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「ハードルが高い」を言い訳にするのをやめる

「私にはハードルが高い」

数年前まで、それは私の口ぐせだった。しみついたものはなかなか変えられず、今もたまにそうした考えが頭をもたげることがある。でも、それは「できない」を正当化する言い訳に過ぎないのだとこのごろ思う。こういうふうに口にすれば、「やらないこと」に恥ずかしさや罪悪感を持たずにすむから。

物事を決める3つの軸

物事を決断するというのは、結局のところ「やる」か「やらない」かの2択しかない。それは自分の意思。ここに自分の気持ちが加わったときに「ハードルが高い」という考えが生まれてくるのだと思う。

①やる(それが好き、あるいは、自分にはできる)
②できないかもしれない(でもやりたい。やらないと恥ずかしい)
③やらない(それは好きじゃない、あるいは、自分にはできない)

①や③の状態だったら、きっと「ハードルが高い」という言葉は出てこないのだろうと思う。

ハードルが高いと感じるときの2つの理由

「ハードルが高い」という言葉を口にするもっとも多いパターンは「やりたいけれど自分にできるか不安」なとき。たとえば、働いていて時間がない。小さな子どもがいて時間がない。だから、やってみたいけれどできないかもしれない。

次に、「みんながやっているから、やらないとなんだか恥ずかしい」というとき。たとえば、いわゆる「丁寧な暮らし」なんかがそうじゃないかと思う。いろんなものを手作りする。エコに気を配る。季節を大切にする。私が「ハードルが高い」と思っていたのもこのあたり。

どちらのパターンでも言えることだけれど、結局のところ、最終的には「やる」か「やらない」かのどちらかなので、もしやるのであれば、時間を捻出する方法や、無理のないルールを考えればいい。

「やらない」を選択しても、実際にはだれにも責められることはないはず。なのに、なんだか罪悪感を感じてしまう。恥ずかしいな、と思ってしまうことがある。

「ハードルが高い」というのは、そうした部分を隠してくれるのだと私は思う。

ハードルは自分で超えるもの

現に私は、周りにどんなに「無理だよ」「ハードルが高すぎるよ」と言われても「本を書く人になる」という夢を目指すことはやめなかった。

時間はたっぷりあったけれど、自分に投資できるお金はなかった。実績は10代で止まっていた。長い長いブランクもあった。でも、その制限やハンデの中でできることを考えて動いたから、今、3冊の本を出版してもらっているのだと思う。

もっとも「無理だよ」との声が大きかったのが、ブログをはじめたときだった。家族はみんな応援してくれたけれど、一方で「飽きっぽい性格なんだからブログを続けるのはむずかしいんじゃない?」「続いても出版してもらえる確率だなんてどれくらいあるだろう」と心配していた。

これまで「1月のページ」さえ使い切れずに捨ててきた手帳の数々を思い返すと「自分にはハードルが高いのかもしれない」と、確かに感じた。でも、それでもやめなかった。夫は「1週間で飽きるのに賭けるよ」と笑いながら言った。結局ブログは、この3年半、1日も欠かさずに更新している。

諦めたくなかった私がしたのは「書き続ける工夫」をすることだった。
まずは書く頻度を決めた。毎日更新すること。過去の手帳は「いつ書くのか?」を決めていなかったから続かなかったのだと思う。

次にテーマを決めた。飽きっぽい私が日記や手帳を続けられなかったのは、なにを書いていいかわからなかったから。単に「家事」だけだとすぐに書くことがなくなってしまいそう。そこで、自分の暮らしを変えるために思いつき、不定期に試していた「その日の記念日にちなんだ家事を1日1つやってみよう」というものに決めた。(今は記念日だけにこだわらずおもに5つの切り口から行う「とっておき家事」としている)この選択は最高だったと思う。ブログが続いただけでなく、自分の生活や考え方ががらりと変わり、快適になったから。

迷ったときは、自分の立ち位置を整えるチャンス

横道にそれそうになったこともある。
知り合いに「ゴーストライターの仕事を回してあげるから、そっちにしなよ」と言われたのがきっかけだった。「あなたには本を出せる確率なんてないんだから」「ブログみたいなお金にならないことをする意味があるの? この仕事だったら10分あれば5000円も稼げるんだよ」と。
その怪しい申し出にはまったく興味がなかったので、受けなかった。でも、あまりにも何度も「無理」だとか「無謀」だとか言われすぎて、胸の奥がざらりとするのを感じた。もしかすると、いろいろと手を広げたほうがいいのかもしれない。そんな悩みが生まれた。

でもそれは、一度立ち止まって考えるきっかけになった。
私が本当はどうしたいのか? ということ。私が本を出したいと思ったのは、子どものころからの夢でそれ以外の道が考えられなかったことと、学生時代に書いていたSNSの日記(なにげない日常や気づきの話)を読んだ友人たちが「悩んだときに救われた」と言ってくれたのにびっくりし、同時にうれしかったから。

それを考えてみると、お金がたくさんほしいとか、有名になりたいとか、それが最終目標ではなかったのだとわかった。
私は、自分自身のため、そして、読んでくれるだれかのために書いてみたい。稼ぐことよりも、だれかに届く文章を書けることや、だれかの悩みを解決するアイデアを出すことのほうに力をいれてみたい。そういう結論にたどりついた。

はじめての本『時間が貯まる 魔法の家事ノート』(扶桑社)の担当さんからお声がけいただいたのは、その数か月後のことだった。

「ハードルが高いな」と思ったときにすること

この経験から、もし「ハードルが高いな」と思ったときは、「それを本当にやりたいのかな?」と一度立ち止まって考えてみるようになった。

「やりたい」か「やりたくない」かのシンプルな二択にしたのだった。

どんなに「ハードルが高そう」と思うようなことでも、もし、自分が本当にやりたいのであれば、絶対に動き出すはず。「時間がない」という言いわけは、「時間を創ろう」という目標に変わるはず。それが、私がこの数年で得た結論。


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