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食べるために、私が殺した。

鶏さん、カゴの中にいたときも、その寂しげな目が、ずっとこっちを見つめていたのを薄々感じていたよ。あなたの命をいただいたあのわすれられない瞬間、思ったことをそのまま書き残してみます。


※かなり生々しい描写を含みます。過敏な方はご注意ください。

カゴの中

さっきまで隣で鳴いていた仲間が目の前で締め殺されたら、どんな気持ちなのだろう。見えていたのかも定かではない。けれど、次は自分だ、そう理解しているような意志を感じた。受け入れるほかは、何も選べない。それでも生きてきたんだ。たぶん一瞬のうちに振り返っていたのだと思う。

殻を割って出てきたところは、とても眩しかったこと。
気がついたら毎日毎日新しい卵が生まれるようになって(人間の生理みたいなものだから)、でも自分で温めたことはなくて。
そういえば爪の中に土が溜まって、上手く掻き出せないことが少し心残り。

なんて、勝手にこちらは想像することしかできなくてごめんなさい。

吊るされてきた

足を2本持たれて、逆さになったように運ばれてきた。頭に血が上らないのかなとか考えていたけれど、この後その心配はいらないんだと気がついて虚しくなった。
私の中で、あなたは『まだ、生きていた』。この後の運命は変わらないとしても、生きようとする力があった。それは疲れている時の私たちよりも明るく、かといって手放しで喜ぼうとする表情とも違った。

バタつくこともなく、目をピクピクさせる。手で握ると、そのずっしりとした重みが伝わってきた。羽は暖かくて、時折ふわふわを広げる。最初は突然の動きにびっくりしたけれど、拘束されたのにほとんど抵抗しないことの方が違和感になった。

力を加えた

浜辺にペット用の防水シートが引かれ、その上にあなたが押さえつけられた。三人がかりで優しく、けれども逃がさないように。掴むためには首を引っ張ってしっかり伸ばさないといけなかった。ピッタリ私の軍手した左手に収まる。右手は頭を掴んでいた。


息を止めて、頭をあり得ない方向に回した。ぐるぐる。ぐるぐる。10秒以上経ったつもりだったのに、私の心臓も、スキーで山を転がりかけたとき以上に高鳴って息が苦しかった。終わらせるには、全然足りなかったのだろう。同じことを3回繰り返した。気がついたら私の涙があなたの羽を濡らしていた。それで、やっと手を離していいよと言われた。

終わった瞬間、ただ後悔に襲われた。殺してしまったことではなく、苦しめてしまったことに対して。怖かったという言い訳を利用して、強い力ですぐに命を終わらせないまま、痛みを長引かせてしまった。あんなに細くて小さいのに、命は力強い

ナイフ担当にバトンタッチした。普通のサバイバルナイフ。もう命が戻ることはないものの、筋肉反射があるので慎重に刃を入れていく。裏には少しだけ血が滲んだ。空気に触れて、どんどん固まっていく。首が離れたのに、まだ口をパクパクさせ、足をバタバタ動かしていた。

痙攣が終わったとき、ほとんど白くなったあなたの目が、私を捉えた。今まで会ったどんな人よりも、遠くを見て、私に伝えたいことがあるような目だった。ここから何を学ぶか、試されているような気がした。もう食べたくないからと言って、絶対に残すことはできない。食べること、生きることを大切にする。
たったの5分が永遠にも思えて、友達の手を握っていたら、消化できない大きさの時間を過ごしたことが身に染みてきた。
ヒグラシが変わりなく鳴き続けていたことが、せめてもの救いだった。

食べ物になった

血を抜いて、温め、袋の中で蒸し、羽を抜く。
この工程を通して、まさにクリスマスチキンの前のような見た目になる。思ったより毛穴がしっかりしていて、羽一本一本に適切な抜き方が違った。

生き物から食材に変わる瞬間は人によって違うと思う。私にとっては、鶏がガスバーナーで炙られたときだ。羽がむしられて、残った産毛を取り除くために火をとおす。だらんとして、もうスーパーに売られていてもおかしくないかたちになって、やっと私は食べ物だと認識できた

私たちは、どれだけ綺麗な部分だけを見て、生きてこられているのか。その裏にどんな真実があるのかまで、探ろうとしたことはなく、目を背け続けていた。それでいて、ちょっと味付けに失敗したからと捨てられる料理や機械で箱詰めにされた冷凍食品を目の前に、罪悪感程度にしか思わなかった。

自分を責めていると、さっき私が手をかけた鶏が頭をよぎった。何を伝えたっかのか、今思うと、『この経験を活かしてほしい』ということに限るのだろう。自分を苦しめていると現実から逃げられるし、悲劇のヒロインぶって何も得られない。でも、それを直視して、『ではどうすれば良いのか』そんな思考に変えていくことが、本当の学びだと思う。
これからやりたいことを少しだけど以下にまとめてみた。

・自分が学んだ食の経験を記録し、人に伝える
幅広い人々へ伝えないと意味がない
 子ども食堂や学校で対面(月1回以上)
 海外向けに動画制作(1体験1動画)
 オンラインイベント開催(半年で2回)
・noteでの発信を継続する(毎月)

まだまだ抽象度が高いけれど、これからどんどん具体化してやっていきたいと思う。

捌く(さばく)

鶏解体の話に戻る。
食べ物になったいま、考えることはどうやって美味しくいただくか、だ。
まずは調理しやすい大きさに捌いていかなければならない。ここからが後半戦だ。

最初に手をつけるのは、足。人間の膝にあたる部分の関節を切断し、意図的に骨折させる。『もみじ』と呼ばれる部分に切り離された。指の数はオスかメス、卵用鶏かブロイラーによっても変わってくるらしい。
次に、もも肉。皮にナイフを入れながら、筋肉の境目でカットしていく。風船のように膨らんだ胃の部分に刃が当たると、破裂する危険があるので慎重に。骨がついて、よくフライドチキンで見るかたちになった。
ささみ、胸肉も同じ要領で進めていく。背骨にそって刃を入れると見えてくる、弓形のお肉がささみ、もう少し外側にあるのが胸肉だ。どちらも脂肪が少なそうで、確かにダイエット向きに思える。
手羽先は、足と同じように肘のような関節で切り離していく。
もうほとんど内臓にしか見えない。

すると、見慣れた卵が!
鶏にとっての卵は、人間にとっての生理のようなもので、一生のうちに産める数が決まっている。私たちの食卓に届く卵は、基本的に無精卵だ。明日出てきそうな、殻がしっかりついた卵から、白いいくらのような塊まで。殻がカルシウムに覆われるプロセスは、まだ解明されていないらしい。

さらに、卵になりかけの金柑のようなプチプチとした部分が。これは甲州鳥もつ煮に使われる食材だ。私は小さい頃から、祖母から譲り受けた母の家庭料理として食べていたので、とても親近感があった。
しかし、調理法がまだまだ知られていないため、多くはフードロスとして廃棄されてしまうそう。スーパーに並ぶことも少ないらしい。これは私が何かできそうな気がする。まずは帰省のときに近くの養鶏場を訪れてみよう。

他にも、草食動物らしく腸は想像以上に長くて、緑色の部分があったり、砂肝にはしっかり砂が入っていたりと分解がしっかりできた。
普段私たちがいただく部分は、もも肉や胸肉が圧倒的に多い。けれど、それ以外にたくさんの部位を美味しくいただくことができる。できるだけ多くの場所を『食べ尽くす』ことが感謝を示す一つの方法ではないだろうか。

料理する

照り焼きチキン、焼き鳥が主なメニューに決まった。
内臓や骨は煮込んで鶏がらスープにする。
2日ほど冷蔵庫に置いて、熟成させたお肉はとても美味しそうだ。
今回私は、体調がすぐれなかったこともあって、しっかりと料理の場に参加することはできなかった。反省点として、次の機会にとっておこうと思う。

いただく

口に入れた瞬間、鶏に出会った時から、最後の刃を入れた時までの時間が頭を駆け巡った。

美味しい。
食べさせてくれてありがとう。
いま、私は食べていて幸せだよ。

そう、たくさん伝えたかった。私が創りたい『食べることが幸せな社会』はこうやって感じられる瞬間が、より多くの食卓に届くことだと思う。
それをみんなが取り戻すために、色褪せない記憶をここに留めて、ちょっとずつ私から変わっていきたい。

*追記
今回捌いたのは鶏でしたが、いちご狩りでもぎ取るいちごも、針にかかる魚も同じ命の重さです。重い内容で全く違う体験に思えたかもしれないけれど、誰もが一度は自分ごとになったはず。どんな命も生態系の担い手であることは間違えないです。
また、鶏に限らず、命を食べ物に変えることを仕事にしている方がいらっしゃいます。私たちが生きていけるのは、そんな見えない部分の働きに支えられているし、だからこそ感謝していただくことが大事だと思います。
今日も、いただきます。ごちそうさまでした。



最後に貴重な体験をさせてくださった皆様にお礼を伝えたいです。

ワークショップを開催してくださったNPO法人MOTTAI様、

そのキャンプを主催してくださった高校生みらいラボ様、

一緒に時間を過ごしてくれた仲間たち。

全ての体験が自分を変える力となってくれています。
本当にありがとうございました!!

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