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教育への権利 (とちぎ教科書裁判宇都宮地裁における準備書面から)

以下の準備書面(一部)は、「とちぎ教科書裁判」本人訴訟原告 白崎一裕が作成した。2008年だから以前の文書だが、「教育の自治」ということを説明しているので現在でも参考にしていただけると思い、ここに記録いたします。

平成18年(行ウ)第11号
扶桑社版歴史及び公民教科書採択違法確認等請求事件
原告 田上 中 他93名
被告 大田原市他6名

準備書面( )

(中略) 

(注)この準備書面は原告・白崎一裕が作成した。



頭書事件について、原告は、下記の通り弁論を準備する

●原告適格についての補足説明――国民の教育への権利をめぐって、および教科書検定制度の廃止について

A 教育という子どもの人権保障は、国家の義務である

われわれの主張の基本は、子どもの人権のひとつである教育への権利保障を
おこなうべき行政(地方行政および国)がその義務を怠っているということにある。(コンドルセ「公教育の本質と義務」冒頭文「公教育は人民に対する社会の義務である」を参照のこと)
ここでいう教育が人権であるということについては
「国連社会権規約委員会、一般的意見13号:教育への権利(規約13条)」において、「教育はそれ自体で人権であるとともに、他の人権を実現する不可欠な手段でもある。」と述べられているところである。

当然、この義務を果たすためには、憲法に基く権利行使が、国民(人民)の委託によりなされなければならない。したがって、憲法にある人権条項が国家により保障されているかどうかの問題は、等しく国民(人民)全体にかかわることとされる(すなわち、国民(人民)全体が教育に対する責任主体なのである)。
 さて、その子どもの人権としての教育についての規定であるが、そのことは、
国際人権法である、子どもの権利条約やその条約に集約されるまでの世界人権宣言をはじめとする様々な国際法や宣言、勧告などや、条約批准後に国連人権委員会より勧告がだされている種々の文言に明らかにされている。以下B段において列挙したものがその一部である。また、ここでは、それらを反映していると思われる諸外国の憲法も参考に掲げた。

B 教育人権条項を国際法中心にみる

①、 世界人権宣言 第26条 1、すべて人は、教育への権利(the right to education)を有する。――(略)
2、教育は人格の完全な発展並びに人権及び基本的自由の尊重の強化を目的としなければならない。教育は、すべての国または人種若しくは宗教集団の相互間の理解、寛容及び友好関係を増進し、かつ、平和の維持のため、国際連合の活動を推進するものでなければならない。
3、父母は、その子ども(児童)に与える教育の種類を選択する優先的権利を有する。

②  国際人権規約・社会権規約 第13条第1項(古山明男訳)
第1項 この規約の締約国は、教育についてのすべての者の「教育への権利」を認める。
第2項  ――公の機関によって設置された学校以外の学校を児童のために選択する自由を有することを尊重することを約束する。
第4項 ――この条のいかなる規定も、個人及び団体が教育機関を設置し及び運営する自由を妨げるものと解してはならない。 

③ 子どもの権利条約
第3条 (最善の利益の確保)子どもにかかわるすべての活動において、その活動が公的もしくは私的な社会福祉機関、裁判所、行政機関または立法機関によってなされたかどうかにかかわらず、子どもの最善の利益が第一義的に考慮される。
   第29条 (教育の目的)
     子どもの権利条約 第29条1項
1 締約国は、子どもの教育が次のことを指向すべきことに同意する。
(a) 子どもの人格、才能、ならびに、精神的および身体的能力をその可能最大限度まで発達させること。
(b) 人権および基本的自由ならびに国際連合憲章にうたう原則に対する尊重を発達させること。
(c) 子どもの父母、子ども自身の文化的アイデンティティ、言語および価値、子どもの居住国および出身国の国民的価値観、ならびに自己の文明と異なる文明に対する尊重を発達させること。
(d) 理解、平和、寛容、および両性の平等に関する精神、ならびに、すべての人民、民族的、国民的、宗教的集団、および先住民の間の友好の精神に従い、自由な社会における責任ある生活のために子どもを準備させること。
(e) 自然環境に対する尊重を発達させること

2 この条又は前条のいかなる規定も、個人及び団体が教育機関を設置し及び管理する自由を妨げるものと解してはならない。―――

④ 子どもの権利委員会の総括所見:日本(第一回、1998年6月5日、子どもの権利委員会第18会期で採択)
C,主要な懸念事項
13 委員会は、とりわけ、国民的および民族的マイノリティとくにアイヌおよびコリアンに属する子ども、障害のある子ども、施設に設置されたまたは自由を奪われた子ども、および婚外子など最も傷つきやすい立場に置かれたカテゴリーの子どもとの関わりで、差別の禁止(第二条)、子どもの最善の利益
(第三条)および子どもの意見の尊重(第十二条)という一般原則が、子どもに関わる立法政策および計画に全面的に統合されていないことを、懸念する。

⑤ 学習権宣言(1985年3月29日、第四回ユネスコ国際成人教育会議)
学習権とは、読み書きの権利であり、問い続け、深く考える権利であり、想像し、創造する権利であり、自分自身の世界を読みとり、歴史をつづる権利であり、あらゆる教育の手だてを得る権利であり、個人的・集団的力量を発達させる権利である。(略)しかし、学習権はたんなる経済発展の手段ではない。それは基本的権利の一つとしてとらえられなければならない。学習活動はあらゆる教育活動の中心に位置づけられ、人びとをなりゆきまかせの客体から、自らの歴史をつくる主体にかえていくものである。それは、基本的人権の一つであり、その正当性は普遍的である。

⑥「ILO・ユネスコの教員の地位に関する勧告」(1966年)

3 教育は、その最初の学年から、人権および基本的自由に対する深い尊敬をうえつけることを目的とすると同時に、人間個性の全面的発達および共同社会の精神的、道徳的、社会的、文化的ならびに経済的な発展を目的とするものでなければならない。これらの諸価値の範囲の中でもっとも重要なものは、教育が平和の為に貢献をすることおよびすべての国民の間の、そして人種的、宗教的集団相互の間の理解と寛容と友情にたいして貢献することである。

61 教育職は専門職としての職務の遂行にあたって学問上の自由を享受すべきである。教員は生徒に最も適した教材および方法を判断するための格別の資格を認められたものであるから、承認された計画の枠内で、教育当局の援助を受けて教材の選択と採用、教科書の選択、教育方法の採用などについて不可欠な役割を与えられるべきである。

⑦ 国際理解、国際協力および国際平和のための教育ならびに人権および基本的自由についての教育に関する勧告(1974年11月19日 第18回ユネスコ総会採択)
6、教育は、拡張、侵略および支配を目的とした戦争および抑圧を目的とした武力や暴力訴えることが許されるべきでないことを強調すべきであり、かつ、平和の維持に対する各自の責任をあらゆる人々に理解させ負担させるようにすべきである。教育は、国際理解と世界平和の強化に貢献すべきであり、すべての形態および表示による植民地主義と新植民地主義、あらゆる形態および種類の人種主義、全体主義およびアパルトヘイトならびに国民的および人種的憎悪を醸成し、かつ、この勧告の目的に反する他のイデオロギーに反対する闘争における諸活動に貢献すべきである。

14、教育は、諸国間の矛盾と緊張の基底にある経済的・政治的性質を有する歴史的および現代的要因についての批判的分析、ならびに、理解・真の国際協力および世界平和の発展に対する現実の障害であるこれらの矛盾を克服する方途についての研究を含むべきである。

39、加盟国は、教育用具、とくに教科書が誤解、不信、人種的偏見および他の集団または人民についての軽蔑または憎悪を生じさせるおそれのある諸要素を含まないことを確保するために適切な措置を促進すべきである。教材は、マスメディアを通じて流布される情報および思想でこの勧告の諸目的に反すると思われるものを学習者が見分けることに役立つような幅広い知識を提供すべきである。

45、加盟国は、教科書、とくに歴史および地理の教科書のより広範な交換を奨励すべきであり、また適切な場合には、教科書およびその他の教材が正確で、均衡がとれ、最新の事情を含み、偏見がなく、かつ、諸人民間の相互の知識と理解の向上に資するものであることを確保するため、可能な場合には2国間および多国間の協定を締結することによって、これらの教科書およびその他の教材の相互の研究および改訂のための措置をとるべきである。

⑧ 初等学校の教科書の作成、選定および使用に関する勧告(1959年7月13日 第22回国際公教育会議採択)
39、初等学校の教科書は、人類同胞の精神をはぐくみ、かつ国民間の効果的な協力を助長するために国際理解の分野において建設的な役割をはたすべきである。したがって、国民、社会集団、人種または宗教相互間の理解を損なうような要素を教科書からなくすように、すべての国が直接的もしくは間接的措置を講ずることが重要である。
40、すでに多くの国で作られてきたように、各国民相互間の理解を傷つけるようなものを教科書から排除する目的をもって、教育者の合同委員会が組織されることがきわめて望ましい。地域的なもしくは国際的な教育団体は、そのような合同委員会の形成を促すにはとくによい立場にある。
41、学校の教科書には、他国の国民に対する心からの尊敬の念や、国際間の協力と理解の思想をしみこませるべきである。(後略)
46、教科書の改訂を行う場合、改訂版の作成に当たる責任者は、専門家を派遣して、現行教科書の国際的コレクションを調べさせるか、または、他国で使用されている教科書の見本を借りることでもよいであろう。

⑨ オランダ王国憲法(松本和志訳)
オランダ憲法 第23条 【教育】
1、 教育は政府の、終わることのない仕事である。
2、教育をおこなうことは、自由である。ただし、役所はそれを監督し、やりかたを法律で定める教育に関しては、教育者の能力や倫理を法律にしたがって調べる。
3、公的な教育に関するきまりは、みなそれぞれの宗教や信条を尊重しながら、法律で定める(以下、略)

⑩ デンマーク憲法第76条【教育を受ける権利】
学齢期にあるすべての子どもは、小学校において無料で教育を受ける権利を有する。自ら子どもないし被保護者のため一般小学校の標準に等しい教育を受けさせてやれる親ないし保護者は、その子どもないし被保護者を公立学校において教育させなくてもよい。
⑪ デンマーク「フリースコーレおよび私立の基礎学校に関する法律」第9条
「公立の小中学校で一般に要求される内容に見合った教育を行うことなど、フリースコーレの全般的な活動を監査することは、学校へ通う生徒の親達が行う。親の会は、いかなる方法で監査を行うべきかについて自ら決定を下す。」

以上、長く引用してきたが、これらの、国際法や教育先進国といわれる国々の憲法などに盛り込まれてきたもののなかに、教育とは何か?教科書とは何か?についての回答が盛り込まれていると考える。

C 教育とは、自由・平等・寛容・友愛の実現を目指している

まず、前提となるのが、憲法98条だ、現行憲法では、国際法と条約のどちらが優位か、また、人権関係の国際法と国内法のどちらが優位かがあいまいではあるが、「誠実に遵守」とその文言にある以上、最低、国際機関による人権関連の国際法は国内法への適用をすべきであろう。すくなくとも、国際人権規約の教育機関の設置の自由を国内法に適用しないと矛盾が生じてくる。また、ここにある、国際法規は、たんなる美辞麗句ではない。それは、過去の宗教戦争にはじまり、様々な民族紛争および20世紀における二度の世界大戦の貴重な教訓を、いわば、自然法的正義として表現したものである。その「法の発展」をわれわれは重く受け止めなければならない。

上記で概観した、教育条文の根本思想は、自由・平等・寛容・友愛の精神にあり、排外主義的で、過去の侵略戦争を正当化するような扶桑社版教科書は、その根本思想と相容れないものであり国際人権法などに違反する内容といえよう。また、これらの国際法の趣旨を、教育の制度面からみていくと、教育機関の設置の自由・教育の自由・子どもの学習権・人権尊重とその義務・教育の自治・教師の自治などが含まれているともいえる。

そもそも、教育活動とは、個別的(パーソナル)な人間関係に基づくものである。そして、教師の活動は、個別の草の根知識人として、子どもの親や保護者の委託を受けての文化・芸術活動のようなものといっても良いだろう。そういう意味では、教師の活動は、個別的で、自由なものでなければならないし、それを支えるのは、地域の親や住民ということになる。教育活動は、子ども・親(地域住民)・教師の三角形の構図の中での議論の中ですすめられていくべきだ。また、それが、世界の教育改革の成功した姿の流れである。たとえば、国際学力調査(PISA)の結果で一位で注目されているフィンランドは、中央集権的な教育をやめて、地方や個々の学校への「分権」をはたし、学校査察などをやめていった。同じように、教育の分権・学校設置の自由・教師の自治を認めている国々の代表が、オランダ・デンマーク・アメリカのオレゴン州だ。たとえば、デンマークでは、生徒の数が20人集まり、国語、算数、英語の最低限を教えていれば、補助金つきの学校をつくることができる。届出制のゆるやかなものなので、様々なタイプの学校をつくることができて、教員免許を持っていない人も教員になれる。そこでのデンマーク教育省のスタンスは、「市民のつくりたい教育を援助します」というサポーターの役割に徹していることだ。(このスタンスは、日本の教育委員会のあるべきモデルのひとつだろう)

こういう教育先進国では、教科書が存在しない。あるいは、存在しても、教師や個々の学校の選択の自由であり、あくまでも、教材の一部という存在である。しかしながら、日本では、これらの国際法や教育改革の動きとは逆行するような、中央集権的「教科書検定制度」があり、その地域での教科書選択は、地域住民や保護者、教員の意見が反映しない構造となっている密室性の強い「教育委員会制度」の中で決められていく。(この教育委員会や教師の身分を規定しているのが、「学校教育法」と「地方教育行政の組織及び運営に関する法律」(「地教行法」)だ。したがって、この二つの法律を国際法の観点から廃止ないしは改正しなければならない)

扶桑社の教科書採択の教育行政的な観点での問題点の本質は、上記の、「中央集権的な官僚主権」と「住民自治の無視」と「子どもの学習権の侵害」そして「教師の人格権の侵害」にあるといえる。
このことを教科書に限定して考えると、教科書選択あるいはその使用の有無を決定する「教師の自治」や教育内容としての教科書の「親や地域住民の評価」などの制度的保障がされないままになっている。

D 教科書検定制度の廃止を

上記のことを実現するための第一歩は、当然、「教科書検定制度」の廃止に求められる。これに関しては、「昭和45、7.17東京地裁 昭和42(行ウ)85 検定処分取消訴訟事件 判決」(家永教科書裁判・杉本判決)において次のように述べられていることが根拠のひとつとなる。
「してみれば、国家は、右のような国民の教育責務の遂行を助成するためにもつぱら責任を負うものであって、その責任を果たすために国家に与えられる権能は、教育内容に対する介入を必然的に要請するものではなく、教育を育成するための諸条件を整備することであると考えられ、国家が教育内容に介入することは基本的には許されないというべきである。」
 そして、検定に関しては、以下の違法性があることを主張するものである。

E 検定の違憲・違法性

検定は、教育の自由を侵害し、教育を受ける権利等を保障した憲法26条に違反する。検定は、国家権力側の人権に対するあり方を定めた憲法13条に違反する。検定が教科書の記述の実質的な内容、すなわち教育内容までに及ぶので、教育行政のありかたを定めた改正前の教育基本法第10条に違反する。検定制度は、表現の自由を保障した憲法21条に違反する。検定は、学問の自由の重要な一部である学術研究の結果発表を保障している憲法23条に違反する。本件の検定は、適正手続を保障している憲法31条に違反する。検定制度は、意見及び表現の自由を保障した「市民的及び政治的権利に関する国際規約」いわゆる国際人権規約19条の規定に違反する。


ここでは、上記のすべての原則を確認し、その意味から、扶桑社版教科書採択の無効性を主張するものである。

以上

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