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美術のド素人が原田マハを読んだら #2

 前回の続きです。「ジヴェルニーの食卓」第2話から最終第4話まで、感じたことをあれこれ書いていきます。数あるマハ本の中でもこの作品にこれほど感動したのはひょっとして珍しいことでしょうか?

星屑から輝くレトワル

 前章マティスの物語で南仏の光を浴び瞳孔が収縮しているところから一転、今度は湿っぽい地下室へ連れ込まれるような落差に参りました。一見華やかに見えるパリの底辺にある残酷な現実、それを作品に落とし込み、芸術のさらなる高みを追求したエドガー・ドガの「凄み」をこれでもかと見せつけられる章です。

 たった一度だけ展覧会に出品されるも買い手がつくことなく永久にお蔵入りした「十四歳の小さな踊り子」。この幻とも言えるドガ唯一の彫刻作品をめぐる物語です。

 主な登場人物は、アメリカ人女性画家メアリー・カサット、踊り子マリー、そしてドガの三人です。アメリカの裕福な家庭に育ちながらも画家として身を立てることを決意し大西洋を渡ったメアリー。批判の集中砲火を浴びながらも、権威主義におもねるような既存の表現方法を打ち破ろうと模索するドガ。貧しさから抜け出すためオペラ座のバレエレッスンに通うマリー。それぞれの出逢いと葛藤が丁寧に、しかも大変な熱量をもって描かれます。この章へのマハさんの相当な力の入れようを私は感じました。

 ドガはマリーをモデルとして、時には彼女を裸にして創作に熱中します。芸術のためとはいえ、10代前半の少女を全裸にしてポーズを取らせることにメアリーは納得できずドガを咎めますが、ドガはこう反論します。

「レッスンに通う少女達と我々芸術家はそっくりじゃないか。どちらも金持ちのパトロンに見出されなければ生きていけない」と。「今は星屑以下の彼女を、私が作品にすることで輝くレトワルにしてやるのだ」とも。そして「これは私の闘いであり、彼女の闘いでもある」と。

 この少女マリーをモデルとしてついに完成した彫刻「十四歳の小さな踊り子」を見せられた時のメアリーの反応は見ものです。そして貧しい少女マリーはレトワルになれたのでしょうか。

 前回の記事で、「マハ作品に通底する小テーマ」について書きました。今回もそれが見られます。アメリカから出てきたメアリーの作品がドガの目に止まるところは《無名の才能が巨匠に出会う》ですし、ドガを師と仰ぎ、その創作の一部始終を見逃すまいと彼のアトリエに通い詰めたメアリーは《師匠に追いすがる弟子》です。しかし最後は突き放されてしまいます。そしてもう一人、ドガのモデルを務めることにいつしか歓びを感じていたマリーも「弟子」の一人と見ることができます、がやはり最後は見捨てられてしまいます。

 結局誰も報われない、暗く後味の悪い物語でしたが、それなのに私が一番引き込まれた章でした。それはきっと、メアリーがドガを見るときの、あるいはマリーを見るときの彼女の心情の描写が直接的で、生々しく、ショッキングだったからです。

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ツケの利く画材屋さん

 陰鬱なドガの前章から、今度は少しユーモラスでほのぼのした物語です。「印象派」と呼ばれた新しい絵画の表現方法が少しずつ世間に知られ始めたこの頃のパリには、後に有名になる画家たちが多く住んでおり、彼らがこぞって通い詰めた画材屋があったそうです。それが通称「トンギィ親父」の店です。

 この章の文章は全て、この店の主人ジュリアン・トンギィの娘が、かのポール・セザンヌに宛てた「手紙」という形式をとっています。手紙の目的はなんと、セザンヌがツケで購入した絵の具代の「支払いの催促」です。こういう設定もよく考えられています。いや実際に「催促の手紙」は送られていたのかも知れません。

 合計4通の手紙の中で語られれているのは、実はトンギィ親父のことがほとんどで、その中でセザンヌの生涯も時折垣間見えます。言ってみればそれほどこの「トンギィ親父」はきっと印象派の歴史上欠かせない存在で、マハさんも彼のことをじっくり取り上げてみたかったのかも知れません。

 駆け出しの画家達がなぜこの店に入り浸ったかというと、ひとえにトンギィ親父の人柄というか、商売そっちのけでとにかく絵と若い画家が大好きだったのです。頑張っていそうな画家の卵が通りから店内を覗いていれば、やあやあお若いの、お入んなさいと店の奥に招き入れ、ワインとチーズでもてなし芸術談議に花を咲かせ、帰るときには絵の具を2、3本持たせてやり「心配しなさんな、お代は作品が売れてからでいいよ」といった具合でサッパリ儲からないのです。また馴染の客なら金の代わりに作品を置いていく者もいます。それが後の大物画家であったりします。実際ゴッホなどは絵の具代の代わりにトンギィ親父の肖像画を描いており、代表作の一つと数えられているようです(もちろん私はそんなこと知りませんでした)。そんなわけで店は画材屋兼画廊(画商)のようになっていきます。

 この頃の、新しい表現に挑戦しようという画家達は皆、世間の悪評と戦いながらも、トンギィ親父のような新しい芸術に理解のある支援者の助けを借りながら頑張っていたのだということがわかります。そして創作を金に換えるということ(今でいう”マネタイズ”ですね)がいかに難しいかということも。

 さらにこのような「儲けにならない支援」の後ろでは妻と子が苦労していたのです。マハ作品に通底する小テーマの一つ《父と子》がここで当てはまりました。それと、このトンギィ親父は「キネマの神様」に出てくるゴウちゃんだ!と私は思いました。元はセールスマンだったゴウちゃん、店を構える前は画材の訪問販売をしていたというトンギィ親父、そっくりですよね。

 この親父が画家達の中でもとりわけ可愛がっていたのがセザンヌでした。そのせいなのか、セザンヌの「ツケ」はどんどん膨れ上がっていったようです。はたしてこのツケは清算されたのでしょうか。

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夢の桃源郷

 ようやく最後の章です。マティス、ドガ、セザンヌ(トンギィ親父)ときて、最後はクロード・モネです。ここで突然ですが、「これまで支えてくれた人に感謝したい」これよく聞く言葉ですよね。特に最近はアスリートの常套句になっています。サラリーマンの口から出ることは稀です。なんでアスリートは支えられないとやっていけないのでしょう?

 これは以前に書いた拙文「はたして運動は買うものか?」シリーズでも取り上げましたが、スポーツはそもそも「遊び」だからです。ごくごく簡単に(乱暴に)言うと、産業革命によって「余暇」というものを手にしたイギリス人が「暇つぶし」のために考え出したのが、サッカーやテニス、クリケットなどスポーツの原点です。つまり「暇つぶし」であって「日々の糧」を得る営みではあり得ないのです。(元々は「遊び」だったというだけで「不要」だとは言っていません、念のため)

 これと同じ理由で、美術や音楽、演劇などの芸術も稼ぐことが極めて難しく、必然的に「支援者パトロン」を必要とします。このマハ作品でも常に芸術家と支援者パトロンがセットで描かれています。ちなみに日本語で「パトロン」というとなんか「愛人を囲う金持ちの脂ぎったオッサン」みたいなイメージが付きまといますが、フランス語ではパトロンは単に「会社のオーナー」という意味で使われることも多い単語です。

 話が横へ逸れました。何が言いたかったかというと、この章は「芸術家(モネ)と支援者パトロンが、それはもう離れがたくくっついてしまう物語なのです。

 主な登場人物はモネ、モネの才能にいち早く目をつけ大口の支援者パトロンとなった実業家エルネスト・オシュデ、その妻アリス、とその娘ブランシュ。物語はブランシュの目線で描かれます。モネ家、オシュデ家一蓮托生で幸福と不幸に見舞われます。つまりエルネストの事業が順風の時期にはモネの作品も次々に買われ、また注文制作の依頼も入り、絵画好きのパトロンと画家にとって幸せな時間です。しかしエルネストの事業が破綻した際には、両家は共に困窮し、ついにはオシュデ家が一家でモネ家に転がり込んで、総勢12人が身を寄せ合って暮らす事態に陥りました。

 両家の最初の出会いから間もなく、オシュデ家の次女ブランシュはモネの助手を務めるようになったのですが、ブランシュはすぐにモネとその絵画、そしてモネの仕事を手伝うことに夢中になります。その一方、母アリスとモネとの何か特別なつながりを察知しては不安にもなります。このままモネと一緒に暮らしながらその仕事をずっと手伝いたい、母とモネがくっついたらそれが叶う、しかしそれは同時に互いの家庭の崩壊を意味する・・・その辺のブランシュの心の描写が非常に巧で飽きることがありませんでした。ここでも「小テーマ」である《師匠に追いすがる弟子》が当てはまりました。「先生のあとをついていく。ただ、そのことだけが、一生を懸けて続けてゆきたい、たったひとつのことだったんだ。」と…

 両家が一緒に暮らし始めて間もなく、エルネストが一人出て行ってしまいます。そして途中は割愛しますが、病身のモネの妻が亡くなった後、モネ家と(エルネストを除く)オシュデ家は本当に一つの家族になるのです。

 次第に作品が世に認められただしたモネは、アリスやブランシュらと一緒にジヴェルニーに移り住み、絵を描くこと以上に庭造りにも没頭します。アリスは一所懸命に料理を作り、ブランシュはモネの仕事をかいがいしく手伝ってきました。そして、アリスの料理を並べて皆で囲んだ「ジヴェルニーの食卓」を、アリスなき後はアリスのレシピを引き継いだブランシュの料理を並べ、モネと共に囲んでいるブランシュ。そのモネは80歳を超えて今まさに画家人生最後となるであろう大作を仕上げようとしているのです。《追いすがる弟子(助手)》はついに師匠に添い遂げることができたのです!師匠であるモネが造ったジヴェルニーという理想郷で。

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おまけ

 実は私、この「ジヴェルニーの食卓」を読んでいる途中、登場する画家達の絵を検索する誘惑に駆られ、実際に一つ二つはパソコンの画面上で見てしまいました。しかし当然ながら何の感動もありませんでした。以降、検索はやめました。したってしょうがないのです。この本に感動したからと言って急に絵画を観る目ができるわけもありませんし、ましてや小さな液晶上で見るだけのことです。それならいっそ、マハさんの文章からぼんやりと想像するだけの方が夢があると思ったのです。しかしもし実物を見る機会が訪れたなら、必ず観ようと思っています。(実は学生時代、ルーヴルもオルセーも実際に訪れているのですが、何を観たのか全く覚えていません。せっかくパリにいるのだからと「記念に」足を運んだに過ぎなかったのです)

 どんな世界でもそうなのでしょうけど、新しいものは常に批判されるのですね。芸術好きで新しモノ好きのフランスでさえ、当時は風変わりな作風に対しては遠慮ない中傷が投げつけられたんだということがわかりました。また人には「評判の良いもの」を良いと感じる習性もあります。もし自分は「良い」と感じても、周囲が良いと言ってなかったなら、そっと自分の気持ちを引っ込めてしまうこともあるでしょう。日本人は特にそうかもしれません。   

 Twitter なんかで「ぁ、この人いい事言ってるな」と思っても、プロフィール見てフォロワーがゼロだと、賛同する気持ちが冷めたりしません?私もあります、そういうこと。「好きなものは好きと、言える気持ち、抱きしめてたい♬」でいいのにね。

 芸術の世界ではこのように表現方法の冒険が幾度も繰り返されていることと想像しますが、もう絵画の表現は出尽くしたということはないのでしょうか?音楽などはもう出尽くした、と言ってる専門家もいますよね。その辺は少し気がかりです。

 この本の中では、モネ(または画家)にとっての夢は経済的に成功することではない、自分が気に入った景色を好きなだけ描き続けることだ、といったことが示唆されていますが、本当にそうなんだろうなと思ったことがありました。

 以前勤めていた職場の同僚に絵を描いている青年がいました。20年くらい前の話です。彼は「僕は絵を描いてさえいたら幸せなんです」と話してくれたことがありました。なんと羨ましい、と感じたのを覚えています。しかし先述のように、それで食えるとは限らない。だから彼は、絵とは関係のない仕事をしながら、空いた時間を全て絵を描くことに費やしていました。

 今年の6月、その彼が個展をやるという噂を聞きつけて、京都の街中にある小さなギャラリーに出かけました。約20年ぶりの再会。彼の絵を見たのは初めてでした。私が言えた感想は、「○○君、絵上手やなぁ」だけでした。それでも彼は喜んでいたように見えました。

 さて、これからこの本の巻末にある「解説」を読みます。余計なバイアスを避けようとわざと読まずにここまで書いてきました。国立西洋美術館の館長という人が書いています。楽しみです。

 「ジヴェルニーの食卓」の読書感想文はこれでおしまいです。長々と書いてきましたのに、ここまで読んでいただきありがとうございました。




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