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【短編小説】座敷童の引越し 

 ぼくはどこにでもいるありふれたサラリーマンである。妻と結婚して三年。普通の暮らしを続けている。そんな夏のある日、会社から休暇と取って、妻と岡山県にあるリゾート地へと旅行に出かけた。大阪を朝早く車で出発し、高速道路を使って岡山市街に到着したのは昼過ぎ。そのリゾート地までは一時間程度で着く。ホテルのチェックインにはまだ時間があったので、どこかに立ち寄ろうと車を走らせていると、遊園地の案内標識が見えた。妻が暇つぶしにそこへ行こうと言い出し、ぼくはあまり興味が沸かなかったが言われるがままに遊園地へとハンドルを切った。
そこはいかにも子供向けの寂びれた遊園地だった。しかし遊園地と言う場所は、大人を子供に戻してしまうようで、妻は殊の外はしゃいでいた。ぼくは奥さん孝行を兼ねて、しばらく付き合うことにした。
 妻は遊園地の片隅にある古びた忍者屋敷に入ろうと言い出した。ぼくは入場券を買って、二人でその屋敷の土間に入った。
「こんにちは」
 土間のすぐ横に女の子が立っていた。歳の頃は小学三年生か四年生と言ったところか。少し古びた衣装を着ていた。周りに親御さんがいる様子はなく、まるでぼくたちを待っていたかのように一人でそこに立っていた。
「こんにちは。お一人?」
 妻が答えた。
「うん。私が中を案内してあげるから、付いて来て」 
 その子はそう言うと、つかつかと屋敷の中に入って行った。ぼくは妻との時間を邪魔されたくないという思いから、あまり乗り気ではなかったが、そんなぼくのことをよそに妻は何食わぬ顔でその子の後に付いて行った。
 その子は屋敷のからくりにやたらと詳しかった。隠し扉に隠し階段、床下への抜け道。
「ここの隠し扉は目立たないから、みんな気付かずに素通りしていくの」
 その子は屋敷の隅から隅まで、丁寧に案内をしてくれた。ぼくたちは言われるままにからくりを動かして楽しんだが、その子はなぜか見ているだけだった。しかしその子があまりに熱心なので、ぼくは次第にその子のことが愛らしく思えてきた。妻は満面の笑顔で楽しんでいる。この子はきっと周りの人を笑顔にする魔法でも持っているのではないかと、ぼくは勝手な想像を働かせていた。
一通り案内をしてもらい、ぼくたちは屋敷の土間に戻ってきた。
「バイバイ」
女の子は土間から手を振って、ぼくたち見送ってくれた。なぜだろうか。その子は土間から外に出ようとしなかった。
「いろいろ教えてくれてありがとう。バイバイ」
 妻とぼくは土間の外からその子にお礼を言っ屋敷を後にした。数歩ほど歩いて、ぼくはふと屋敷の方に振り返ってみた。その子の姿はもうそこにはなかった。時間にしてほんの数秒のことである。
「ねえ、あの子、もういないよ。あれ、座敷童だったんじゃない?」
「えっ、そんなはずないわよ」
 ぼくの問いに妻は呆れた顔で答えた。

 旅行から戻って来てからも、ぼくの頭からあの女の子のことが離れなかった。
「あの子、あんな所に一人でいたし、からくりにやたら詳しかったし、それに一瞬で消えてしまったし、どう考えても座敷童だって」
「考えすぎよ。たまたまだって。そんなに気になるんだったら、そこの人たちに聞いてみたらいいじゃない。」
 妻のこの一言が、とんでもない事態を招くことになってしまった。

ぼくはあの子のことをSNSに投稿することにした。そして「私も見た」という書き込みを待った。しかしいくら待ってもレスポンスはなかった。そうして数週間が過ぎ、あの女の子のことが記憶から少しずつ薄れていったある休日のことだった。
「ちょっと、来てっ!」
 妻が大声で書斎にいた私にリビングに来るように叫んだ。妻はテレビを凝視しながら私にこう言った。
「この前に行った遊園地が、たいへんなことになってる」
 テレビにはニュース番組が流れていて、あの遊園地のあの忍者屋敷の前に、人が溢れている様子が映し出されていた。
「私が今いるのはSNSで投稿された座敷童が現れると言われている忍者屋敷の前です。御覧の通り座敷童を一目見ようと押しかけてきた人たちで長蛇の列になっています。他府県から来られた方も多数いるようで、休日、平日を問わず、遊園地は大盛況になっています」
 報道アナウンサーが言うには、私が投稿したSNSを見た人たちが、怖いもの見たさに忍者屋敷を訪れて、実際にあの女の子に遭遇したらしい。嫌がるあの子の写真を無理やりに撮ったところ、その姿が映っていなかったことから、これは間違いないという話になって、SNSでさらに拡散されたためにこんな大騒ぎに発展してしまったということだった。
「それ、見ろ。やっぱり座敷童だったじゃないか」
 得意気に言った私に、妻から思いも寄らない言葉が返ってきた。
「何を言ってるの。そんなことはどうでもよくて、あの子が今頃、肩身の狭い思いをしているのはあなたのせいなのよ。かわいそうとは思わないの」
 少し釈然としなかったが、確かに妻の言う通りだ。あの時、あの子は純粋に嬉しそうな顔をしていた。狭く薄暗い屋敷の中で、人と接することができるひと時が、あの子にとって大切な時間だったのかもしれない。それを私の余計な投稿で台無しにしてしまったのである。
「わかった。助けに行こう」
 ぼくは無意識に妻にそう言っていた。
「どうやって。相手は幽霊よ」
「とにかく、あの遊園地に行ってみよう」
 
ぼくは休暇を取って、妻と再びあの遊園地を目指した。昼の間は人だかりが絶えないので、閉園後の夜に忍び込むことにした。少し離れた場所に車を停めて、門扉まで歩いて近寄った。
「案の定、田舎の遊園地だから、セキュリティなんて何もないよ。門扉に鍵がかけてあるだけだ」
 妻とぼくは難なく門扉を乗り越えて、いつ警備員に見つかるかわからない恐怖心と抗いながら、真っ暗な遊園地を突き進んだ。忍者屋敷には施錠がされておらず、懐中電灯の明かりを頼りに、ぼくたちは中へと入って行った。
「何て呼べばいいんだろ」
「ちゃんと探しなさいよ」
 妻から答えにならない答えが返ってきた。
「お嬢ちゃん、怖がらないで出て来てくださーい」
「それじゃ、うさん臭って思われて、出て来ないわよ」
 妻はそう言いつつも、暗闇の中でぼくの後ろからぼくの腰を両手でしっかりつかんでいた。三十分近く探し続けたが、あの子の姿はどこにも見当たらない。
「そうだ、あそこにいるかもしれない」
 屋敷の中のことは、あの子が詳しく説明してくれたお陰でよくわかっていた。あの子が言っていた目立たないからくり扉のことを思い出し、それを開いてみた。
「あっ、いたっ!」
 女の子は懐中電灯の明かりが眩しかったのか、人に見つかってしまったことに恐怖を感じたのか、両手で顔を覆ってしまった。
「大丈夫よ、あなたのことを助けに来たの。私たちのこと覚えてる?」
 妻がそう言うと、女の子は指の隙間からぼくたちのことを見ると黙って頷いた。
「ごめんよ。ぼくのせいでたいへんなことになってしまって。ぼくたちといっしょにおいで。この屋敷から離れよう」
 ぼくはその子の手を取った。しかし人に触れていると言う感覚がまるでない。
「そっか、幽霊だもんね。ぼくたちを信じて一緒に付いて来て。いい所に連れて行ってあげる」
「本当に?」
「本当さ」
 ぼくたち三人は、遊園地を足早に抜け出し、その子を車に乗せて西へと走った。
「遊園地の外に出ても大丈夫なの?」
「日の光に直接当たらなければ大丈夫。これから、どこに行くの?」
 後部座席から、その子が言った。
「きっと君に喜んでもらえる場所さ。楽しみにしてて。ところで君はあの屋敷にどれくらい前から住んでいたの。一人で寂しくなかっ」
「私、時間って言う観念がないの。長いとか短いとかわからないの。気が付いた時には、あの屋敷にいたの。毎日、いろんな人が来てくれて、私が屋敷のことを教えてあげると、すごく嬉しそうにしてくれるの。私も嬉しくて。だから、寂しくなんかなったの。でも最近いっぱい人が押しかけてきて、写真を撮ろうとして、みんな嫌な顔をしてた。だから隠れてたの」
 ぼくは返す言葉がなかった。

 車を飛ばして、夜明けまでに何とか山陰の海辺にある母の家に辿り着いた時には、外が白々と明るくなり始めていた。母が一人で住むその家は、ぼくが子供だったころから改築などしておらず、古い佇まいは今も変わっていない。土間の戸は相変わらず鍵がかかっていなかった。
「お母ちゃん!」
 ぼくが土間から大声で叫ぶと、母は起きていたのか、奥の間から驚いた顔で出てきた。
「どうしたの、こんな時間に」
「頼みがある。この子をしばらく預かってもらえないかな」
「まぁー、何てかわいらしい子」
母はその子の肩を、そっと抱こうとしたが、母の腕がその子の体をすり抜けた。驚く母にぼくはこれまでの経緯を話し、遊園地の騒ぎが収まるまで預かってもらうように頼んだ。
「たいへんだったねぇ」
 母は、その子に笑顔を見せると、その子もにっこりと微笑んでいた。

大坂に戻って数日が経ち、あの子の様子を伺おうと、母に電話をした。母は嬉しそうな声でこう言った。
「名前を付けてあげたよ。幽霊のゆうこ。あの子は本当に気持ちの優しい子でねぇ。毎晩、一緒に寝てるよ。あの子といるとこっちが癒される。たまに姿が見えないと思ったら、納屋に隠れてたり、屋根裏部屋で遊んでたり。狭い所が好きなのね。あの子のこと、近所の人たちにも紹介してあげたの。みんなあの子のことが大好きになってねぇ。都会の人と違って、ここの人たちは面白がって人にべらべら話すようなことはしないよ。みんな可愛がってくれてるし。この前なんか、三軒隣りの家に『お泊りしてきていい?』って聞くから、『次の日には戻ってらっしゃい』って言ったら、すごく嬉しそうな顔をしてた。ずっと一人だったから、そんなこと言われたことがなかったんだねぇ。そうそう、この前あの子が私の肩を叩いてくれたのよ。幽霊だからねぇ、あんまり効かないんだけどね。」


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