続けられる自分になる魔法|続かないときに見直すべきこと
「続けられる自分になる魔法」シリーズ5つ目。今回は「続かない」ときに見直すべきことがテーマ。
「自分には合わないな」と思って、切り捨ててきた”習慣候補”。私には、いったいいくつあるのだろう。25歳ごろの時点で私が続けられていたものは何ひとつなかった。
今、私はノート術の本をいろいろと出している。でも、実家には山のようなノートがある。ほんの数年前までは1冊のノートも使いきったことさえない、飽きっぽい人間だったからだ。
自分にぴったり合う方法は他人には教えてもらえない
振り返ってみて、今だからこそわかったことがある。100%ぴったり自分にハマる「誰かの方法」はおそらく存在しない。
10~20代前半の私はつねにノート本を読み漁り、それを「そのまま」使おうとしていた。でも何かが気に入らない。うまくいかないし、続かない。
ビジネス書のノート術は機能的だけれどかわいくない。当時は、私の探し方もあるかもしれないけれど、最近出ているもののような”かわいいノート術”の本は見当たらなかった。そこを補うためにイラストの本を真似ようと買ってみたものの、そちらもお手本をなぞるだけでうまく生かせない。
でもよく考えてみると、これって、当たり前のことなのだ。著者と私は別の人間だ。40代の男性が考えたノート術が、10代の私に合うわけはなかったのだ。だって私は仕事をしているわけじゃない。勉強と、趣味と、そのほかの雑多なタスクがメインだった。
イラストレーターの”イラストの描き方”も、そのまま真似すれば確かにかわいく描けるけど、自分で「こんなのを描きたい」と思ったときに似たタッチで描くことはむずかしかった。(私はデフォルメしたり、ゆるく描いたりするのが不得手だ)
つまり、誰かの方法をそのまま丸ごと使うことはむずかしい。だから、まずは、自分の「好き・きらい」と「できる・できない」を把握して、誰かの方法のなかから「好き」と「できる」に当てはまるものを選び取っていく必要がある。
「そんなの無理だ」を乗り越えよう
だれかのやり方から、自分なりのやり方を作っていくときに大切なのは「そんなの自分にはできない」という感覚。
たとえば、私のノート術の本に対してもらうマイナスの感想としては「こんなに細かく記録できない」「絵が描けないからかわいくつくるなんてむり(あるいは絵を描く意味はない)」というものがある。もっと細かいポイントでいうと、たとえば私は「無罫」の紙を使用しているけれど「方眼」が好きな人もいる。
それなら、そこを軸にして「なにができるか」「なにが好きか」を判断していけばいい。
細かく書くのがいやなら「これだけは作っておいたほうがいいな」と思うものを選べばいい。項目を減らしてもいい。絵が描けないなら、Excelでシンプルに作ってもいいし、シールなどのアイテムを使ってかわいくしてもいい。
「そんなの無理だ」と一蹴してしまうのは、実はもったいないことだと私は思う。そして、そうやって一瞬で判断してしまうと、たぶん、習慣化はむずかしい。
他人のやり方を使いこなすには、そのまま使うのではなく、相手と自分の違いを知る。そして、やり方を「好き」と「できる」で自分で磨き上げていく。そうしないとうまくいかないのだと思う。
「続かない」ときに見直すべきこと
それでも続かないときに見直すことがいくつかある。ここでは「ノート術」と仮定して例を書いてみた。
◎頻度
例「毎日続けるのは時間がないけれど、毎週日曜日だけならできそうだ。」◎道具
例「ルーズリーフじゃなくてシステム手帳を使おう」
◎ボリューム
例「全部で20種類あるけれど、3種類だけならできそうだ」
◎場所
例「家が広いから、ノートを持ち歩くのが面倒だ。使う場所別に分割して置いておこう」
そして、こうした項目別に見直してもまったく続かないときは、自分の意思を確認する。
それは本当にやりたいことなのか? 見栄や執着ではないか?
「あの人がやっているから自分もやろう」
そう思ってはじめたことが私にはいくつもある。決めたのは一応自分自身なので、続かないとなんとなくいやだし、気になる。しかも「やって当たり前」という意識があり、「やめよう」と思いづらい。
だから、たまにこういう質問を投げかけるようにしている。
そして、もし、本当にやりたいことではなかったら。やっぱり、それは「習慣候補」から外すべきだと私は思う。
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