恋愛の傷は恋愛でしか埋められないのか

昨年のちょうど今頃、一年半ほど付き合っていた恋人と別れた。

結婚という二文字もいつも頭のどこかにはちらついていたけれど
お互いが抱える障がいを乗り越えていけるだけの
問題解決力に限界を感じて別れることになった。

自分もパワハラでメンタルを崩し、
相手も、転職や不幸、家族間の揉め事があってお互いに精神が安定していなかったが
それを乗り越えていくということが難しいと感じていたのだ。

念のため断っておくけども、別に自分は全く悪くないなんて感じてないし、
向こうが何を思っていたかなんて確かめる術はないから
これは僕の一方的な解釈と意見だけど、
ここは僕のメディアだから好きに書かせてもらおうと思う。

走り続けられる、その理由

とにもかくにもそこから一年。
今は時間にも金銭的にも、精神的にも余裕があって
いまだかつてないほどに心は穏やかで幸福度が高い生活を送れていると感じている。

嫌な仕事は受けずに、好きな人とだけ仕事をして
社会的な貢献感や、必要とされる欲求も満たされている。

失敗もいっぱいあったけど、そういう痛みってある意味インスタントで、
去年までの「このままでいいのか」っていう漠然とした焦りや
一歩前に進めない自分の両脚を恨む気持ちなどは一切なくて
毎日を走り抜けていく感覚が今の自分には心地が良いのだ。

独立してガラッと生き方が変わった1月から10ヶ月が経ったが
この突然すぎる変化に対応して走り抜けられている感覚は
間違いなく失恋が拍車をかけていると言っても過言ではない。

そう、僕は今までもずっとそうだったけど
失恋した後が一番物事の加速が進むスーパーポジティブタイプ。

あの時自分を手放したことを後悔するがいい!って気持ちで見返したくて頑張ろうとする、ダサいのかかっこいいのかわからないマインドで生きてきた29年間なのだ。


この一年間の合間合間にいた「1000万稼いでないと無理〜っていうプライドと理想高すぎ港区系女」や謎に「出会って3秒で結婚を申し込む女」らも
(しょうもない女に引っかかっていることは笑ってくれ)

今となっては僕の走り出す心に火を付けるいい燃料になってくれている。(アザス)

というよりも、いい燃料になってくれないと心が持ってくれないのだ。

そうでもしないと、前を向いて進めない。
いつまでも同じところで泣いているのだけはごめんだ。

僕にとってこの失恋をパワーに変えてきた方法論は、
やや暴力的だが僕がこの辛い状況を生き抜くために編み出したライフハックに他ならないのだ。

友人と会ったときの話

しかし、先日大学時代の友人と会ったときの話で
僕と同じようなマインドを持って生きていた友人が、こう言い放ったのである。

恋愛の傷は恋愛でしか癒せなくね?

失恋ののち、我武者羅に仕事を頑張ったが全く心を満たされないことに気付き得た教訓。

う〜ん、確かに。

言われてみれば、確かに生活は充実しているし何一つ不満はない。
だけど、ぎゅーんと走り続けてしまった結果、周りを見渡すと孤独だなと
感じる瞬間はあった。

・・・・・・

先日よく行くスタバで作業をしていた時のこと。
いつも脳に糖分が足りなくなると決まって頼むキャラメルフラペチーノ。

この日もいつも通り思考停止をしてキャラメルフラペチーノを頼むと、
アルバイトの可愛らしい女の子が

「今日も甘いのなんですね!笑」と、一言声をかけてくれたのだ。
覚えてくれていたことにも感激したが、その気遣いの一言に完全にやられた僕。
さらにコップに「甘いもの飲んでリフレッシュ!今日もお疲れ様です」の一言まで!!!

何コレ…超嬉しい。。。恋でも始まるの?

そんなの、きっと誰にだってやってるじゃん、一流のサービスの一貫であって僕が特別なわけじゃないんだよ、わかってるよそんなの!

でもその瞬間、気付いたのだ。
彼女のたった一つの発言と気遣いにここまで感激しちゃう自分

完全に愛が足りていない。

些細な人の優しさに思わずウルっとしてしまうほど
今の自分はメンタルが弱っているらしい。

恋愛の痛手を、仕事で埋めようとしても結局寂しさが増す。

そりゃそうだよ、満たされる場所が違うんだから。
当たり前のようなんだけど、走り続けてると気付かないんだな。

恋愛が寂しさを埋めるためにするものじゃないのはそうだけど、
でも二人三脚で一緒に走れたら、どんなに素晴らしいだろうね。

お互いが見てきた世界を、一緒に共有しながら生きていくこと。
これから数年後までの自分の一つの課題かもしれない。

恋愛なんてする暇なかったけど、少しだけ立ち止まって考えてもいいのかもなと思った夜でした。

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