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ビー・マイ・ベイビー/ザ・ロネッツ Be My Baby / The Ronettes

父と母は集団就職で東京に出て行って、そこで出会って結婚したのだという。
俺が生まれたので、母方の祖父を頼ってS県の田舎町に引っ越したそうだ。

以前うちの母親の若いころの写真を見せてもらったら、ザ・ロネッツのように巻いて大きく膨らませて頭に載せた髪型でミニのワンピースを着ていてビックリした。
60年代当時はこういうのが流行っていたらしい。
なかなかモダンな格好をしていたのだ。
これなら父親が結婚を申し込むのも分かる気がする。

後年は見る影もないが。

ある時、昔の母親の職業について尋ねたら
「喫茶店でお客さんのリクエストに応えてレコードをかける仕事をしていた」というのだ。

ええええええええええええ?
何それ。

60年も昔にそんな職業があったのも驚きだが、自分の母親がそんなシャレた仕事をしていたということを聞いて少なからずショックを受けた。

今でいうDJだもん。

母の兄がかなり悪い方の実力者(!)だったそうで、そういう仕事に就けたのだと言った。「お兄ちゃんは私が欲しいものは何でも持ってきてくれた」

って、おいおい、大丈夫かよ。

まあ道理で俺が聴いてるスティーヴィー・ワンダーやレイ・チャールズの昔のレコードに合わせて英語で歌えるわけだ。

さらに孫にあたる俺の息子はDJをやっている。
隔世遺伝ということか。
彼もその話を聞いて絶句していた。

ザ・ロネッツの曲を知ったのは今思えばフィンガー5のアルバムが最初だ。
ザ・ロネッツのアルバムを買って聴いたときに、どこかで聴いたことがあるイントロだなと不思議に思っていたらフィンガー5の「上級生」という曲のイントロがまんまザ・ロネッツの「ドゥー・アイ・ラヴ・ユー」と同じで聞き覚えがあったのだ。
今だったらフィル・スペクターに怒られるところだ。
ちなみに「ステッピン・ストーン」を最初に聴いたのもフィンガー5だ。

ザ・ロネッツを最初に意識して聴いたのは、ザ・フーの「さらば青春の光」のサウンドトラック盤だ。
カスケーズの「悲しき雨音」やザ・クリスタルズの「ダ・ドゥー・ロン・ロン」とともに「ビー・マイ・ベイビー」が収録されていた。

ドン ドドン パン 
ドン ドドン パン

リバーヴがかかったシンプルなドラムのリズムとハンドクラップ。
続いてウオールオブサウンドが曲全体を覆う。
 
女性ボーカルのグループが曲調と相まってなぜか自分にしっくりきて、マイナー調のもの悲しさや何とも甘えた感じの歌声が気に入った。

男はみんなこの歌声に恋してしまうだろうな。

続けざまにフィル・スペクターのクリスマスアルバムも買った。
それ以来、クリスマスには必ずフィル・スペクターのクリスマスアルバムをかける。

写真は母と俺。浅草雷門の前で。

母は今年5月に亡くなったので今年のクリスマスは迎えられなかった。

感謝しかない。
ありがとう。


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