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暮らしが馴染んでくるまで

4月、どうしようもなく心がざわめく。

「春」という季節は

何年経っても、自分にとって毎度なんだか不安定でしょうがない。

日本にいた時も、アメリカにいても見事に同じなので

少々自分に呆れる。


日本にいた頃、観た満開の桜


約1ヶ月前、家族で引っ越しをした。

3年と半年、住んだ場所から
私たちが望む、新たな景色を見るために。

引っ越してから、
前を向いて全てが楽しく進んでいくはずだった。
それとは裏腹に
以前住んでいた家(コミュニティ)が忘れられない。

一番の理由は、アメリカで初めて暮らした場所だった事。
そして、好いも甘いも経験した(パンデミックも)
思い出が詰まりすぎてる場所だったから、らしい。



部屋の温度や窓から入る光の加減

慣れ親しんだ外の景色

そして、数年に渡って距離を縮めてきた愛するネイバー達。

当時2歳だった娘と、毎日のように通った近所の公園やプール。

夜中に娘を寝かせるために、ストローラーで歩いた小道。

美しい椰子の木が並ぶ通り。

いつまでも後ろ髪を引かれている。

全てがあまりにも中身の濃いパーツとなって、
自分を形成されていたとは。


近所の景色、夕方

びっくりだった。

そんな思い出達を
心のどこへ置いておいたらいいんだろう。

"離れてみて、わかることがある"

こんな時こそ
書いて理解して、気持ちを綴っておく必要があった。


話が変わるが
最近、
よく観ているYouTubeチャンネルがある。

若い人がやっているチャンネルで
真摯に暮らしに向き合っている事が伝わってくる。
夢を叶えて、北海道に暮らしている。

北海道。
私自身、アメリカに来る前は
そこで7年弱、暮らした。
夫との新婚生活に始まり

音楽を通じての仲間、数々の演奏活動、

自営サロンを立ち上げたり。

また愛する猫に出会い

娘が産まれた場所でもある。

紛れもなく大切で、ずっとずっと特別な北海道。

暮らしていたあの頃を振り返る。。。
ちょうど今、新しい暮らしの過渡期にいるからこそ、
過去に居た場所を振り返り
遡ってみたくなる。

北海道にいた頃は
人口6000人弱の農業の町に住んでいて
(牛さんは人間の10倍いたとか)
わたしは農業をしに来たわけでもないし
「まわりになんも無さすぎる」
と思っていた。

自然しかないし、冬は長くて寒すぎるし
車の運転は大変だし
煌びやかなものは無い。
暮らすには物足りない、、そう思っていた。
だから、刺激が欲しくて
「都会に行きたい!」
とよくフラストレーションが溜まっていた。
(出身地に近い、大阪が恋しくなっていた)

引っ越した頃は全てが新鮮だったが
いつの間にか、見ている景色に飽き飽きしていた。

でもそれは、その場所に
「馴染んだ」
証拠なのだと解った。



数年の時が流れて、
新たな人生のチャプターのために
北海道を離れることが決まった時。

初めて、それに気がついた。
「馴染んでいた」
ということ。

土地には暮らしがあって
それぞれ日々の営みがあって
順々にそれが身体に
染み込んでいった感じ。


経営していたサロンの扉から


途端に、北の大地の美しさや
人の優しさ、純朴さ。
あの大きな山々に囲まれた
大地の空気が迫ってくる。
いいところ、大好きなところが
今も忘れることなく身体に染み込んで
流れてくれている。


北海道を去る数ヶ月前は、
走馬灯のように目まぐるしくも
濃い日々だった。

自営サロンを閉業、
娘を妊娠&出産、

自分に関わってきてくれた友人やお客様たち、
音楽仲間が新たな旅立ちを応援し、祝ってくれた。

そのお陰で
自分の中に、「故郷」「帰りたい場所」
「待っててくれる人がいる場所」
ができた。

それは喜びでしかない。
かけがえのない
自分の人生をつくってくれた場所。

そうか。
だから、まだ新しく引っ越した場所には
当たり前だけど
なんの歴史もないから、

これからつくっていくんだ。
自分で。
家族と一緒に。

まだスタートラインにいるだけだ、と
過去の自分が教えてくれた。

#カリフォルニア
#アメリカ生活
#新生活
#ajustment


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