見出し画像

お前を信じる俺を信じろ

「自分を信じるな。俺を信じろ。お前を信じる俺を信じろ。」

アニメ「天元突破グレンラガン」の中で、主人公シモンに対して、その兄貴分であるカミナが言い放つ名言であるが、この言葉は、実に大切な“自己肯定感の低さ”を克服する方法であると思っている。

主人公のシモンは、気弱で自分に自信が持てない、なんとも線の細い頼りない若者だった。
そのシモンは、屈強で逞しく、男気とリーダーシップにあふれた兄貴分のカミナというちょっと年上の若者と一緒に、冒険の旅に出る。

一緒に行動する時には、戦うのも、逃げるのも、何かを決めるのも、全てカミナの判断。
シモンはカミナの判断に、一緒になって頑張るだけ。
自分はそういう役回りだとシモンは思っていた。

ただ、そんな中、シモンがやらなきゃいけない時がやってくる。
シモンが行動を起こすべき時が来ても、「俺じゃダメだ」「俺じゃできない」って思ってしまって、踏ん切りがつかない。行動ができない。

ただ、そんな時にカミナが言う。
「いいかシモン、自分を信じるな。俺を信じろ!お前を信じる俺を信じろ!」と。
この言葉に突き動かされ、シモンはやりきらなきゃいけないことをやりきることができた。

この言葉、意味不明な言葉遊びのように思えるし、詭弁のようにも感じられるが、自己肯定感の低い人へのメッセージとしては、きわめて効果的な言葉であるように思う。

何かができなかったり、何かに挫折したりして、自信を失っている人物を励ます時に、
「大丈夫!自分を信じて!」などという言葉を投げかけたことはあるだろうか。
映画やドラマなどの中でも用いられるようなセリフだが、実際にはこの言葉で奮起できる人などそうはいない。
なぜか?それは、自身がないからだ。
自信がない人が、奮起しなければならない時に「自信を持って!」と言っても、奮い起こす自信がどこにもないのだから仕方がない。

奮起するために必要な「自信」を、自分以外のどこからか調達しなければならないのである。
そこで思い切って他力に頼るのである。
自信のない自分を信じてしまうと「できない自分」を信じてしまう。
アニメの中での、シモンから見たカミナにあたる、自分が絶対的に信頼する他者に、自分自身の信用を保証してもらって、行動するために必要な自信を生み出す必要があるのだ。

「自分を信じるな。俺を信じろ。お前を信じる俺を信じろ。」

あなたがそこまで言ってくれるのなら、俺はあなたの言葉を信じて行動できる。
あなたがそう言ってくれるのなら、きっと自分の行動は良い結果になるのだろう。
そこまで言うのなら、失敗したらあんたが責任取れよ。
どんな風に思ってもいい。
行動さえ起こせるのなら。

実力がないのではなく、自信が足りずに行動や決断ができないのだから。
動くことさえできれば成功する。
そして、その成功が、自分の自身へとつながる体験になるのである。

完全に自信を失っている人間は、誰かに頼りたいものだ。
自分で奮起しろ、よりも格段にハードルは下がる。
助けられるのに、手を差し伸べることができるのに、わざわざ難易度の高い独力での奮起の道を推し進めずともよいのではないだろうか。

ただ、この方法は、二者間での絶対的な信用関係が築けていて、かつ、挫折をしている者が本領を発揮すれば克服できるという確かな実力を備えている場合に限るのだが。

そして、この克服方法は根本的な自信の回復方法ではない。
信用を担保している上位者がいなくては、結局のところまた自信を失ってしまうからだ。

ただ、このアニメの中でも、ストーリーが進むにつれて、この言葉は変容してゆき、励まされる側であったシモンは、上位者であるカミナの後押しが無い状態で、自身の重ねてきた成功体験によって自分自身を信じ、行動、決断することができるようになっていく。

その時のセリフがこれだ。
「お前が信じるお前を信じろ」

相変わらず言葉遊びの感が拭い去れないが、まさしくこの通りであろう。
自分自身がやってきたことが、自分自身の信用となって、
自分自身の行動、決断を信用するための心強い理由となっていく。

このアニメの中でもそうであったように、全く自分を信じられない人に対していきなり「自分を信じろ」というより、自分を信じられるようになるためのきっかけを作ってあげることが、自信をつけさせるためには、より良いプロセスとなるのではないだろうか。


この記事が参加している募集

アニメ感想文

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?