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2024年、1月のこと。


2024年についてを年末に振り返るとする。それはきっと、2023年を振り返るのとは少し違うだろうなぁと思う。少なくとも、年齢としての大きな変化は迎える。晴れやかな気持ちと、少しの名残惜しさも持ち合わせている。だれかにとって「それしきのこと」でも、私にとっては重大だ。

20代の最後は、ひと月ずつ、大切に振り返っておこうと思う。

大切な時間を、めいっぱい生きられますように。





1月の記憶



【映画】

・クレイジークルーズ 坂元裕二

いい人なんかいない。いい人というのは、“いい人でいることを努力してくれる”から、いい人なんだ。そういうことを、言い切ってくれる。「この世で最も愚かな人間、それは店員さんに偉そうな人です!」みたいな、単純明快で爽快な台詞も要所要所に出てきて気持ちいい。最後にちゃんと“いい人”が救われて終わるのも、いろんな伏線を一度きりでなく骨の髄まで吸い尽くすように使い切るのも、坂元裕二節が効いていて最高だった。

“ドラマの人”だった坂元裕二が、『花束みたいな恋をした』『怪物』に続き手掛けた映画。これまでの坂元裕二作品の良さは、そこまで心の中を掘り下げるのかと言わんばかりの人間ドラマの台詞劇だった。10話通して描き続けるドラマだからこそ成せる技だと思っていた。それを、映画という2時間半の中で十分にやってのける。むしろやりたいことをやり尽くすから、映画の中の「要らない時間」が一瞬もない。かといって、よくある「話が飛びすぎて伝わらなかった」とか「スケールを壮大にしすぎてついていけなかった」みたいなことも無いのだ。それは、「このシーン入れないと伝わらないかな?」みたいなことで説明用に撮られたカットがないからかもしれない。そこまで説明しなくても観る人が感じとって推測してくれるだろうというふうに、観客を信じてくれている、という感じがする。詳しく描いた方がいいところと、大胆に省いて観客の想像に任せるところ、そのバランスが絶妙で、だから最後まで楽しい。痛快だ。拍手喝采!

坂元裕二がNetflixと5年契約を結び一作目が公開されて、自分の中で映画の捉え方が大きく変わった。

去年まで私はここに書いていたように、“映画は映画館で観てこそ”という思いが強くあった。

だけど、クレイジークルーズがNetflixで世界に向けて公開されて、何ヶ国語もの吹き替え、字幕がついて、ハッとしたんだ。坂元裕二の脚本を、世界中の人が味わえる。こんなに素晴らしい作品を、映画館の中に閉じ込めておいたらダメなんだなって。

これは、CDから音楽サブスクリプションへの変遷を遂げた時と、全く同じ感覚だった。

確かに、CD発売が決定すると本当に嬉しくて、待ち遠しくて、予約してから発売日までは生き甲斐のように日々を過ごして、手に届いた日の帰り道のスクールバッグはいつもよりも何倍も大切に抱えて、お家に着いたら一目散に自分の部屋に直行する。スクールバッグの中からそーっと新譜を取り出して、つーっとビニールテープをきれいに剥がす。ディスクを開く時の興奮といったらなかった。新品のは少しだけまだ固いんだ。パキッと丁寧に出して、円盤をラジカセに移す。一曲目。どれだけ胸が高鳴ったか。すーっと息を吸い込むようにして曲を身体に取り込んで、2周目で歌詞カードを開いて宝物みたく一文字一文字を目で追いかけて。あんな音楽の聴き方、もう、しない。できない。

だって今はいつだって、聴きたい音を聴きたい時に再生できる。知りたい歌詞が分かる。辞書を引っ張り出さなくたって簡単に和訳が見つかるし、それを歌っている歌手自身がインスタライブでお話ししてくれる。憧れが、こんなにも身近にある。それでよかったもん。こんな素敵な世界はないよ。良いものは、世界中に知れ渡るべきだ。遠い国のどこかで、日本の歌を聴いて、歌手の夢をもつ人がいるかもしれない。遠い国のどこかで、日本の歌詞を読んで、涙が止まった誰かがいるかもしれない。すてきなものは、世界のどこまでだって、広がっていったほうがいいよ。そうしたら、何億年後には、もしかしたら、世界がひとつになっているかもしれないじゃない。世界はひとつになるべきなんだ。


【ドラマ】

・不適切にもほどがある! 宮藤官九郎
・光る君へ 大石静

クドカン作品、待ってました。言いたいことはたくさんある。でも一言でまとめるならば「面白いにもほどがある!」これだけだ。なので、今回は待ちに待った『光る君へ』を。


2024年、今年の大河ドラマは、今から1000年前の世・平安時代を舞台に、紫式部の生涯が描かれる。こう書き始めておいてなんだが、今から書くことは至って真面目な番宣記事とは程遠くかけ離れる。私としては、推し・紫式部を推し・吉高由里子が演じるという推しの大渋滞が起こっていることに嬉々として毎週日曜日をただ心待ちにしているだけなのだ。

吉高由里子が大好きなお酒を断ち「自分の代表作にしたい」と臨んでいる今作品なので、私も腰を据えて物語を1年間楽しむための序章を、此処に記しておきたい。




紫式部は、1000年前のこの世におそらく本当に生きていた歌人であり、作家である。その証拠に、現世にも残る『源氏物語』という大作が存在する。ここで“おそらく”とあえて書いたのは、1000年も前のことなんてぶっちゃけ今後どう覆るかは分からないからだ。その最たる例が、あんなに覚えさせられた「遣隋使の派遣」「冠位十二階の制定」「憲法十七条の制定」を行ったのは誰か?答え聖徳太子で有名な、あの聖徳太子でさえ教科書から消えた。ゆとり世代真っ只中を生きてきて、教科書が一瞬ペラッペラになった当時、あのペラッペラの中にも結構な行数が割かれ紹介されていた人物・聖徳太子が、令和の教科書にはもういない。まじなんだったんだと思わざるを得ないのだが、まぁそれが歴史っちゅうことです。それだけ研究が進んだ証でもあるんです。

正直、古文の授業で初めて源氏物語を読んだ時の所感は「意味わかんねぇ」だった。全くもって謎だった。そもそも光源氏の周りにいる女の名前を覚えるだけで混乱した。ふじつぼだかきりつぼだか分からない上に複雑で、更にはその女の名前が途中から変わったりするもんだからもう訳が分からずに結局ついていくのを断念した。どうせ理数系選択の私には優美な世界のことは分からんと諦めた。二次方程式の解の公式を解いてる方が明らかに楽しいと心から思った。

しかし、清少納言の言いたいことはなんとなく分かった。清少納言はみんなご存知『枕草子』を書いた人。「春はあけぼの。やうやう白くなりゆく山ぎは」のやつ。あれって所謂、「春は夜明けがいいねぇ〜!夏は夜がいいねぇ〜!秋は夕暮れがいいねぇ〜!冬は早朝がいいねぇ〜!!!」っていう趣を詠んでるんだけど、まじで普通に今でも共感できるし、なんなら清少納言が現世に生きてたら絶対インスタ映えする写真とか撮って自撮りとともに載せるタイプだと思うんだ。(たぶん)

何が言いたいかっていうと、紫式部が現代でいう長編作家の先生だとすれば、清少納言は生粋のエッセイスト、ちなみに小野小町はポエマーみが強いということだと思う。(たぶん)(なんかごめん)

そんなこんなで、そういう歌人たちの歌がぎゅっとまとめられてる最強のカードがあって、その名を『百人一首』という。(最近いまさら遊戯王見返しててデュエル・マスターズにハマった)

俺のターン!ドロー!

『めぐり逢ひて 見しやそれとも わかぬ間に雲がくれにし 夜半の月かな』

これ紫式部の歌なんだけど、幼なじみとの束の間の再会を月になぞらえて詠んでるの。幼なじみとせっかく会えたっていうのにお互いにお互いを確かめ合う前にもう帰っていってしまったっていうことを、雲間から見えた光が月かどうかその姿を確かめる前にもう雲に隠れてしまった月のようだって言ってる。

源氏物語はよく分かんなかったけど、この歌をよんだときに和歌の愉しさを知った。

よく百人一首のうたのことを「千年前の人も同じ月見て同じこと思ってるのエモい」みたいに言われること多いけど、でも思うに地球側(宇宙側)からしてみたら、137億年の歴史がある宇宙空間に比べたらポッと出の人間がたった千年同じ月見上げて綺麗だとかなんだとか喜んでるのってめっちゃ短い時間感覚なんだよなぁって。

月からしてみたら、「いやいや45億年前から美しいで有名なんですけど今更何言ってんの」くらいの気持ちだよなぁ。

宇宙ってまだ5%しか解明されてないらしい。

そう考えると、たった1000年前を生きてた紫式部のこと、めちゃくちゃ身近に思えるんだ。理系だとかなんだとか言って、実は百人一首、百のうたぜんぶ覚えてる。和歌が好きなんです。1000年前の和歌が好きだし、令和で聴くヨルシカも好きだ。


【ライブ】

・中島みゆき 国際フォーラム

「お互い生きている間に一度は聴きたい」

その夢が、ようやく叶った。年齢のことはとやかく言うことでもないかもしれないが、おんとし71歳にして、早着替えもこなしステージの端から端へと移動する。跳ねる。それにしてもブレない歌声。圧巻だった。身体のどこからあれだけのエネルギーが湧き上がってくるんだろう。

今日は、私が中島みゆきファンになった最初のきっかけのことを書きたい。それは、かの伝説の名番組「中島みゆきのオールナイトニッポン」との出会いのことである。もちろん私が生まれる遥か前に8年間続いた番組は終了していた。

中島みゆきの歌自体はもちろん知っていたし、惹かれていた。しかし、決定的だったのは、当時のオールナイトニッポンの録音を聴いた時だった。

1984年2月7日の放送、あるお便りが読まれた。
みゆきさん「ペンネーム『生きるの辛いね』って書いてあります。女の子からです。」


みゆきさんこんにちは。

私、世界で一番のブスです。
誰が見たってブスです。

自分でも分かっています。
分かってるんです。

でも、人から変な態度取られると
やっぱり傷つくんですよね。

周りの友達から毎日ブスって言われて
街歩いてても吐く真似されて

学級の男子からは睨まれて
おまけに生徒会長の人からは
目の前でいろんなこと言われて

ああ、目の前が霞んで見えない。
字も書きにくい。
でも頑張って書きます。

私、今年受験です。
志望校に願書も出します。

だけど、だけど、
その高校には怖い人がいます。

中2の終わり頃
何度も何度も目の前に立って吐く真似して
みんなの笑い者にされました。

同じ高校に入ったらまたイヤなことされて
毎日泣かないといけないのかと思うと
勉強できません。


死にたいなって思ったり
私が死んだらあの人たち喜ぶだろうな
とか考えます。



お母さん恨んだけど
恨んじゃいけませんよね。
ここまで育ててくれたんだもの。



みゆきさん、こんな私でも
生きてて良かったって思うこと
ありますよね。


堂々と人前歩けるようになれる日、来ますよね。


その日を夢見て頑張ります。

そして、そして、
みゆきさんのコンサートの日には
今の私でない私になってみようと思います。



みゆきさんの、回答です。

「日本中でこの今の番組を聴いている人、
誰が一番醜く見えるか分かると思います。

このハガキをくれたあなた。
そのくらいのことが分かる人が、日本中にいっぱいいると思います。

今あなたの周りにいる、学校のそういうことを言うあなたを傷つけた仲間だけが人間だと思わないでほしいと思います。

これからいろんな人に会っていくことと思います。

世の中、狭く見ないでくださいね。

女の子は、金さえかければある程度いくらでも美人になれると私は思います。顔ってのはいくらでも造れます。金さえかければ。

でも、金かけてキレイになれないものもあると思います。


コンサートの日は
アンタのままのアンタで、おいでよね。




また来週。」


真に迫るようなことは、何も言わない。
ただ、強く優しい。だから彼女の歌に、惹かれる。彼女の心が、歌に表れるからだと思う。

「そのくらいのことが分かる人が、日本中にいっぱいいると思います。」今はもう、中島みゆきの歌も日本を越えて、世界中で聴かれている。


そしてこの先の1000年も、聴かれ続けていく歌になるんだと思う。


『まわる まわるよ 時代は回る』



1月、考えていた諸々のことです。


今月出会えた相棒のギターのすてな音も、今度、いつか、聴いてください。

私の初代のギターを、震災でギターをなくしてしまった方がいたら、お譲りしたいと思っているのだけれど…出会うべき場所が、行くべき場所があれば、おのずと導かれるものだから。まちも、身体も心も、復興に向かっていきますように。



憧れを踏みつける自分の弱さに
悲しみが 寂しさが 時々こぼれても
涙の軌道は綺麗な川に変わる
そこに
笹舟のような 祈りを 浮かべればいい

Mr.Children  祈り〜涙の軌道





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