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38歳、芸大受験してみた。⑭

私がどれほど不合格を確信していたかというと、①もう上野には当分来ないと思い、招待券を持っていた隣の都美術館に、まだ会期はあるのに試験3日目に寄って帰ったほど、②唯一全てを話してあり、結果が出たら報告がてら飲みに誘おうと思っていた芸大卒の友人Nに、結果なんて待つまでもないと、これまた当日中に誘いを入れ実際に飲んだほど、③翌日の仕事で「私きのうまで大学受験してたんですよ!」とすっかりネタにしていたほどである。

3年計画で、東京五輪までに学生に。

そんなことを考え、とりあえず様子見と思って受けたはずの1年目。だが終わってみれば、すっかり満足してきれいさっぱり諦めがつき、良い経験だった!という清々しい気持ちになっていた。「38歳、芸大受験してみた。」というタイトルも、久しぶりのビールをNとともに楽しみながら、不合格体験記を想定して付けたものなのである。

そんなわけで3月12日の合格発表日も、大学まで見に行くなんて発想は毛頭なく、普通にカフェで仕事をしていた。大学での掲示の1時間後にはウェブ上にもアップされるため、自分はさておき、3日間も受けていると何番がどんな子か大体わかってしまっていたメンバーのうち誰が受かったのかなあくらいの気持ちで、アップされてからさらに1時間後くらいに、仕事が一段落してから見た。

ら。45番が、あった。

目を疑うとは、こういうことを言う。何かの間違いかと思い、母親やNや、逆言霊信仰により芸大とは明かさなかったがなんとなく大学受験をすることはほのめかしていた友人AやMに、そっちのPCから見てもある?と問い合わせてみた。たまたま上野にいたというAはなんと、大学まで直接見に行ってくれた。それでもやはり、45番はあるという。

何かの間違いではあるのだろう。少なくとも、定員23名のところ24名受かっていたので、正規合格ではなく補欠、あるいは大人枠みたいなことであることは確かだ。実力が足りていないのは明らかで、入ってから苦労することもまた疑いようがない。実際、報告を入れた諸先生方のうち、ピアノのW先生などはわざわざ電話をくださるほど喜んでくれたが、和声のT先生からは「合格したことは記念にして仕事に邁進されては」とのメールをいただいた。

だが、私は運命論者である。

どんな採点ミスや判断ミスが起こっていたにせよ、受かったという事実を上回る「行けってこと」の啓示があるだろうか。現実問題として通えるかどうかを考えて迷ったり、あまりにも煩雑な入学手続きに挫けそうになったり、ふと冷静になって何を血迷っているんだと自分にツッコミを入れたりすることもあったが、啓示には従うしかないと、手続きを進めた。友人たちが喜んで…というより面白がってくれたことが、私にとって何よりの救いであった。

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