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嫌いなヤツは地獄行き!?~「やさしいダンテ〈神曲〉」

誰しも少し背伸びをしてみたい時がある。
あまりよく分からないけど、ちょっと齧ってみたい書籍など。その代表的な作品の一つがダンテの「神曲」ではないだろうか。名前からして格好いい。よく分からないけど。。
そんな背伸びしたい人にちょうどいい作品を阿刀田高がものしてくれている。その名も「やさしいダンテ〈神曲〉」である。

ダンテが地獄・煉獄・天国と経巡ってくる様を、全部で百歌の詩で書きあげている。

そもそもこの神曲、何がそんなにすごいのか。阿刀田は簡潔にこのように述べている。

〈神曲〉の価値は、ラテン語を排して優れたイタリア語を確立する道を拓きルネッサンス運動の嚆矢となったこと、中世の百科全書的な知識を巧みに網羅していること、叙事詩として高いレベルを達成していること、などなどが指摘され、まことに、まことに世界の古典の名にふさわしいが、冥界のパターンを明示したことも一つの大きな特徴であったろう。

そう、内容はキリスト教はもとより、ローマ・ギリシャ神話や当時の世情・ゴシップなど多岐にわたっているのだ。正直現代の日本人にとってはとても遠い内容でもある。多くの人物が登場するが、誰が地獄で誰が煉獄・天国かという振り分けも多分にダンテの主観が含まれている。

ダンテの立場は”崇高なる自己中心”であり〈神曲〉をたどる限りあまり批判を加えたりしてはいけないのである。

崇高な文章でなければ、単なる個人的なうらみつらみ・ゴシップに堕してしまってもおかしくない。何事も文章の巧さは大事なのだ。

では、個々の事例については前提知識のない私たち。本作をどのように捉えればよいのだろう。

ダンテはラテン語から民衆の言語イタリア語へと、洗練された文章を示すことにより道を開き、その意味でルネッサンス運動の嚆矢とされているが、ここでも言葉は民族であり、民族は言葉であるというテーゼが表れており、中世に軸足を置きながらも、遠いギリシャの人間的な考えに目を向けたところがおもしろい。

崇高な言葉に幻惑されてしまいがちだが、そのゴシップさ加減こそ「人間的」で当時としては画期的なことだったということなのだ。
中世は何事も神が中心の世の中。詩や絵画もすべて神を礼賛するためだけにある。そのような中で、神は礼賛しつつも、異教の神々も登場させながら、自分の考えを織り込ませていくという叙述こそ、人間礼賛のルネッサンスの先駆けといわれる所以なのだろう。

そもそも「神曲」とは森鴎外が最初に意訳した言葉。イタリア語の原題は「神聖喜劇」。何も畏まって拝するのではなく、面白おかしく読み飛ばしていけばよいのである。
そう思えば少しは取っつきやすくなるだろうか。いや、まだまだ。かな。


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