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私の中の「書く」。そして今サイトを断捨離してnoteを残す。

少しずつプロフィールに載せていることを書いていこうと思っている。
(プロフィール欄に詳細あります)
今回は「書く」

※  ※  ※

小学4.5年の時に日記をつけ始めた。親から日記帳と書かれた単行本のような分厚いノートをもらったのがきっかけだ。
それにその日の出来事を普通に書いていた。
ただ、普通に。

でもそれが、毎日何か書く、という習慣をつけたことは確かだと思う。

中学生になり日記はやめてしまったけれど、代わりに詩を書くようになっていた。
まだそんな長い文章は書けなくて詩がちょうど良かった。どこかに自分の想いを吐き出したかったのだろう。
スケッチブックやお気に入りのノートは、詩と少しの落書きで埋め尽くされる日々を送った。

大人になっても書くという行為は繰り返された。時々忘れて、時々思い出す、というように、ノートであったり、手帳であったり、時には家計簿の端っこだったりと、どこかにふと心から漏れ出る言葉を書く。それが私の日常だった。

何のために書いているんだろう、なんて深く考えもせず大人になり歳を重ねた。


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初めてネットでブログを書き始めたのはSONYのプレイログで。
「千里の森」がきっかけだった。私のネットの歴史は大江千里さんにかなりの影響を受けている。

当時はブログの意味すらよくわからずに、ただ日本を旅立つ千里さんと繋がりたくて登録したプレイログ。
♪のついた「りえ♪」で始めた。(あの頃は漢字表記していたが)
2008年1月。登録したら何か書かなくてはならないのかと思い、よろしくお願いいたします、みたいなことを一言だけ書くと幾つかのコメントが書かれた。ほとんどが千里さんファンだった。こういう繋がりかたがあるのかと、はまった。

So-netに移行するまで不定期ではあったが、かなりの頻度で書いていた。
3、4年書き続けた。あの頃は純粋に日記を書いていた。
今日こんなことがあったよーと。読んだ本のことや、そして「森」で感じたことなど。自分の書いたことを共有できるって楽しいなという感情はプレイログで覚えた。

それと前後して本格的に文章を学んだことがある。自分の書いた文章について添削を受けるというもの。それまでなんとなく自分のメモ的な役割から人に向けて書くという作業に変わり、書く以上伝わる文章を書きたいと思ったから。
プロから見るとどんなものだろう、と純粋に評価してもらいたい気持ちもあったと思う。課題を提出し評価される。何度か続けるうちに、お声をかけていただき、紙媒体の本へエッセイや詩が掲載された。書き方について新たな発見もあったし、そこは直されたくないという私のこだわりの一部分も見つけた。

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プレイログがなくなり、So-netに移行されたあと使い勝手に慣れずに放置することになる。飽きたというのもあったかもしれない。
そして一緒に楽しんでいた仲間はTwitterやFacebookに移行していったというのもある。何よりも千里さんがnoteへと移行してしまった。
その頃は登録しても書かなくたっていい、という当然のことも知っていたので、登録しつつもSNSは見る専門になりつつあった。
私が日記として書いていた文章はTwitterやFacebookに載せるには長かったし、流れていく多量のタイムラインにお腹いっぱいで、あのスピード感にもついていけなかったというのが大きい。
ただあの頃繋がったお友達とはリアル友達になり一緒にライブを楽しみ、LINEで情報交換したり、私にとっては世界を広げた場所だった。

千里の森からSENRI GARDENになりnoteへ登録しても3年弱はSENRI GARDENを見るためだけにnoteは存在していた。

でもやはり何か書くことを私はやめられなかったのだ。
ブログという場所を失い、また手帳や家計簿の端っこにメモのような詩のような言葉が増えた。

「何か書きたい」そう思いながらネットサーフィンしていると、Webライターという存在を知る。更に調べると、看護師という立場でものを書く、という会社があり、そこへ連絡をとり履歴書と課題の文章を送って採用され、ふたつのサイトでライターとして記事を書くようになった。でもそれは想像と違った。

ライターをしながらも、私の「書きたい」という欲求は満たされなかったのである。役に立つ記事かもしれないが、心から書きたい記事ではなかったから。

結局私は、ただ書きたいという自己欲求を満たすためだけに書いているのだと思い知る。ただの我儘で、ならばメモ紙でいいじゃないかと。

ただメモ紙は散らかる 笑


よって書いたものの置き場を私は探し続けた。

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他のブログサービスも試しながら紆余曲折し結局2年前に自分のサイトを立ち上げる。
今までの作品や、書きたいものをただ書いて「自由に置く場」として。

時間がないのに意味もわからないネット用語を解読することから始まった。
Wordpressの存在すら知らなかったのだから。

調べるがままSEO対策の検索流入記事も書いたりした。
検索上位に上げるために小児科看護師を売りにして子育て情報記事も書いた。ライターとして文章を書いていたことが役立ち、上位になることも増えた。

自分で検索して上位に上がっていると単純に嬉しかったが、ビュー数が伸びれば伸びるほど、どこの国の文字かも分からないコメントスパムが入ってくるし、プラグインを調べ直したりセキュリティ対策をしたりと、書く楽しさよりも管理の辛さを感じるようになる。一般的には簡単な作業なのだろうが、初心者向けと書かれた説明文すら用語もわからない私には高いハードルでしかない。
そうだ、Spotifyをすぽてぃふぃ?と読むほど私はネットに詳しくないのだった。


エッセイや詩も載せてはいたが、いつの間にかビュー数を気にして検索流入記事をメインにしていた。情報記事ならライターの仕事で充分だ。
私はただ書きたいという自己欲求のためにサイトを作ったのではなかったか。何をしているのだろう。

サイトはいらないかも、そう思い始めたとき、登録しているのだしnoteも試してみようか。そんなノリで書き始めた。
なので、最初の記事は閉鎖したプレイログの投稿を加筆修正して「置いた」ものだ。そう、失礼ながら単純に物置きのような使い方をしようと思っていた。今まで書いて、とっちらかっているものも全部ひとつの場所にまとめたくて。

書き始めて もうすぐ4ヶ月。

最初は、ブログ時代のような繋がりを作るつもりはなかったので、ついたスキやコメントに戸惑いを覚えた。それでもスキがつけば少しずつ読みに行くようになった。ここには素敵なクリエイターさんたちがたくさんいて素晴らしい文章や絵や写真によく出会う。気づけば、noteを読むのが楽しくなっていた。
月のPV数は2万強でサイトのPVとは比べ物にならない。でもWordpressにスキはない。noteでは、好きなことだけ書いている雑記に、スパムではない優しいコメントがつく。

ここは詩を書いている人も多くて嬉しい。あまりSNSで詩を書く人と交流したことがなかったから。
投稿したものが時系列で並ぶので、サイトのような使い勝手ではないけれど、詩もエッセイもマガジン分けしてまとめていければ、とりあえず目的は達成されるのでそれでいいかと。言葉の収納場所として。

書きたい欲求は満たされつつあると思え始めていて、契約しているライター業の更新を次回は辞めようと思っている。

好きなことを好きなときに好きなように書いていく。それがストレスフリーになるための私の書く、ということだから。書くことで楽しい時間を持つこと。
私の中の書く作業は呼吸をするように、これからも多分続いていくのだろう。

こんなひとりよがりで書きたいものを書く自分のための場所として作ったnote。読んでくださる人がいるのは本当に感謝しかない。

書いて、置いて、そして読みに行く楽しみ。
限られた人生の時間の一部を私は今noteに費やすことを選んでいる。
それは楽しい時間を私に提供してくれるから。
それって素晴らしい。


私の器には多くは入らないと思った。
だから先伸ばしにしていた決心を ようやく。


今朝、自分のサイトを断捨離した。
少し身軽になった。

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▼ここでは割愛した、もうひとつの、「私の中の『書く』」はこちら

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