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東京の櫻たち

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 たった今、この記事の一つ前に投稿した記事の日付を確認してみた。すると、なんとそれは、遡ること1年と2か月も前の節分の日であり、しかも、その一年前の記事が、僕の最初の記事なのだった。つまるところ、何となく一つ目の記事の投稿をしてから一年以上もの間、何一つここに文章を書くことなく、その後一切の投稿をサボり続け、殆ど死にアカ同然のアカウントになっていたのだ。何というズボラな性分。これは昔からでもあるのだけれど、本当に飽きの早い性分なのだ。

 さて、そんな僕がどうしてまた、こうしてちょっと久しぶりに投稿をしてみようかなどと考えたのか・・・それに関しては、自分の中でもはっきり理由はないのだけれど、なんだかそれをうまくまとめることができないので、それはまた今度ここに書きたいと思う。

 というわけで、今回何となくお題で目にした、というたったそれだけの理由で、今日、一年と二か月ぶりの投稿をしてみようと思う。

いざ桜並木へ


 最前線、とはいったものの、実はちょっとしたお花見に出かけたのは、かれこれ2週間ほど前の日曜日のことだ。仕事柄、土曜日も会社に出勤し、かつ昼夜逆転の勤務になりがちな僕はその日、日曜日の午前10時くらいまで会社で仕事をしたのちに、一眼レフのカメラを片手に、ふと会社の最寄りの西武新宿線の駅から、家の方向とは反対に向かう電車に乗り込んだ。そして、そのままどこに向かうと決めることもなく、都心の方へ向かった。途中、上石神井で急行に乗り換えた僕は、高田馬場で山手線に乗り換え、とりあえず渋谷品川方面の電車に乗り込み・・・どこへ行こうか、そう思いながら、曇りと表現するには青空が顔を出しすぎている一方、晴れたというにはしかし雲の多いというそんな空を、ドアのガラス越しに見つめていた。

 そんな時、ふと、五反田駅を通過すると、一瞬目にとびこんできたのが、桜の木に包まれた、目黒川だった。

 ここで降りよう。

 反射的にそう思うと、僕は停車した大崎駅を降り、改札を出た左手側を進み道なりにまっすぐ進み、目黒川へと歩み出した。

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 3分ほど歩いて到着したそこは、まさにこの時期の休日に見る光景そのものだった。たくさんの家族連れやご夫婦の方々、ジョギングに勤しむ男性や友人と二人で来たであろう女性、そして川を次から次へと行き来する屋形船にも、たくさんのお客さんたちが乗船していて、誰もがマスクをして過ごしていることを除けばそれは、かつて桜の咲き始めるたびに、この川で見られていたであろうまさにその光景だった。

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 桜の向こうに聳え立つタワーマンション。東京都心、それも目黒区や品川区といった場所を象徴するかのようなその建物群は、桜という、どこか古風な花に添えられるには、どこかあまりに近代的で、モノリスのような無機質さを感じさせていたけれど、東京という空間で出食わすと、不思議と味だと思えてくる。

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 そしてこうなると、僕のような、カメラを片手にした人間は、俄然元気になるのだ。ファインダーの向こうに広がる、薄い桃色に染まった景色。シャッターを押すたびに、300mmの望遠レンズでトリミングされたその光景が一枚一枚、定期券程度の厚さしかない小さなメモリーカードの中に、数百ページもあるアルバムのように溜まっていく。橋を通るたび、向こう岸に咲く桜が目に飛び込むたび、僕はその方向にカメラを向けた。

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 そうして所々で立ち止まりながら道なりに進むうち、やがて目黒川は、新幹線や横須賀線、京浜東北線といった、都内主要各線が轟音を響かせて通り過ぎる高架下を過ぎ、さらに進めば、今度は京浜急行新馬場駅に突き当たる。こんな長閑な川であっても、その地下には首都高速環状線の長いトンネルが走っており、そこではきっと、今も無数の車やトラックが行き来しているだろう。けれど、そんな地の下で息吹く鋼鉄の蠢動を微塵も感じさせないくらい、この川は穏やかで、そこに咲くこのわずか数週間の命であろう薄い桃色の花々は、子供から老人、いや犬や猫や鳥たちであろうと、ただこの川を行き交う命の数々を、静かに見つめ続けているのだ。

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 鎮守橋に咲く桜。桜の花びらと、赤い和風情緒を感じさせる橋の欄干は、やはり見ていてとても似合う。まるでこの花をより美しく見せるために、そこにあるべき場所と装飾がまさにセットのようにそこに用意されているようで、ここを通り過ぎるときは本当に、なんというか、和む。

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 そうして鎮守橋を過ぎると、いよいよ目黒川は終わりに近づいてくる。少しずつ大きくなってくる人々の声と、りんかい橋を行き交う車の走行音。そして、顔を上げた先にあたかも塔のように聳え立つ、火力発電所のものと思しき高くて白い煙突。段々と近づくその声は、東品川海上公園で遊ぶ人々の声であり、同時にそここそが、この東京を流れる小さな川のゴール地点であり、この目黒川が、第一京浜運河へと、吸い込まれて行く、まさにその場所だ。(もっとも、目黒川は下流側の第一京浜から流れ出て目黒川になっているのだから、吸い込まれて行くという言い方は、実際のところは全くもって逆の言い方で大変不正確なのだけれど・・・)

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 やがてたどり着いた大きな公園。川幅を急に増したかと思えば、明らかに人工的に形作られたものだとわかる直角に曲がった川。それを取り囲むワイヤーの張られた橋と、ぐるりと公園を取り囲むマンション。今まで歩いてきた、どこか「ここは昔からこうだったのだろうな」と思わせるような、どことなく江戸の残香の漂う川沿いの景色とは明らかに趣の違う、人々がそこに住むよう計画的に設計された区画整理や整地の施された、東京湾臨海部ならではの都市空間。たくさんの家族づれや少年少女たちで賑わうその公園にたどり着いたとき・・・桜並木がその姿を消し、代わりに工業地帯の機械的なオブジェクトの数々が、その目線の向こうにその姿を表したとき、僕のその日の目黒川の散歩は、終わりを告げた。

 何か心が動かされたかといえば、正直なところ、そうした感動があるわけではなかったと思う。それは多分、僕の心がそのくらい死んでいるのかもしれないし、あるいは、単に実のところ、桜並木の景色に思いを馳せることにそもそも興味がない性格なのかもしれない。けれども、「来てよかった」と思ったのは確かだった。カメラ好きの人間は、概して、セットで散歩が趣味になりがちだ。少なくとも、そんな僕の散歩趣味に関しては、その日は十分すぎるほど満たされた一日だった。


あとがき


 随分久しぶりに、こうして原稿用紙数枚分に及ぶ文章を書き上げた。一体皆様方は、どのくらいの文字数の記事を、一体どれくらいの時間で書き上げるのでしょうか?こうして久しぶりに長めの文章を書いていると、何十万字という膨大な量の文章を書き上げるライター様や小説家の方々の、その語彙力や、息切れしないだけの体力と、それだけ吐き出してもなお尽きることのないその情報量なんかに、僕はつくづく圧倒される。きっとそれだけ、僕なんかでは見過ごしてしまうような風景の一ページ、例えば自分の脇を通り過ぎていった、ブルドッグの散歩をしていたご年配の女性や、この付近に住んでいるのであろう、友人と話しながら自転車に乗って颯爽と通り過ぎていった、高校生くらいと思しき少年たちなんかに向ける目線と観察眼が違うのだろう。ちなみに、その日の散歩だけれど、僕はその後もしばらく散歩を続け、東京モノレールの高架下沿いにまた歩むうちに、いつものようにレインボーブリッジの足元まで歩を進めたのだった。レインボーブリッジというその場所が、僕はこの東京都いう空間の中でも一、二を争うくらいに好きな場所で、あの高い橋の遊歩道を歩いて、海から吹く風と、大井町の工業地帯の向こうに沈んでいく夕日を見ていると、ふと自分の体が、この海と空と、そしてこのコンクリートジャングルの中に、まるで灰で出来た肉体がサラサラと風に吹かれて消えていき、大気と一体になるかのような、そんな感覚になる。そして、そんな自我をふと切り離される瞬間が、僕にはとても居心地がいい。

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 残念なことに遊歩道に着く頃には営業時間が終了していたので、この日は足下止まりだったのですが・・・こんな幾何学的で無機質な、どこか灰色一色に染まったかのようなこの空間が、僕にはどうやら相性がいいらしいのだ。

 長々とした文章でしたが、もし読んでいただけたなら、とても嬉しいです。そして読んでくださった方々、本当にありがとうございます。

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