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『繚乱コスモス』(6)☆ファンタジー小説

「もう遅いけど、いいのかしら?」
「わたしは大丈夫よ。それに、帰りは車で送るから心配しないで」
「そうしてもらえると嬉しいわ」
 美奈子が立ち上がると玄関にゆき、靴を履いて外に出る。

 徳子は不思議そうに聞いた。
「ねえ、美奈子ちゃんのお部屋に行くんじゃないの?」
「そうよ」
(んもぅ、ナゾの行動が多いんだから)
 しかし、ここに来るまで美奈子のナゾ行動には必ず意味があると学習した徳子は、そのまま黙ってついてゆく。
 風流な竹の垣根にそって裏手にまわり、板戸を開けると、まるで寺院にあるお堂のような、八角形をした離れがある。
(説明不足もここまでくるとイタズラに近いわよねぇ。それとも、これが美奈子ちゃん流の女子高時代の仕返しなのかしら?)
 徳子はそう思いながら、半ば呆れたように言った。
「珍しいお住まいですこと~」
「でしょ」
 こともなげである。

 格子戸を開けて中に入り、狭い玄関から真っ直ぐに続く廊下を通る。廊下を中心に左右に部屋があった。
「右が寝室で左が居間なの」
 襖を開いて居間に入ると、八角形をちょうど半分に割ったような、半円に近い形の部屋である。この家の物珍しさに慣れたはずの徳子だったが、思わず見回してしまう。
 視線を下ろすと、薄い水色のカーテン、白い脚のガラステーブル、床には畳の上から水色の絨毯が敷かれ、ピンク色のクッションが二つ。テレビは無いものの、そこには普通の女性の部屋があった。
「ふー」
 思わず吐息を漏らした徳子に、美奈子が聞いた。
「徳子ちゃん、どうしたの?」
「可愛いお部屋ね。この家に来て、初めてホッとしたぁ」
「お母さんからは、子供っぽいって言われるのだけれど」
「そんなことないわよ。わたしの部屋もこんな感じだし……」
 そう言ったとき、棚に飾られてある人形が目にとまった。

 色白で桜色の頬、紅を引いた唇で、髪形は神話に出てくる女神にように長い髪を束ねて二つの輪を作っている。服装は、浅葱色の衣の上から朱色で袖なしの和服を羽織り、下には蜜柑色の長いスカートのような絹を巻きつけてある、30センチほどの少女人形である。

 大人の女性ではなく、少女だと思ったのは全体的に気持ちふくよかだったからだが、雛人形、五月人形、市松人形、博多人形など、今まで見た日本人形のいずれとも違うように見えた。
「人形……」
「あ、これ? 昔から家にあるのよ。おばあちゃんからお母さんへ、そしてわたしに受け継がれたの。商売のお守りなのかな?って思ってるけれど。招き猫とか、大黒様のようなものかもしれないわね」

「目が閉じているわね」
 縁起物として人形を飾ること自体は、特に珍しいことではない。老舗ならばなおさらのことだ。しかし、徳子がその人形に感じた違和感は、閉じた目にあった。
「そうね。わたしは子供のころから見ているから慣れてるけど、考えてみれば『人形は目が命』って言うものね」
 目が閉じている理由は美奈子も知らないようだった。またその返答から、その由来を調べようとした節も感じられない。
「目を閉じた人形って初めて見た。今まで言われたこと無い?」
「うん、部屋に入れたのは、徳子ちゃんが初めてだから」

 すっと、美奈子が襖を閉める。ホッとしたはずの徳子に再び緊張が走った。
「いいのかなぁ、わたしなんかで」
「もちろんよ。徳子ちゃん以外はダメなくらい」
「恐縮いたします」
「商売柄、少し変わった家だけれど、何回か来ればそのうち慣れると思うの」
 つまり、また来い、ということである。
 言葉に秘められた美奈子の押しの強さを感じて徳子は意外に思い、すぐに返事が出来ない。
「あっ、少し押し付けがましいわよね。ごめんなさい。もちろん徳子ちゃんの気が向いたら、ね」
 そう、美奈子は言い直した。徳子も美奈子の友人になりたい気持ちはあったから、その強引さはかえって有難い。
「嬉しいわ、ありがとう」
 と、言ったものの、ガラステーブルに乗った徳子の指に手のひらを重ねた美奈子に、徳子はまだ戸惑いを感じていた。
 
「毎月献立は変わるの。来月は鮎や太刀魚、あわびとかウドね。八月は車海老、南瓜、夏らしく穴子やいんげん豆の冷やし鉢とか。十二カ月全部違うのよ。だから来月はまた違う味を堪能しなければね」
「美奈子ちゃん、毎月は悪いわよ。気が引けちゃうから。そうだ、次はわたしんちに来てよ。もちろんこんなスゴイ家にスゴイ料理じゃないけど…… 美奈子ちゃん?」
 美奈子は瞳を潤ませ、ワナワナと震えている。
「今、おウチに招待して、くれたの?」
「いえ招待だなんて大げさなものじゃないけど」
「お母さんの予定は空いてるかしら。いえ、空けてもらうわ」
「ナニする気なの……」
「だって、初めてだったから」
「あまり期待しないでね。ウチは美奈子ちゃんの家と違って、普通のサラリーマンだし、家もごくごく普通の4LDK。お菓子も高級和菓子とかじゃなくて、ポテチとチョコぐらいなんだから」
「でも嬉しい」
「そう言ってもらえると安心よ。あ、もうこんな時間……」
「車の準備するように言ってくるわ。徳子ちゃん少し待ってて」
 立ち上がろうとする徳子を、美奈子が優しい手つきで制すると廊下に出ていった。玄関の格子戸を開ける音に続いて、カラコロを桐下駄が遠ざかる音が聞こえる。

(嬉しいのはわたしのほう)
 徳子は、胸の中にはびこり増殖し続けていたカビのようなものが、流れ落ちるのを感じていた。
(美奈子ちゃん、女子高時代のこと気にしてないのかな……)
 そう思っていた矢先、調理場から玄関に向かう従業員の会話が聞こえる。
「お嬢様は?」
「さっき母屋に。あの娘が帰るんじゃないの?」
 『あの娘』というのは、徳子のことであるらしい。徳子は思わず耳をそばだてる。
「お嬢様は心の広いお方だから」
「でも、一晩中、泣き声がやまなくて…… それに、『死にたい』って」
「ああ、体育祭の前日だったか。あれは聞いてていたたまれなかった」
「それならなんで?」
「だから、心の広い方なんだよ」
「あたしだったら目も合わせないわ」

 会話は徐々に遠ざかってゆき、徳子の心は一気に暗転する。
(体育祭前日って…… わたしが二人三脚のペアを美奈子ちゃんから、別のクラスメイトに変えた日……)

 室内の温度が、ぐっと下がったように感じた。
「心の傷口は、命にまで達していた、の、ね」


『繚乱コスモス』(7)に続く


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