣いた。
当然、社会人になってからもいろいろあった。でも20数年続けている。

人生観が違うことは多々ある。それを受け入れ自分とは違う想いでもその人の最善の方法を探す。看取りの場面では家族間でも意見が割れることがある。中には決めた結論に、こうしたほうがいいのにという看護師もいるし、私もそう思うこともある。知識と経験があればあるだけ、その想いは強くなる。
看護師間でも意見の相違はある。でもどんな場面でも先に寄り添うこと。
心はそこからほぐれていく。見えてくるものもある。

だけど時々忘れてしまうから、時々初心に立ち返る。
それは看護学校1年目でも看護師1年目でもなく、思い出すのはあの2次試験の日。そう、あの日が私の初心。だから画用紙の栞を30年も捨てずにいる。

あの日出会ってしまったから私は看護師をしている。

そして職業としてだけではなく、ひとりの人として成長でき、目指すべき人がわんさかいるあの学校に導いてくれた、あの日のM先輩に感謝している。



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