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野生の棋士(進化的自戦記)

 数ある中からこれというネクタイを選ぶ。頼りになるのは直感だろう。
 対局が始まるとスーツを脱いで、袖をまくる。既に朝から気を抜くことはできない。今日はどんな囲いで行こうか。まずは形から入る。囲いとはファッションのようなものだ。何が優れているのか、機能的であるのか、また、生身の人間が戦う以上は、自分の気持ちが乗っていくことも重要だ。形は時代と共に大きく変わるが、変わらないものもある。

 難しいところでは、私は膝を崩す。人間の集中には限りがある。さあ、おやつをいただくとしよう。その時には、一旦パジャマに着替えてリラックスする。長い戦いの中ではメリハリをつけることが重要だ。糖質を補給して、金の頭に銀を重ねる。金の先端に銀の後部が微かに重なりながら音を立てる時、連携が強固になることが実感される。
 席を立ち、身だしなみを整えて戻る。午前中から激しく駒がぶつかる。私は敵陣深くに早くも角を打ち込む。腕が目一杯伸びて着手される時、私は攻めているのだと感じる。


「対局再開となります」

 五目チャーハンを食べるとすぐに午後の対局が始まった。乱戦となったので私は少しラフな格好で戦いに臨んだ。敵の猛攻に耐えながら、何とか陣形を立て直した。しかし、受け続けて勝てるものではない。反撃の手段をどこに求めるべきか……。中盤の難所、私は大長考に沈んだ。
(いちごもいい、ぶどうもいい、バナナもいい、メロンもある、キウイもある、みかんもある、りんごもある、梨もある、もっとある)

 魅力的なフルーツ畑の中を歩くように、読みの中を迷い、ときめき、苦しんでいた。いつまでも探究していたい。(いつまでもこうしてはいられない)手段を求めさまよえる内は、手段を見失うことはないだろう。けれども、目標を見失ってしまった時、あらゆる手段は零れ落ちるだろう。最もまずいのは何も決めないことだ。勝負の中では多くの欲を捨てて決断しなければならない。

 幾度の駒交換が行われ、駒台に新しい駒が加わる。(宝物を確保する)駒台は素晴らしい場所だ。どんな敵も手を出すことが許されない、そこは自分だけの手が届く聖域だ。
 左辺で多くを犠牲にして、急所にと金を作る。

(駒が成る)
 3本の指が巧みに連動して駒をひっくり返し、敵陣に(または敵陣より)着手する。指先が価値を反転させる。この時の仕草(形、動作)が、私は一番好きだ。だから、私は将棋指しなのだろう。


「対局再開となります」

 もやしそばを食べるとすぐに夜戦に突入した。
 反撃に一定の効果はみられたものの、私の囲いの方が先に薄くなってしまった。朝には名のある形だったはずだが、崩れに崩れて今はもう面影も残っていない。たっぷりとあった持ち時間も、すっかり削られてしまった。どう考えても、最大の懸念は自玉に迫る飛車以外にあり得なかった。

 駒台から金をつかみ、飛車の腹に当ててしかりつける時、自然と駒音は高くなった。将棋とは飛車を巡るゲームだということを、ここにきて再発見する。恐ろしいのは、手がみえないことではなく、希望を見失うこと。それは竜の視線から逃れられなくなるのと同じだ。

 戦いの中で囲いは変化し、私自身も変わりながら成長を続けなければならない。最終盤となり、もはやネクタイなどは放り投げた。シャツを脱ぎ捨て、野生の本能を剥き出しにして、敵陣に迫る。


「残り10分です」

 私はついにマスクも外し、王将に向かって吠えた。



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