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SNS疲れを自分なりに分析してみた

最近初めてコロナになった。体調は悪いが、一日中寝ていられるわけでもないし、となると、自然と行うは、ネットサーフィン、Netflix、読書、SNSである。隔離期間中にできることは限られる。

最近、SNSによく疲れる。私がよく使用するアプリはInstagramとTwitterだが、程よい時間だけ見ないと、ほんとに疲れる。目も頭も疲れるが、外的な要因だけで疲れるわけでもないな…と最近思い当たったことがある。

以前の自分の記事で「自分が充実してない時に、SNSを見ると劣等感が触発されて、もっと落ち込む→自分も誰かにそれしちゃってるかも」と書いたことがある。そう言った側面も正直あると思う。

ただ、最近の疲れは、もうちょっと奥にあるような気がしている。

SNSの充実度で満たされるものは、誰かからいいねをもらった、良いと思われたという実感=「承認欲求」かと思うのだけど、これをもうちょっと大きくすると「何者かになっている自分」ではないかと私は推測している。

SNSでブイブイ言わせてる人は、(現実がそうであるかは置いておいて)その世界の中では、「何者」かになっている。それは例えば、独自のセンスがあるモデルかもしれないし、〇〇文化に精通したオタクかもしれない。

芸能人がSNSでもブイブイ言わせてるのは、至極当たり前のことで、既に「何者」かというキャラ立ちが成功して売れている(そこを認めたファンがついている)ので、それをそのままSNSに流用すれば良い。逆にマスで売れてなくても、SNS上で、「何者」かを上手く演出できれば売れる可能性がある。

本題に戻ると、最近SNS疲れしてる自分は、誰かと比較して「何者にもなれていない自分」に結局のところ落ち込んでるのでは、と感じるのだ。

自分が描くなりたい自分になる方法はいくらでもある。そう、自分が頑張れば、いくらでもやりようはある。ただ今の仕事や生活を踏ん切りつけて、心機一転!をはかるって実際すっごく難しいしぶっちゃけやらなくても生きていけるわけだ。

でもSNSでは心機一転をしてバズった人がよく目につくわけで(もちろん相当な、泥臭い努力をされているはず)なんかこう、「頑張れば努力すれば自分はいかようにも何者かになれる」というメッセージが負担と思う瞬間がある、という話だ。

もちろん、このポジティブメッセージが負担と思ってる時点で、メンタル不調者である。自分に何かしらのストレスがあるサインと感じていいと思う。ただ最近、友達と話していて、SNS別になくても全然生きていけるし、無い時は無いで楽しく過ごしてたのに、SNSでストレス感じる瞬間もあるのに、結局見ちゃうしやっちゃうんだよね、と。

わかる。だからこそ、健康的に付き合っていかなきゃいけないなあと自分を改めて戒めておく。いやいや、まずは身体の健康から取り戻せよ、という話。

本日はここまで。

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