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全力で子どもと遊ぶ才能

僕に子どもはいない。

それどころか、妻、彼女、片思いの相手すらいない。

断っておくが、この記事は僕の独身自虐エピソードではない。


僕には5匹の甥がいる。

兄の子が3匹、姉の子が2匹。

上は中学生、下は3歳と、どれもわんぱくなクソガk良い子たちである。


僕は彼らと一定の距離を保っている。

それは僕がコミュ障ということもあるが、ほかの親族がデレデレしすぎなのだ。

じいじとばあば(僕の両親)は孫がかわいくてしょうがないし、兄夫婦、姉夫婦もわりと子どもに甘々なので、甥たちは良くも悪くも自由気ままに暴れまわる。

甘やかし過ぎるのはよくない。
そう思って、僕は自ら5匹の小さな怪獣たちを牽制する最後の砦となった。

・・・まあ、僕自身は末っ子で、従兄弟もみんな年上だったから、小さい子どもとの接し方をあまりわかっていないだけなのだが。

いずれにしても、ほかの大人たちがギリギリまでがんばって、ギリギリまでふんばって、どうにもこうにもどうにもならないそんな時に、ウルトラマンアルロンは現れるのだ。

要するに、僕は積極的に甥たちと接しようとはせず、甥たちもその空気を少なからず感じ取っているため、僕らの間には少し距離があると思っていただきたい。


僕は実家暮らしだ。

つまり、両親と同居している。

兄夫婦も姉夫婦も近くに住んでいるので、怪獣たちは足しげく我が家に降臨する。

特に姉は、仕事のシフトの有無にかかわらず毎日のようにやってくるので、彼女が一番の怪獣かもしれない。

少し脱線したが、それほど甥たちは頻繁に我が家に出入りしているのだ。



先週の土曜日、姉の長男(小1)がやってきた。便宜上この記事では、彼のことを『タロウ』と呼ぶ。

小学校は休みだが、姉は仕事なので、タロウを朝から夕方まで預かってほしいとのこと。

こういうことはわりと日常茶飯事だが、その日は少し違った。


リビングでは、タロウが折り紙で遊んでいる。
ばあばも一緒だ。

タロウは、折り紙で紙ヒコーキを作っている。
が、初めてなのか、なかなか上手に飛ばせない。
タロウは「ばあば、どうやったら飛ぶようになるの?」と聞くが、ばあばに紙ヒコーキの製造知識はなかった。
さらにばあばには、6月のカレンダーで巨大折り鶴を作るという壮大なプロジェクトがある。紙ヒコーキに割く余力はない。
1級紙ヒコーキ士を募集したほうがいいのだろうか。

そんなことを考えたり考えなかったりしながら、僕も折り紙を手に取った。
1級紙ヒコーキ士の免許はないが、アマチュアで製造と飛行をしたことは何度もある。
設計図などない。しかし、僕には経験がある。
記憶を頼りに、一枚の紙に命を吹き込む。あ、飛行機は無機物か。まあいいや。
ここを折って、あーしてこーして、はい完成。
ウルトラホーク1号のようにスタイリッシュな紙ヒコーキが出来上がった(この記事のアイキャッチ画像がこれです)。

さっそくフライトだ。
見ていてくれ、タロウよ。叔父さんが作ったウルトラホーク1号の輝かしい勇姿を!
3、2、1、リフトオフ!

しゅうんっ

ウルトラホーク1号は、ムーンサルトのごとく弧を描き墜落した。
ば、ばかな。
僕の計算に狂いはな・・・あったわ。20年以上前の記憶なんてアテにならんわ。
ブルーインパルス顔負けのアクロバットだったが、これじゃない。もっと普通に、まっすぐ飛んでほしかったのに。

だが、ここで諦めるわけにはいかない。
何度も折り直して試行錯誤を繰り返す。
隣では、一人プロジェクトを進めていたばあばが、羽根をぱたぱたさせる鶴を完成させた。えっ、すっご。そんなん作れるの?

結果的に、2枚目の折り紙を投入することで機体が安定し、ウルトラホーク1号はなんとかその面目を保った。
どちらかというと、アイスラッガーを彷彿させる鋭い軌道ではあったが。


いそいそと研究をする叔父を見ていたせいか、タロウはウルトラホーク1号に興味を持ったらしい。

「ぼくも作りたい」

と、自ら入隊を志願したのだ。
おお、タロウよ。君にはわかるのだな、このロマン、いや浪漫が。
どれどれ、叔父さんが教えてしんぜよう。

まずはここを折ってだな。それから・・・あれ、ここどうやるんだっけ?一旦ウルトラホーク1号を解体するか、一旦ね。ここがこうなっているから・・・あ、もうちょっとしっかり折った方がいいよ。うーん・・・解体したらよくわからなくなってしまった・・・あ!これはこうだ!だからここはこうで・・・
よし、完成だ!この機体を『シン・ウルトラホーク1号』と名付けよう(叔父さんの心の中で)。

さっそくフライトだ!
見ているのだぞ、タロウよ!叔父さんとともに作ったシン・ウルトラホーク1号の輝かしい勇姿を!
3、2、1、リフトオフ!

しゅうんっ

シン・ウルトラホーク1号は、ムーンサルトのごとく弧を描き墜落した。
ば、ばかな。

そんなこんなでさらに改良を繰り返し、シン・ウルトラホーク1号も疾風の矢のごとく飛翔することができた。
その一部始終を見ていたじいじが、僕に一言。

「お前ってさ、自分に子どもができたら、一緒になって遊ぶタイプだよな」

率直な感想なのか皮肉なのかはわからないが、その言葉は的を射ている。
僕には「一緒に遊んでやる」という感覚がない。
むしろ、一緒に遊んでもらっていると思っている。



同じようなことが前にもあった。

兄家族が実家に遊びに来たときのことである。
当時、兄の息子たちは小学校低学年ごろで、ベイブレードに夢中だった。
色とりどりのベイブレードを何個も所持しており、さらには専用の巨大なスタジアムまである。
それをわざわざ持ってきては、「ゴー・・・シューッ!」の掛け声で互いのベイブレードをガインガインとぶつけあい、勝った負けたと騒ぎ立てる。

何度もやっていると、同じ相手との勝負はだんだんと飽きてくるようだ。
毎日のように兄弟で戦っているのだから、当然だろう。
長きに渡るタイマンに飽きた2匹の怪獣は、「とうちゃんやろうー?」「かあちゃんやろうー?」と近くにいる大人をベイブレード沼に引きずり込もうとする。
しかし、大人たちは沼には入らない。男どもは酒を飲み、女どもはトークに花を咲かせている。
ベイブレード魂を持った大人は、この場にはいなかった。
ただ一人をのぞいては。

(や、やりたい・・・)

叔父こと僕である。
初代のベイブレードはギリギリ世代だったので、多少の心得はあった。
マイベイブレードは持っていなかったものの、友達に借りて一緒に遊んだなあ。
スタジアムの代わりに、使い古されたであろうフライパンの中で、ガインガインやっていたなあ。
淡い少年時代を思い出し感傷に浸る程度には、ベイブレード魂を持っている自覚はある。

だが、叔父はコミュ障。
自分から「一緒にやろう」とは言えないのである。
そこに、兄の妻(甥たちの母)が値千金のアシストをした。

「アルロンくんと一緒にやったら?」

ナイス!ナナナナイス!
三笘薫も顔負けのナイスアシスト。
このチャンスを逃さない手はない。

「どれどれ、ちょいとひねってやりますか」

古のベイブレイダー・アルロン参戦!
そわそわしながら相棒を選択する。どれにしよっかなー。
甥たちの持っているベイブレードの中から、赤とシルバーのなんかメタリックでかっちょいいやつを一つ借りて、ゴー・・・シューッ!

ガインガイン・・・きゅるるるるーーー・・・ぽて

勝てない。
毎日戦っているだけあって、甥たちはめちゃくちゃ上手い。
古のベイブレイダーなんてかっこつけたが、考えてみればベイブレード持ってなかったじゃん、僕。
何度やっても勝てない。
びっくりするほど勝てない。
ば、ばかな。

「こっちのほうが強いよ」
「そっちのやつは微妙」

なるほど、真のベイブレイダーたるもの、ベイブレードの特性を把握しているのは当然ということか。
しかし、強いやつを使って、弱いやつを使った相手に勝っても、あまり楽しくないのでは?
そう思ったが、「これ使っていいよ」と差し出された、赤とゴールドのいかにも強そうなかっちょいいやつを借りて、ゴー・・・シューッ!

ガインガイン・・・きゅるるるるーーー・・・ぽて

たっのし!
めちゃくちゃ楽しいなこれ!
やっぱりスピンが違うね、いいやつは。面白いように弾く弾く。
古のベイブレイダー、念願の初勝利。

結局、その後30試合くらいして僕が飽きてしまったので、「はい僕の勝ちー!これでおしまいー!」と強制退場したが、甥たちとの距離は縮まった気がする。
その一部始終を見ていた兄が、僕に一言。

「子どもと同じ目線で遊ぶことができる大人は、貴重だし必要だ」

自分の中では、子どもと遊ぶことと同世代の友達と遊ぶこととには、大きな差はない。
もちろん大人なので、子どもに比べて腕力や知識が勝る分ハンデをつけるなどの微調整はするが、遊ぶときは全力だ。
勝てば嬉しい。
負ければ悔しい。
失敗すれば何度も挑戦する。
たったこれだけのことなのだが、全力で子どもと遊ぶことが自然にできるというのは、ある意味才能なのかもしれない。
その姿勢が、甥たちに良い影響を与えているのならば、叔父冥利に尽きる。



いつの時代も、子どもを育てるというのは容易いことではない。

なにが正解かわからないし、正解があるのかどうかも怪しい。

一つあげるならば、大人だろうが子どもだろうが結局は同じ人間で、そこに上下関係はないのではないか。

当然ながら、大人が子どもに教えてあげなくてはならないことはたくさんある。

その一方で、子どもから学ぶこともたくさんある。大人だって完全な存在ではないのだから。

子どもを一人の人間として接することで、うまく言えないが「いい感じ」になる気がする。


甥たちと遊んだことは、僕にとっては大切な思い出であり、大きな学びである。

甥たちよ。
君たちが成長し大人になるころには、紙ヒコーキやベイブレードの思い出は忘却の彼方かもしれないが、叔父さんは一生忘れないよ。
もし僕に子どもができたら、その子と一緒にまた遊ぼうね。

そんなことを考えていると、じいじの小言が脳裏をかすめた。

「子どもの前に、嫁さんもらわないとな」


断っておくが、この記事は僕の独身自虐エピソードではない。


#創作大賞2023 #エッセイ部門

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