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自分の心に気付いた日

適応障害と診断されました。 不安感・集中力低下、消化器症状。 他、パニック障害の疑いあり。  職場で2時間ほど泣き止むことが出来なかった日があった。首より上が重くなり帰宅するのも困難だった。頭の中の彩度は低く、後頭部と眼球の丁度真ん中辺りがじんじんと聞こえそうな程痛かった。どうしようもなかった、どうにかして欲しかった。だが、一人にして欲しかった。  ある日の深夜、胸焼けのような胸騒ぎのような気持ち悪さがあった。コップ一杯の水を一気に飲み干し、ベットに戻るといつの間にか眠

    • 上からみた

      「まあ、いいか」と口にして、妥協の連続の後、なんとなくの溜まり場にたどり着く。 それでも本心は正反対な場所にあるので、いつまで経っても肩の荷が降りない。 なんとなくが溜まりに溜まって行く宛がない頃には、もうどうにもならないことの方が圧倒的に多い。 それ故、笑えなくなってきて「もう、いいか」と考えるようになる。 次第に考えるのも無駄だと思えてきて、考えるのもやめる。 結局のところ、私が何より欲する心理的安全性と安心は自分でしか創り出せないので、それに限ってはもう他人に

      • 絞り出しても血が滲まないくらいの小さな傷にさえも絆創膏を。

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        • 誰にも聞こえないように

          両耳から 私の中心の一番弱いところに やさしい痛みが 降ってくる。 私が育てた食材で あなたが調理したこの味は きっと誰にも分からない。 いつかあなたが 誰かが大切に育てた食材で 誰か好みに調理する頃、 私は何を食べているのだろうか。 美化される前の味を 当分は覚えていたい。 私の不幸や幸せを 気にも留めなくなった時、 誰にも聞こえないように とても繊細で小さな音を鳴らす。 私にしか聞こえないように。 言葉や行動などの保証で 得ていた安心は、 どこへいってしまった

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        自分の心に気付いた日

          下載清風

          「他人と会話をする事は、自分と対話をする事だった」 充電が無くなる恐怖も 風邪をひくリスクも 明日のスケジュールも 全て忘れるほど 価値観を引き出し合い 受け入れて 跳ね返し 撫でて 愛でて 煮て 焼いて 刺して おいしく 食べた。 必要なこと以外の会話が減って 思考を引き出される事も減った 内側を褒められる事も減って 自分自身を見つめる時間も減った いつの日にか 忘れさられる事への恐怖も さて、 この「余裕」の正体は。 みかけの諦め

          私にも気づかれず、こころに宿る

          狡い感情が顔を出したとき 思いやりが色を変えた 有っても無くても良かったものが いつの間にか遠避けたいものになった 飲み込まれない為に 飲み込み続けていたら 今まで見えなかったものが いつの間にか見えるようになった 助けて欲しいときに 助けて欲しいと 苦しいときに 苦しいと 言えなかった 時に、 自分に思いやりを渡して 優しい言葉を掛けること 自分の言葉だけでは どうにもならないときは ほんの少しだけ 幸せの前借りをしよう 出世払いでも構いませんと 手を差し

          私にも気づかれず、こころに宿る

          私の「こわい」

          「それが全て」 と言い切ってしまう強気な歌詞 「絶対にそう」 と言い切ってしまう強気な貴方 そうではない可能性に出会った時。 この人の未来は、、と考え始めると 本当にこわい、と。 何がそう言わせているのかは 案外何でも良い。 言い切れてしまうことが とてもこわい。 それを電波に乗せて 世界中に発信してしまっていることが こわい。 いちばん必要のない心配を、 いちばん関係のない私がしている。 「いちばん」だって、こわい。 本当に、いちばんなのか分からないまま。 いつ

          私の「こわい」

          生の『なす』

           子供のころ、採れたての生のなすを食べた。実家の裏庭で太陽の光をたっぷり浴びて育った光沢のある立派ななすだ。  子供ながらに生のなすは大丈夫なのかと心配したが、目の前の祖父が慣れた様子でかぶりつくものだから、私も真似てかぶりついた。  初めての生のなすはみずみずしくて甘くてとても美味しかった。  祖父はお花や野菜を育て、種・蕾・芽・花・実、どの過程も絵や写真で残した。  さらさらと筆を滑らせ、水彩画の絵はがきを描く。じんわり滲んでいく色が混ざり合う瞬間が気持ちよくて祖父

          生の『なす』

          『秋』という余白

           私にとって秋という季節は、比較的ゆっくりしていて、例年の秋を振り返ってみても特に印象的な出来事はない。何故そうなったのか疑問だった。  ある日の帰り道。深夜二時半頃だった。人肌が恋しくなるような寒さを感じた時に、過去の恥ずかしい出来事を思い出して暖をとれるのではないか、と思いついた。  片側しか聞こえないイヤホンをさして、 『ばらの花』を聴いた。写真を見返し、忘れていることすら忘れていた出来事を思い出した。  例えば、いつか振り返った時に後ろめたいと思うような出来事すら

          『秋』という余白

          人間らしく、美しく

          「勝手に理由を求め勝手に苦しんで、勝手に怒り、満たされない自分に落胆するのは、最も人間らしくて美しい」そう思えるようになった訳について。 「環境も心も変わることは当たり前で、失うものは元から私のものではない。そして私に必要ない」これが、喪失感に包まれた時に思うようにしていたこと。 諦めのようなものもこちらを覗いているが、潔さと効率を重視すると、これが最も手っ取り早い。なんというか、清々しい。 落ち込むこと、考えすぎることを無駄な時間と言うことがある。実際そうだ。しかし、無

          人間らしく、美しく