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カナダで保育:保育士同士の価値観の違い

カナダ、特にバンクーバーは他民族の街です。

色々な国からの移民も多いし、宗教や考え方がそれぞれあって、その違いをお互いに尊重しつつもそれぞれが自立していると感じています。

そしてそんな中の保育でそれぞれの保育士の持つ「子どもに対する考え方」の違いは本当に毎回考えさせられています。


今回話題になったのは「自家菜園のトマト」について。

私たちの園庭には自分たちで育てているちょっとした畑(というか花壇)があります。

そこには毎年色々な野菜を植えていて、ミニトマトは毎年のお決まりです。

子ども達は種から育てて、少しずつ育っていくトマトの苗に水やりをして、赤くなったトマトを自分たちで収穫して食べています。


今年から入った新しくチームに加わった保育士が一人います。

彼女は本当に色々なアイデアを持っていて、毎回彼女の出してくる議題は素晴らしく、考えさせられることも多々あります。


そして今回は「どうやってトマトを食べるのか」についてが話題になりました。


というのも、私たちは子ども達と一緒に収穫したトマトは一緒に1つに集めて、それを洗い、更に保育士が半分に切ってから子ども達に渡しています。

けれど彼女の意見としては「園庭は他の動物などが来る場所ではないし(建物の3階にあるので)子どもは自分が収穫したトマトをそのまま食べたいのではないか」というもの。

洗ったり切ったりをする事で、子ども達の収穫をして自分で採ったものを味わうという流れを切ってしまっているのではないかとの意見でした。


正直彼女の意見にも「確かに」と思う所はありました。

だって野菜を収穫してそれを自分で食べるのって美味しいし、楽しいですよね。

ただ、カナダには色々と決まりもあって、食べ物に関して「Choking Hazard」というものがあります。

これは年齢によってのどに詰まらせやすいものをリストアップしていて、それらを食べさせる時の与え方、というか切り方などについてを注意喚起しているものです。

それをどれだけきちんと園の中での決まりに反映させているのかはその園によって多少異なりますが、うちの園は比較的厳しく扱っています。

私がいるクラスはToddler(1.5~2.5歳児)なので比較的注意されているものが多く、特にうちの園はお弁当なので、もし持ってきているものの中にきちんとした形で提供されていない場合は基本的には子どもには食べさせません。

例えばブドウやプチトマトなど小さくて丸いものは縦切りに、チーズなども子どもの一口サイズになっていないとダメです。

最初の時はこちらで切って後で親に伝えたりをしていたのですが、何せ大人数いるので全員分する事は出来ない、という事で基本的にはそのままお持ち帰りコースになりました。


そういう経緯もあって、家から持ってきているトマトは切られていないと食べさせないのに、園で採ったトマトをそのまま食べさせるというのはおかしいのではないか、そして何でも食べる前には洗う、というのは食育の一環として子ども達に伝えるべきことではないか、という事で「教育者」という立場からは洗って切ったものを食べてもらう、という事に落ち着きました。



そして次が手洗いについて。

室内でおやつや昼食の前には必ず石鹸を使って手を洗う、外から入ってきたら手を洗う、そして食事(おやつ)の後とトイレ(おむつ替え)の後は手を洗う、という事をしています。

では、外でその切ったトマトを食べる時はどうでしょうか。

個人的には「もちろん洗うでしょう」と思いました。

けれどそれをすると、子どもたちはみんなして一度中へと戻って、手を洗って、そして外に戻って来て食べる、というプロセスが加わる事になります。

それだと食べるまでのプロセスが長すぎて「自分で収穫したものを食べる」という流れが楽しめない、と言われました。


ん~そうでしょうか。


確かに正直面倒ではあるという気持ちもわかります。

でも「食べる前には手を洗う」という習慣は大切なもののはず。

「洗わずに食べたからって死ぬわけではない」

確率は高くないかもしれないけれど、果たして本当にそういえるのでしょうか。


コロナ以降、カナダでも手洗いやマスクの需要は高まり、公衆衛生に関しての意識も以前とは比べ物にならないくらい高くなったと思います。


でも、のど元過ぎれば…ではないですが、時間が経つにつれて、出てくるのはおそらく元々持っていた習慣や価値観に基づく言動。


そして保育をする上での衛生面や食べ方も、以前のように個々の価値観が出てくるようになったと感じています。


ルールに縛られず、子どもの自由な行動を推奨する


それぞれ違う価値観を持つことは決して悪い事ではないし、違う意見を聞く事で改めてどうしてそれをするのか、本当に必要な事なのかと考える機会にもなり、その中には惰性で理由もわからず続けていたこともありました。

だから問題提起自体は素晴らしいし、子どもの自由は保障されてしかるべきだと思います。


ただ「自由にさせる事」を色々な場面でその行動を正当化させるための免罪符のように使っている感が否めないというのは私の正直な感想です。


特に衛生面に関しては、決して1日でどうにかなることではないけれど、毎日の生活や行動に反映されている事です。

そしてそれをしているかしていないかで健康面に影響される機会があるのは事実です。


それがいつになるかはわからないだけで。


だから何かしらの事があった時には「ほら、やっぱりこうなった」となるし、何もなければ「やっぱり何もなかった」となるわけです。

だからこそ個々の価値観に反映されることだなぁと感じています。


他の人の意見を聞きいれ、みんなで出した、納得する答えで仕事が出来ればと思っています。


ただ、現実的になかなか難しいと感じているカナダでの保育です。


皆さんはどう思われますか?






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