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5・7・5に こころやどると ホラをふく

【文字数:約1,000文字】

 正岡子規の名を取った俳句の月刊誌、『ホトトギス』の創刊が1897年で、およそ120年が経過している。

 去年の夏頃、戦争に関連するものとして特集番組が放送していたけれど、なんとなく目を通す気になれないまま、気がつけば1年が過ぎてしまった。

 理由は単純で、俳句というものに対して苦手意識があるからだ。

 自分から学ぶ気にもならない人間が、わざわざ正統派を知ってどうするのかと、まるで異世界の話でもあるかのように思っていた。

 そんなある日、柳田國男と対なす存在とされる民俗学者、折口おりぐち 信夫しのぶの著書『古代研究』の特集があり、その関連で先の番組にも興味が湧いた。

 ◇

 ざっくり『古代研究』を説明するなら、日本人と呼ばれる存在が何を信じ、そのために5と7の音数を重視した、という研究成果だろうか。

 この世の者ではない「まれびと」と対話するため、5と7の音数を重視したのであれば、和歌などが詠まれた背景としては十分すぎる。

 この「まれびと」は神のような存在で、彼らをもてなすために供物を捧げ、歌や踊りを披露したのが今に到ると。

 私自身は地域にある寺社との関わりが薄く、最近だと体の前で十字を切る動作を好んで行っている。

 ○○神といった具体的なものを信奉しているわけではなくて、漠然と祈りを託す先とするのが、もっとも適切な位置づけだろうか。

 とはいえ5と7の音数と俳句が結びつき、始めに書いた『ホトトギス』への興味につながったわけだけど、戦争関連の特集なので詠まれる句もそれに準じたものとなる。

 驟雨しゅううつまりスコールで命があることを実感する句が詠まれたかと思えば、夏の季語として感染症のコレラが使われるなど、悲しみをまとっている句の多さといったら。

 そうかと思えば中国大陸の戦地で梅の花を見たとか、今と精神性は大きく変わらないのではとも思ったり。

 ◇

 日本の土着宗教、神道では死んだ人間が神になるそうな。

 神奈川の初詣参詣ベスト3だと勝手に思っている川崎大師、寒川神社、鶴岡八幡宮の3番手、八幡宮の八幡様は応神天皇が没して神になったとか。

 たぶん大多数の人は由緒や歴史に興味がないだろうし、仏教と神道を同じものだと考えている可能性すらある。

 今はともかく古代の日本人にとって、人間が神になる身近な存在だったのなら、今後も日本語と呼ばれるものを使う限り、5と7は特別な音数であり続けるのかもしれない。


 ヘッダー画像は長野県にある諏訪大社の鳥居です。



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