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お別れの会 

 弟が死んでしばらくの時が過ぎた。このブログに、無宗教のお別れの会とした葬儀の内容も書いた。
人は何時かは死なねばならない。日頃、死についてどこまで真剣に考えてきたのか、弟の死後自問してきた。
であるならば、自身の死にあたりその葬儀の内容も考えておかねばいけないだろうと、こんなことを考えて、USBに記録を残した。

何時かこのことが現実化した時、家族への一助にもなるだろう。
お別れの会とした私の葬儀はやはり家族葬の形態で、無宗教でいいだろう。葬儀は私が書き残した文をPCが自動読み上げし、進行したらよい。
そして、兄弟家族の思いを随所に入れ、献花で終了したらよいであろう。以下、私の代わりにPCが読み上げるであろう内容です。

 
山や自然を愛した私が好きだった、芹洋子さんの「坊がつる賛歌」を聞きながら、お別れの会を始めたいと、思います。
 私は、静岡県志太郡小川村、現焼津市に生まれ育ちました。
生家は水産加工業でした。事業に失敗した両親は10人の子供たちの成人のために大きな苦労を払いました。
進学も難しく他の兄弟それぞれ、苦労をしました。
なんとか工業高校だけは、卒業して大手の製造業の機械技師の見習いとして就職をしました。
大学教育を受けていない私のため会社は専門課程の講座に長く勉強に出してくれました。
 
然し機械工学の知識不足を知るにつけ、この方面での活躍を諦め、からだで挑戦できる商売の世界へと転身を決意したのです。父親の死もこの転身には影響がありました。
 
しかし、商売の世界も成功への道は困難でしたが、それなりに、自分のライフワークとした歴史の勉強ができ、家族には、当たり前の生活をさせたいと頑張りました。
以後、自営業を貫いてきました。
 
私が生涯をかけて勉強した分野は、一般歴史、哲学、思想です。
特に影響を受けたのは帰化人作家であり、焼津と縁が深かった小泉八雲と京都学派の創始者、西田幾多郎の哲学です。
 
インターネットでもブログを書いています。延べ10万人ほどの読者がおりその紙面を通し世間に発信をしてきましたが、何しろ書いたものの数が多く専門的な難しい文章も多々あります。
 
そこで比較的平易で、最後のお別れの場で私が思ってきたことをお集まりの皆様に紹介できたらと思い次の死生観について紹介したいと思います。
 
現代は神のいない時代ともいわれ宗教観の薄れた時代です。こんな時代の中、どうしたら永遠の命とか、自分の死の折り合いをつけるかが大事です。
そんなことの参考になれば最後の時を迎えた私の人生の意味も多少あったのでしょう。私は、静岡県焼津市在住です。歴史や哲学的な理解に役立つ内容で、随筆ふうに書いてきました。技師から自営業、その後、京大教授久松真一先生が主催した、京都FAS協会に参加。宗教学や哲学を学びました。
宗教学やキリスト教弾圧にちなむ、「光あてられしもの」 ほか、6冊を世に送り出しました。
勤め先から派遣され、武蔵工大精密せっさく理論、特別修学コースを卒業しました。卒業証書は、もらいましたが機械工学技術の習得は不完全でした。
工学が自分に向かなかったということです。歴史学者にはなれないとしても文系に向いた自分の才能を伸ばすため機会を求め退社しました。当然周囲からは、反対されました。
では、本題に移ります。人間に与えられた時間は常に今しかありません。
過去はすでになく、未來は未だ存在していません。
今の一瞬をどう生きるかが、すべてなのです。
現在は、未来を指向する力と過去の相反した方向に働く二つの力の緊張した相克の場であります。
 
現在は過去と未来の通過点でもあり、現在があるから過去があり未来があるのです。
現在という時を失うのは、自分を失うことです。
時間は、いつも現在である。ですから、現在は永遠であり、その自覚が永遠の命の自覚なのです。
 
ひとの、生者から死者への変化には一定の儀礼が必要であることを2章で書きました。
その儀礼はおそらく、「死に目に会う」ことから始まるのです。
末期患者における延命治療がそうした儀礼としての意味を持つならば、治らない患者に医療費をかける、無駄な治療だという見方は、非常にあさはかな考えではないかと思うのです。
 
 また、死者の在り方というものは歴史的にも文化的にも日本と欧米では大きく異なることを前章では詳しく述べました。
 
詳しく言えば、日本人は死んで故郷の自然に帰る、もしくわ、故郷の土になるという思いが強い半面、2章の最後に書いた、現代日本でも、ヨーロッパ世界でも、「死んだらおしまい」」と思う人は多いのではないのか。
 
これは、家族を含めた、生前自分がかかわったすべての関係からの分離を物語っている。
 
「死んだらおしまい」という感覚はなんなのでしょう。死んだら、まったくの無になる、という感情なのだろうか。
 
私は無名だが、故郷、焼津に晩年深い愛情を寄せた、小泉八雲の一研究者である。
 小泉八雲は、明治初期に来日し、英語教師のかたわら日本に関する著述を多く書き、
日本における死者の在り方について、こう述べています。
 
 『日本人の考えでは、死んだものも、生きているものとおなじように、この世に実在しているのである。
死者は、国民の日常生活のなかへも、入ってきて、いささかの悲しみ、いささかの喜びをも、生きているものたちとともにわかちあうのだ。
家族の食事の際にも、死者はそこへ出てくるし、家庭のしあわせを守るし、子孫の繁栄を助けもするし、また喜びもする』、   (小泉八雲、祖先崇拝の思想より)
 
 日本文化において、死んだ者は死者として現実世界に存在する。生者は死者を敬うことで生きている者の生活も質を高めることができた。
死者が死後も語り継がれ、尊敬されるということを見て育ったものは、いたずらに死を恐れない。
また死者を敬うことで、いきるものは目標を持って日々を送ることができるし、自らを律することも可能となるのだ。
 
日本文化において死者は生きているものと強い関係性を持ち続け、
その関係性を無視して、死や死者を語ることはできないのだ。
 
「死は生成発展」であるともいう。
死は生成発展の一つの過程であり、万物が成長する姿である。
であれば、死ぬということは、大きな天地の理法に従う姿であって、そこに喜びと安心があってよい、と松下電器、現Panasonicの創業者松下幸之助は述べた。
 
死は自然の事実、ならば、死を受け入れ、より大きな生命の連鎖のなかに自らの死を置くということなのだろう。
これは、より大きな関係性、連続性の中での死を捉えた考え方である。
 
四季の変化、環境は、ひとの死生観に大きな影響を与えます。木々は春には花をつけ、夏の間は葉を繁らせ、秋には紅葉し、冬には落葉し寂寥感に包まれる。
まるで死んだようになります。
しかし、春になればそれが再び甦ることは、私たちが経験じょう知っている通りです。

 
人間も同様です。私たちは生まれ、成長し、死へ向かいます。しかし、丸を描くような、えんかんてき、循環的な生命現象を経験する中で実は私は死なないのではと思う瞬間もあるのではないか。
 
恐らく、意識状態は深いところで入れ替わることがなく、死の状態では、「冬」の期間を過ごし、生まれ変わってまた、新しい春、新しい生を迎えるのではないかとおもうのです。
 
このように、魂(意識)は経験と完璧を求め、肉体を得たり失ったりを無数に繰り返しながら連続していくのだと思えばよいのではないか。
 
オランダの哲学者スピノザは、彼が理想の人間像とする「自由じん」とは「死について考えず,その知恵を生きることに注ぎ、自分と他人を向上させることに専念するもの」であると定義します。
 
 スピノザ哲学は、「神のいない世界で,どうすれば人類はよい人生を送り、幸福を享受できるのか」を提案している。
 
つまり、命は連続した繋がりであり、その中で意識は目に見える世界と見えない世界を切れ目なく移動します。
この視点に立つことにより、生と死を論理的に見る一つの方法、つまり新しい哲学が確立するのです。
 
自由な人が考えるのは、ほかならぬ死についてである。そして彼の賢明さは、そこから死ではなく、生について熟慮を始めることなのだ。
死という終焉の場から現在の自分を見つめ直すと、そこに新たに未来への入り方がみえてくるのではないか。
そこからみえてくる生の意味とは、愛情と善い精神を次の世代に残すこと、それが生きる意味なのではないかと私は考えます。
 
最後に、
日本の西田哲学では生死をどのように解釈するであろうか。
かれはいう。
私自身が生きているのは、まさに絶対現在のところ、ここ、である。自分の心の根底においていつもそこにしか生きていない。私の自我のハタラキは、絶対者(神、ほとけ、超越者)のハタラキの逆の関係にある。
自我を無にする、無心、無私、私心なく働く時ほど、そこに絶対(神)の働きが現れる。真の個人、真の生命は、絶対現在の瞬間的自己限定として成立するのである。
 死の否定即肯定の絶対矛盾的自己同一の世界は、どこまでも、逆限定の世界、
逆対応の世界でなければならない。
 
生と死との対立は、どこまでも逆対応てきで、故に我々の宗教心も、我々の自己から起るのではなくして、神または仏の呼声であり働きなのです。
 
神または仏の働く場所、そこが自己成立の根源であり、真の生命があり、永遠が成立する場所でもあるのです。(西田の高弟、久松真一は、私は死なないと自覚を披歴した)
 
西田の
「絶対現在」や「永遠の今」という表現は、「いのち」にとって絶対的な価値を有し、永遠に揺るぎない尊い一瞬を言うのです。
なぜなら、「現在」あるいは「今」をゆるがせにすれば、同時性としての過去も未来も永遠に無益なものに堕してしまうからです。
 
一生を虚しく死んでいくのではなく、「現在」を過去、未来の同時性として生き抜く以外はあり得ないのです。
死にも生にも捉われない瞬間、その瞬間を懸命に生きることが死を克服する事に他ならないことを言うのだろう。
 
最後に芹洋子さんの四季の歌を合唱しながらこのお別れの会の締めたいとおもいます。

 

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