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永平寺、禅、仏教

永平寺

2023年10月に永平寺に行く機会があった。永平寺は福井市にある禅の道場で、道元が開いた。曹洞宗の大本山だ。道元は1200年に京都で生まれ、比叡山で修行した後、宋に渡り、坐禅を学んだ。そして帰国した後の1244年に越前で永平寺を開山した。
永平寺には雲水と呼ばれる修行僧が修行をしている。毎年2~3月に志願者が集まってきて修行を開始する。修行期間は決められていない。彼らはそこで早朝から夜まで修行しているのである。
永平寺は参拝コースができてて、そこを歩いて行くのだが、修行僧がガイドをしていたり、線香をまぶして線を描いていたり、拝んでいたりと、日常の修行を行っていた。テレビにでてくる長い階段廊下も歩けるし、大きなすりこぎ棒に触ることもできる。
修行僧の一日はウェブで調べることができた。永平寺では4:00には起きて、暁天坐禅(きょうてんざぜん)という朝の坐禅、朝課諷経(ちょうかふぎん)という朝のお勤めである読経と回向の後、小食(しょうじき)と呼ばれる朝食になる。小食が7~8:00。それから有名な雑巾掛けをする廻廊掃除を行い、庭掃きや草むしり、雪かきといった作務(さむ)を行う。そして日中諷経(にっちゅうふぎん)で読経してから中食(ちゅうじき)、すなわち昼ごはん。そしてまた作務で、16:30から晩課諷経(ばんかふぎん)で読経してから、夕食である薬石、その後また夜坐(やざ)という坐禅してから開枕(かいちん)という寝てよい時間になる。これが21:00。
こういっては悪いが、読経とか掃除とか単調な単純労働をさせられたあげく、お経以外の情報も遮断されているなかで坐禅して瞑想する生活を長期間続けることは、まともに考える能力を低下させ、体制に服従する世間知らずの坊主製造過程に思えてしまう。
とはいってもである。禅は日本人のマインドセットに多大な影響も与えていることも事実だ。

禅とは何か、いくつかの記述を見てみよう。

"禅"とはディヤーナの日本語訳であって、それは"言語による表現の範囲を超えたる思想の領域に、瞑想をもって達せんとする人間の努力を意味する"。

この教えは一宗派のドグマ以上のものであって、何人にても絶対の洞察に達したる者は、現世の事象を脱俗して"新しき天と新しき地"とに覚醒するのである。

武士道、新渡戸稲造

曹洞宗の坐禅は、ただひたすらに坐るということです。何か他に目的があってそれを達成する手段として坐禅をするのではありません。

私達は普段の生活の中で自分勝手な欲望や物事の表面にふりまわされてしまいがちですが、坐禅においては様々な思惑や欲にとらわれないことが肝心です。

曹洞宗SOTOZEN-NET

禅とは心の別名です。

ひとつの思いにかたよらない無念の心境を禅定と呼び、ほとけの心のことです。

世の中、意のままにならないものですが、正確には我欲のままにならないということです。禅語の"如意"は意の如くと、思いのままになることを言いますが"如意"の"意"は我欲のことではなく、自他の境界と距離を超えた森羅万象に共通するほとけの心のことを指しています。

臨済宗大本山妙心寺ウェブサイト

いずれも表現は異なるが、見えているものの奥底にある見えない真理を追求してゆく日本人のマインドセットに通じるものである。これは日本人であれば説明しなくとも通じる心意気であり、禅が成立した鎌倉時代から長い時間をかけて受け継がれてきたDNAであるといえるのではないだろうか。

わが国の仏教

禅は仏教の一宗派だ。わが国への仏教公伝は538年、第二十八代宣化天皇の時代である。仏教はその後、わが国の政治に大きな影響を与えたばかりではなく、様々な宗教が入り乱れる独特の日本らしさを形成する最初の宗教になった。その日本らしさは、神道があるにも関わらず、仏教をまず試しに拝んでみたことから始まる。その後、儒教、道教、ヒンズー教なども同じように受け入れた。神仏習合は明治の神仏分離まで続き、その結果かどうかは筆者はわからないが、七福神は夷だけが日本の神で他は外国の神であったり、生まれたときには神道のお宮参り、結婚式はキリスト教式、死んだときには仏式の葬式と戒名という現代の様式につながっていると思う。
政治においては、古墳時代での崇仏派蘇我氏と廃仏派物部氏という豪族の争いから始まり、6世紀末から8世紀初めの飛鳥時代には古墳のかわりに豪族が氏寺を建立、そして8世紀の奈良時代には朝廷の保護を受けて発展した。法隆寺や東大寺、唐招提寺など奈良には有名なお寺が多いのはそのためである。世界に誇れる建築物である東大寺の大仏建立も奈良時代であった。一方、天皇になるなどといったふざけた野望をもった道鏡も仏教の僧侶である。8世紀末から始まる平安時代の初期には国費で唐で修行した最澄(伝教大師)が天台宗を開き、比叡山延暦寺を建立した。同じく遣唐使であった空海(弘法大師)は真言宗を開き、高野山金剛峯寺を建てたほか、嵯峨天皇から京都の東寺も道場としてもらっている。神社や寺院の荘園は非課税であり、こんな時代から政治と癒着があったのかと思う。
禅が始まるのはそのあとの12世紀から始まる鎌倉時代になる。鎌倉時代には、災害や飢饉、戦乱で世の中が不安定であったこともあり、単純な修行でできる宗派が誕生した。南無阿弥陀仏といっていれば極楽浄土に行ける法然の浄土宗と弟子の親鸞の浄土真宗。南無妙法蓮華経と言ってればいい日蓮の日蓮宗。踊念仏の一遍の時宗。師との問答を重視した禅の臨済宗。そして坐禅してればいい道元の曹洞宗である。
仏教はこれら以外にも様々な宗派があるが、オーバーオールには運命に任すという平静、不可避に対する服従、危機に対する沈着といった影響を武士道に与えており、それらは現代においても、さきの東北大地震のときの冷静沈着な日本人の行動に見ることもできる。
さて、2023年もあと二ヶ月である。クリスマスでキリスト教徒になったあと、大晦日ではお寺の除夜の鐘を鳴らして仏教徒になり、新年には神社で神道の初詣をしようではないか。
(Oct/2023)

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