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リチャード・リンクレイター監督『Apollo 10 1/2: A Space Age Adventure』を観て

『いちばん好きな映画は何?』という質問はそれなりに難題だが、『いちばん好きな映画監督は誰?』という質問なら僕はすぐさま即答できる、リチャード・リンクレイターが好きです、と。

マジ好き。大好き。本当に最高。好き好き大好き超愛してる。やばいっすよ。もう俺うんこ漏れそうっすよ(は?)。

イマイチピンとこない人も、『スクール・オブ・ロックの監督』といえば大体おわかりになるのではないだろーか。あの愛すべきジャック・ブラックの地位を確固たるものとした、痛快極まりないロック・コメディ・ムーヴィーだ。アレの監督こそがリチャード・リンクレイターなのである。

アレがリンクレイターの中で一番当たった作品で、というかほぼ唯一のヒット作で、アレが当たったからこそリンクレイターは未だに映画を撮り続けていられるのだそーだが、まあまあ、"ヒット作"にありがちな話で、基本このひとの作風はこーゆー感じじゃない。派手なカタルシスとかとは一切無縁な、言っちゃあモロインディな映画ばかり撮っている。

っていうか、このひとはそもそも出自がインディ畑で、地元・オースティンのある一日を舞台に、百人以上の登場人物がリレー形式で次々に出てきて会話するシーンだけで構成された『スラッカー('91)』なんかは、90年代インディ映画ブームの火付け役ともなった映画史的にも重要な作品だっていわれてるのヨ。

マンブルコアといわれる映画ジャンルがあって、すげえ簡単にいうと、別に金持ちでもイケてるワケでもないごくごく普通の若者がダラダラ過ごす日常を描いた低予算映画のことなんだけど、これの始祖もリンクレイターとされているのダ。

ちなみにマンブルコアの"マンブル"っていうのは『ぼそぼそ喋る』みたいな意味なんだけど、これは低予算で録音環境が整ってなかったり、シロート同然の役者が不明瞭な発音でしゃべっていたりしたことから付いた名前だそーです。

なんかシューゲイザーの発祥に似てますな。

さて、リンクレイター作品の最大の特徴は『会話』です。

とにかく会話シーンが長いです。

というか会話シーンしかないです。

いっつも、登場人物が最初っから最後までずっとおしゃべりし続けてるだけの映画ばっかり撮ってます。

事件らしい事件もほっとんど、ありません。

ただひたすらにダラダラダラダラしゃべりまくっている映画、それがリンクレイター作品なのです。

それがかったるいと言う人もいるし、それが最高じゃんと言う人もいる。僕はトーゼン後者でございます。延々と続く駄弁りの中で起こるささやかな精神の交感や、さりげない奇跡をリンクレイターは見せてくれる。

"特別じゃないけど、めちゃくちゃ大切な瞬間"を描くのが本当にうまい。

『こういうことってあるよね』、『こういう時間ってあるよね』としみじみ思わされますね、リンクレイターの映画は。


ほいで今春ね、Netflixにて完全新作アニメ映画が配信されたのですよ。『Apollo 10 1/2: A Space Age Adventure』です。

もうすっげぇ、すっげえ楽しみにしてた。

制作発表がされた2019年からずっと、ずーーーっと楽しみにしてたのだ。

これまでにリンクレイターは『ウェイキング・ライフ('01)』、『スキャナー・ダークリー('06)』っていうアニメ映画を撮ってるんだけど、その2作で用いられたロトスコープ(一度実写で撮った映像をすべてアニメーションに書き起こす技術)を使って新作を撮るって知ってからは、どんな作品が出来上がるのかしら? とワクワクし通しだったワケよ。

で、観ましたワタクシ。感想としては、好きです。友達以上クイックルワイパー未満の甘酸っぱい関係性です。

舞台は1969年、月面着陸計画に湧くアメリカ/ヒューストン。NASAのお膝元であるこの街に住む、六人きょうだいの末っ子の10歳の少年が本作の主人公です。まあ、シンプルに監督の半自伝的な内容といっていいと思う。

60年代末期のアメリカで、中流家庭の少年が何を感じ、どう暮らしていたか、という民俗学的見地にたってみれば、かなり有用な参考資料ともいえるだろう。いちばん近い作品でいうなら何と『ちびまる子ちゃん』だ。あるあるネタの解像度の高さも似ているし、『家庭』と『学校』のみでドラマが展開される、という構成も似ている。"姉とのチャンネル争いに負けて初めて観たジャニス・ジョプリン”だとか、"日曜の夜いつも観てるアニメが終わったら憂鬱な気分になった”とか、"ボーリング場でたむろしている不良がカッコよく見えた”とか、そーゆーいいテンションのリアリズムを孕んだエピソードが羅列されていく。この絶妙なゆるさに、ちびまる子ちゃん的CHILLを嗅ぎ取るのは僕だけではないはずだ。

そして何より、本作と『ちびまる子ちゃん』の最大の共通点は、"TV "が物語を牽引する舞台装置として重要な役割を果たしている点だ。『ちびまる子ちゃん』のエピソードで、ツービートを初めて観た衝撃や山本リンダのクリズマが語られているものがあるが、その媒介はすべてTVである。というか『ちびまる子ちゃん』はマジでめちゃくちゃTV観るシーン超多い。確認してみ。むかしのこどもたちは、かようにして、テレビを介して世界を知り、世界に触れ、世界を想っていたワケである。僕の観たビートルズはテレビの中、なのだ。

とはいえ、本作は単なる懐古主義的あるあるネタ映画ではない。

主人公が過ごす日常と併走して語られるのは、"実は主人公の少年はNASAに宇宙飛行士としてスカウトを受けていた"というエピソードだ。

急にSFなこの一連の物語を単に『月面着陸計画に湧くアメリカで主人公が思い浮かべた空想』ととることもできるが、しかし作中においてこのエピソードが本当は何であったか、というのは語られない。

『アポロ13号が発射されたとき、自分は家族と遊園地に行っていた』という時間軸と、『アポロ13号が発射されたとき、自分はそのシャトル内であくびしながらコミック雑誌を読んでた』という時間軸が、同時に存在しているのだ。"こういう世界線もあった"というような具合で。

ホーキング博士によれば並行世界というのは10の500乗個存在しているそーで、たとえばゼイン・マリクがワン・ダイレクションを脱退したとき、ホーキング博士は哀しむファンの少女に『ゼインがワン・ダイレクションに在籍している世界もあるかもしれませんし、ゼインがあなたと幸せに結婚している世界だってあるかもしれません』と元気づけたそうだが、ひょっとしたらリンクレイターもそーゆーことが言いたかったのかもしれない。

『俺があのとき、アポロ13号に乗って最初に月面着陸した世界だってあるはずだぜ』と。

さて、本作に寄せられる一番素朴な意見は『これはアニメにする必要性があったのか?』というものだろうが、僕は『必要アリアリ』と査定する。

前述した通り、本作の登場人物はテレビによって世界を知り、世界を想い、世界を考える。泥沼化するヴェトナム戦争やジョニ・ミッチェルの弾き語りなど、作中においてテレビは実にさまざまなものを映し出して行くが、その『絵柄』がそれぞれ異なっているのだ。『これは別世界の出来事です』とでもいうように。

子供からすれば世界の成り立ちというのは曖昧で不明瞭なもので、その"訳のわからなさ"を表現するために、リンクレイターはロトスコープを用いたのだと思う。

さてNetflixオリジナルというと『潤沢な制作費』をイメージするが、御多分にもれず、この映画もムチャクチャお金かかってるでしょうね。やばいっすよ。もう俺うんこ漏れそうですよ(二回目)。

特に音楽の権利料がエライことになってるでしょうね。

サントラが60年代のロックとかポップスなんだけど、もう一体何十曲流れるんだっていうぐらいバカスカ使いまくってるんですよ。この楽曲群のクリアランスだけでいくらかかっちゃうんだろうっていうぐらい。

サントラを60年代のロック・ヒッツで埋めた映画っていうと『ラスベガスをやっつけろ('98)』の話が有名ですけど、楽曲の使用料だけで15億かかったらしいですからね。本作もそんぐらいかかってても全然おかしくない気します。選曲もね、めちゃくちゃセンスいいんですよ。アイアン・バタフライとかヴァニラ・ファッジとかクイックシルヴァー・メッセンジャーサーヴィスとかピンク・フロイドとかサイケ・ロックてんこ盛りでね。

あとそうですね、リンクレイター信者視線でいわせていただくと、一個一個のシークエンスが短い。

リンクレイターってとにかくワンシーンが長くて、10分長回しで超長い会話をワンカットで撮る。みたいな超ハードコアなことをやってるんですが(イーサン・ホークの昨今の迷走ぶりはリンクレイターのせいだと僕は思っている)、本作はパッパッパッパッと小気味よくシーンが移り変わっていく。

会話もダルいっちゃダルいけどそこまでダルくない。高校の休み時間のダルさと、クラブ帰りの朝方七時半の松屋のダルさぐらい違う。

これまでのリンクレイターの最大の特徴であった“ダラダラ会話劇”はほとんどみられない。

この変化はどーゆーことなのか考えてみたが、個人的には、この映画はリンクレイターが観客に語りかけている映画だからだと思うの。

リンクレイター映画っていうのは、登場人物たちがひたすら語り合う映画なわけなんだけどさ、『子供の頃こんなことがあった』とかいって過去のエピソードを披露するシーンがよくあるのね。

おばあちゃんの幽霊を見たことがあるとか、昔バンド組んでてドラム叩いてたとかそういう話をするんだけど、今回の新作はそれをセリフじゃなくて映像で語ってみたかったんじゃないかと思うの。

たとえば『今朝パン食ったらうまかった』っていう話をする男を撮るのと、『朝にパンを食べて美味しいと思っている』男の姿を撮るのは、語られてる概要が同じだとしても全然違うことじゃないですか、そういう意識のシフトがあったんじゃないかと僕は推測しています。

まあまあまあ、そーゆー意味で、リチャード・リンクレイターのフィルモグラフィーにおいては『異色作』ということになります。


これからの彼の動向に、ますます目が離せませんね。

↑なんか『○○の本名は? 出身地は? 彼女はいるの? 調べてみました!』的なサイトの末尾に書いてある文章のマネ


毎年夏に集まって少しずつ撮影し、12年かけて完成させた映画『6歳のボクが、大人になるまで。('14)』も話題を呼んだリンクレイターですが、いまは20年かけてミュージカル映画を作ろうとしているそうです。公開は2040年予定とのこと。

うう〜〜〜〜ん、楽しみ!!!!!


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