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『繚乱コスモス』(8)☆ファンタジー小説

※※※

「雨の音……」
 瞼を開くと曇ったレンズを覗いたように、視界がおぼろげだった。ただ、比較的大きな葉が雨を受ける音だけ、鼓膜を通り過ぎて脳裏で響いている。リズムや音階とは程遠い、生命の鼓動に近い音色が、心を落ち着かせた。事件が夢だったと思わせるほど、静謐な時が流れている。
 かけられている毛布はゴワゴワした肌触りだったが、柔らかい枕、白いシーツが心地良く徳子を包んでいる。
(犯人、捕まったのかな? 痛っ……)
 考えると、こめかみに刺さるような痛みが走った。それによって意識は乱暴に叩き起こされて、視界がハッキリしてくる。

「ひっ」
 最初に見えたのは、蜘蛛である。床から這い上がってきた小さな地蜘蛛が、前足で徳子を品定めするかのように、チョイチョイと触れてきた。
 地蜘蛛に悪いヤツはいないらしい、というのは徳子も知っている。
(ホラ、あなたには、あなたの住む場所があるでしょ)
 指で自分の髪を数本束ねて追いやると、地蜘蛛はさも迷惑そうに布団から下りてゆく。
(悪い昆虫ではないけど、料亭だから地蜘蛛に住み着かれるのは迷惑よね…… いやそれどころじゃなく)

 半身を起こすと、隣に女が寝ている。
 思わず二、三度、瞬きをした。
「はあっ?」
(美奈子ちゃん、添い寝? ちょっと変わっているとは思ってたけど、ここまでとは…… いやいや、きっと責任を感じてずっと見守ってくれていたんだわ。でもまあ、美奈子ちゃんが無事で良かった…… ん?)
 ホッとため息を吐く途中で、それを飲み込んだ。

 背を向けて寝ているその女の髪は、肩までの長さ。肌の色も美奈子のように白くはない。
 改めて周囲を見回すと、それは古めかしい造りの日本家屋ではあるが、美奈子の家のように隅々まで磨き上げられてはいない。床には小型のカナヅチやノミなど、大工道具らしきものが散乱している。また、そこらじゅうに木の削りカスが散らばっていた。
 上を見ると天井板は無く、むき出しの梁の奥にある蜘蛛の巣が、月明かりに照らされて輝いて見えた。

「むにゃにゃ」
 女が目を擦りながら寝返りをうち、徳子の方を向いた。
「んあ? 気がついたのか」
 声は美奈子よりも1オクターブ低く、ハスキーである。そして多少ぶっきらぼうでもあった。
(従業員では、なさそうね)
 徳子は警戒し、布団から身を抜け出しつつ、聞いた。
「あのう、ここは?」
「あたしんち」
 徳子が期待した答えではない。
「美奈子ちゃんの家にいたはずなんだけど」
「誰だよそれ? ともかくここはあたしんち。それは間違い無い。だってあたしが建てたんだからな」

 そう言って大あくびをしつつ立ち上がり、土間に降りて、かまどの残り火に細い枝を突っ込むと、それを大事そうに持ってきてランプに火をともした。
 月の放つ冷たい光が、暖かいランプの灯りに覆い隠されて、暗いが優しい光が広がると、女の容姿がハッキリと見えてくる。
 肩で切りそろえた黒髪、健康そうな褐色の肌、横臥した八日月のような大きな瞼、低いが筋の通った鼻、桃色のすっきりした唇。
 野性味があるものの全体的に上品な顔立ちで、投げやりな言葉遣いの主とは思えない。服装は黄土色の小袖に下は青い袴を履いた、時代劇で見る職人のような身なりだ。

 徳子は聞いた。
「美奈子ちゃんの家から、わたしをここに連れて来た理由を教えて欲しい」
 女は、呆れ顔で言う。
「は? あんたがひとんちに勝手にあがりこんだんだろ。しかも熟睡。あたしが男だったらどうするつもりだったのさ」
「わたしが勝手に?」
「そうだよ! あたしがヒカリバナの種を収穫してる間に上がりこんだんだろ? 帰ってきたらアンタがその棚の下で寝てた。ヘンな衣着てたからビックリしたのなんのって」
「その棚?」

 徳子が目をやると、小型で木製の棚に人形が並んでいる。黒光りするほど磨き上げられた棚は異彩を放ち、乱雑なこの部屋にあってそれは中心核のように思えた。そして飾られている人形を見る。それはどれも同じタイプで30センチほどの少女人形だ。女神のような姿で目を閉じている。
「美奈子ちゃんの人形っ!」
 徳子は立ち上がり、そのうちの一体を両手で掴んだ。
「ちょちょっ、そりゃあたしが作った人形だよっ」
 女は慌てて徳子から人形を取り上げ、声を荒げた。
「おまえな、人んちに勝手に上がりこんだうえに泥棒かよ! 城に通報もせず、寝かせてやったってのに恩知らずだなっ」
「でもこれ、美奈子ちゃんの家にあった人形なんだからっ! その目が開いてっ……」
 そう言って人形を指差すが、瞳を開いた人形は一体も無いので、徳子は声を詰まらせる。
 しかし女の瞳は力を帯び、徳子の肩を両手で掴んだ。
「いっ、今なんてっ? 人形の目が開いたとか言ったかっ?」
「そうそうっ、それを見た美奈子ちゃんを襲った犯人が逃げて、だからわたしっ、人形の顔を見てっ、そしたら目が開いてたのっ、それっきり意識が……」

 女は腕組みをして答えた。
「まーったくわからん。ともかく落ち着けヘンな服の女。今おまえが手に取った、その人形の目が開いたんだな? 他の人形ではないな?」
「ヘンって失礼ね、フツーのビジネススーツじゃない。まあいいわ。ええと、人形の着物が少し違うような。衣はもっと鮮やかな浅葱色…… あ、ちょうどこの色、きっとこっちの人形だわ」

 徳子は棚の一段高い場所に飾ってある人形を指差した。すると女は、気落ちしたような反応を見せる。
「そっちかぁ」
「どうしたのよ」
「いやな、その人形だけは、あたしが作ったものじゃないんだ」
「そう、じゃあその人形が美奈子ちゃんのものなのね。んじゃ、それはわたしが預か…… ちょっと邪魔しないでくれない?」
「コラ、あたしが作ったものじゃないとは言ったが、あたしのものじゃないと言った覚えはない」
「ウソっ、間違いなく美奈子ちゃんの部屋にあったんだから。ちゃんと返さなきゃ」
「ウソとはなんだっ! 間違いなくあたしのだって! コラ引っ張るなよっ」
「あなたこそっ!」
 しばし人形をめぐり醜い争いが行われた後、二人ともようやく落ち着きを取り戻した。

「落ち着きましょう……」
「そ、そうだな。そんな必死の形相するってコトは、まるっきりウソ言ってるとも思えないしな」
「ウソ言ってるのはあなたでしょう?」
「ぬぅわにぃ?」
「いやちょっと待って。またエスカレートするだけだわ」
「えすかれえとぉ? ナニ言ってんだ? まあいい…… ともかくだ、まずは自己紹介からってのはどうだ?」

 女がそう提案したとき、徳子の腹の虫が鳴った。
「ぷぷっ、胃袋は正直だな。まぁ、丸三日も寝てりゃ、ハラも減るわな」
「丸三日ですって?」
「そうさ。おまえが来たのは三日前の、そう、今ぐらいの時間だったと思う。その日、あたしがヒカリバナを採りに行ったのは夜が更けてからだから。ヒカリバナってのは、夜更けの限られたこの時間帯でしか採れないんだ。しかも一年に一回。だからよく憶えてる」

「そう、三日も……」
(美奈子ちゃんは、なんでわたしを病院に連れて行かなかったのだろう。家には連絡してくれたのかしら? それにこの人、美奈子ちゃんのこと知らなそう。なのに、なんでここにわたしを連れて来たの?)

 徳子の脳裏には疑問が渦巻くばかりで、答えのヒントは無い。あるのは、この状況だけである。女から話を聞けば聞くほど疑問の数は増え、また深くなる。


『繚乱コスモス』(9)に続く?

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