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忘れたくない怒りと悲しみの記録|育児日記

2023年9月に長女くんちゃんを出産。穏やかでちょっとおかしな夫ゴジくんとともに育児に奮闘する日々を綴ります。

2023/12/28 3m13d

事の発端は、気持ちよく眠っていたくんちゃんを家を出る直前に起こしてしまったことだ。訳のわからぬまま連れ出され、バスに乗り込む。バスに乗るときは大抵ママが抱っこをしてくれるのに、今日はパパだ。パパの抱っこは未だにしっくりこない。しかもなんだかいつもとは雰囲気が違う。緊張感が伝わってくる。ママが近くに立っている気配は感じるけれど、こちらを見ているだけだ。ぼーっとしてないで抱っこするかおっぱいくれよ! ーーそんなところだろう。

くんちゃんは15分間ほどの乗車中、ひっきりなしにわんわん泣き続けた。バス車内は混んではいないが、すべての椅子に一人以上は座っているような状況だ。ゴジくんはくんちゃんを抱っこして優先席に座り、わたしはそのそばに畳んだベビーカーを抱えて立っていた。身動きが取りづらいなかなんとかあやそうとするゴジくん。小声で「抱っこ交代して」と頼まれたが、車内で下手に動くのは危険なのできっぱり断る。焦るのはわかるけれど、泣き止まないのは仕方がない。きっとわたしが抱っこしていてもこうなっていたはずだ。

なんとか終点の駅に着き、二人より先にバスを降りてベビーカーを広げて待っていると、降りてきたおばあさんに「うるせぇな」と呟かれた。おお。出産して初めて他人から悪態をつかれ、やや驚く。そして静かに怒りが込み上げてくる。子は社会の宝ぞ!?と胸ぐらを掴んでやりたくなったが、もちろんそんなことはできない。込み上げるものを抑え、何事もなかったかのように二人を迎える準備を整えた。けれども、あの一言が何度も脳内を駆け巡る。ムカつくと同時に、とても悲しい気持ちだ。二人に直接言われなかっただけマシかもしれない。ゴジくんに愚痴りたかったけれど、公共交通機関での移動に対してこれ以上の恐怖心を植え付けるのはよくないので我慢した。

あのクソババアはなぜあのことばを発したのだろうか。たしかに泣き声はうるさかっただろう。わたしには泣き声さえもかわいいけれど、他人からすれば必ずしもそうではないのは理解できる。けれど、それをわざわざ口に出す必要があるだろうか?この少子高齢化の進む世の中、社会全体で子どもを育てないと日本は終わりじゃないか。そもそもクソババアが子どもの頃は、まさに地域で子どもを育てるのがスタンダードだったのでは?自分も昔は赤ちゃんだったことをもう忘れてしまったのかしら。それか、単純に子どもが嫌い。泣き止ませない親に物申したかった。直前に何か嫌なことがありイライラしていた。大きな声や音が苦手。思ったことが口から出ちゃう性格。今朝の朝ドラ『ブギウギ』の防空壕内で泣く赤ちゃんとお母さんに怒鳴るおっさんみたいに、自分が泣きたい。とまあ、理由はいろいろ考えられるが、答えは闇の中だ。

わたしとしては、あの状況は誰も悪くないと思う。自分が当事者であっても、他人の赤ちゃんが泣き叫んでいても、そう思う。だからむやみに周囲に謝ったりすまなそうに振る舞いたくないし、しないでほしい。わたしがくんちゃんを抱っこしていたら、とりあえずはヘコヘコするかもしれないが、やはりくんちゃんを悪者にはしたくない。もちろん、保護者として泣き止ませようとする努力は必要だが、赤ちゃんは赤ちゃんだもの。泣くのはライフワークだ。それに赤ちゃんだって心を持った一人の人間だ。そう簡単にコントロールできまい。それを理解しようとしない、想像すらできない人たちに憤りを感じる。できることならこんな体験は二度としたくないが、この怒りと悲しみを真を持って感じられたのはいい経験になった。この気持ちを忘れないでおこう。きっと何かに生きてくる。

▼ 後日談

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